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常識と非常識のすきまにある意味。

最初に言っちゃうとまあ、ある命題が『常識的』であるか『非常識』であるかって、実は話題の中味にはあまり関係がないんじゃないかと思う。

受け取る側の反応によってこの二つの違いは決まると感じるのだ。
コミュニケーションの温度感によって同じ命題が、
常識になったり非常識になったりする。なんでだろ?

人の持っている情報スコープって非常に狭くて、かつ自分ローカルなので、何かを伝えたときに大きくは四つの受け取り方が起こると考えてる。

一つ目の反応
『わかった、わかる。』…頭を振る感じ…
(⇒共感が湧いたケース)

二つ目の反応
『知ってる、わかってる。』…突っぱねる・言い放つ感じ…
(⇒実は全然わかってないケース)

三つ目の反応
『違う、何言ってるのかわからん。』…差し挟む感じ…
(⇒怒りの前兆ケース)

四つ目の反応
『うほ!面白い、新鮮。ええこと言うな!』
(⇒ようわからんがナイスなエンタメを見たようなケース)

でこの中で、常識VS非常識問題が起こりがちなのって、➁と③だね。
で、この二つはほぼ同じマインド状況。

①理解のプロセスを踏んで膝を叩いた状況、
➁理解よりも『自分の思い込み』『自分愛』が勝った状況、
そして③は、見事に自分を無視されたので苛ついて突き戻す状況だ。

➁と③は…対話が成立してない。伝達が成立してない。聴いてる『心がそこにない
ちなみに筆者への反応は、④が多い。
誰も予想しておらず、世の中的には『非常識!!』と糾弾されそうな中味なんだけど、なぜかいつも受容され、一部の人は面白がってる。(それやりましょう!!すぐ!!とかはならないんだけど…www)

大抵の人間は自分は狭くてローカルな場所に居る(地域だったり業界だったり小集団だったり)ことは自己認識してる。そして、色んな経緯を経てその場所にいる自分について自己肯定感を味わいたい。

で、常識VS非常識論が繰り広げられるとき、
その発信者はホントは何を言いたいのか?トランスレートしてみた。

『そんなの常識だろ!』
⇒【心の声】そこは僕にとって議論のポイントじゃない。関心ないね。

『常識的に言っておかしい』
【心の声】俺が王道で、君は亜流・支流だ!

『非常識にも程がある!』『君には常識がないのか?』
【心の声】俺をバカにするな!嘗めんなよ!

要は、常識VS非常識論が発生したとき、
そこにあるのは 自己承認欲求であり、それに対する強烈な不満爆発なのだ。