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#9 技術を極めることにハマったプログラマー時代【竹内義晴のキャリア遍歴】

こんにちは。しごとのみらいの竹内義晴です。いま、ボクの幼少期から現在に至るまでの生い立ちについてお話をしています。

今日は、日産自動車で働いていて、それから、IT業界に転職した時のお話をしようかなと思います。

自動車会社からIT業界へ転職

ボクがIT業界に転職したのが1998年ですね。日産自動車の中でプログラミングをかじっていたんです。そこで、帰郷する機会に「専門的にプログラマーになってみたいな」って思って、転職したっていうのがボクのプログラマーの始まりです。

プログラマーに転職して、一言で言うと「めっちゃハマった!」んですよね。

一番最初は、3ヶ月ぐらい客先に常駐してプログラムを作るみたいな。最初、結構ドキドキしたんですよね。お客さんのところで常駐して仕事するみたいなことも初めてだったし。「どんな感じかな?」と思ったんです。

でも、「プログラムを組む」っていうこと自体は、スキルの不足をそんなに感じることもなくて「あ、これだったら行けるかも」みたいな感じで仕事をし始めて。3ヶ月経った後も、いろんなお客さんのシステムをつくる仕事に関わりました。

当時はまだ、「インターネットを使って……」みたいなものはあまりなくて。伝わる方・伝わらない方もいらっしゃるかもしれませんが、社内の、閉じた世界のネットワークで、クライアントと呼ばれるパソコンと、サーバーと呼ばれるところにいろんなデータをためて、クライアントで作業するみたいな形式のシステムが当時は一般的だったんですけど、そういったシステムを開発して、お客さんとかに納品するっていう仕事に関わることになりました。

「自分でやっている感」による楽しさ

ハマったというか、面白かったのが、お客さんの所に行ってヒアリングして、システムを組むという一連の作業っていうんですかね。

日産で働いていたころって、大きな会社ですからね。いい意味では分業なんでしょうけれども、悪い意味では他のことを知らなくてもいい、他のことをすることがないっていう感じでした。

しかし、自分でお客さんのところに行き、お客さんの課題をヒアリングして、自分で設計をして、自分でプログラムを組んで、納品する。最後にはお客さんから「ありがとう」って言われる。この一連の「自分でやっている感」っていうのが楽しかったんですよね。

あとは、いかにメンテナンス性が良く、いかに美しいコード……という表現が伝わるか分かりませんが、文章を書くときも、ダラダラと何を言っているのかわからない文章と、すごく分かりやすくて、端的で、読みやすい文章ってあると思うんですけど、技術をちゃんと理解をして、プログラミング言語の性能を発揮して、でも、誰にでもわかりやすく作るっていう。

そこが、技術力みたいに当時のボク感じていて。そういったところを極めて行くって言うんですかね。そういうのが楽しくて、プログラマーの世界にはまったんですよね。このような「自分で作っていく」ことが楽しくて、プログラミングの世界にはまりました。

時には、泣きたくなる「つらい仕事」も

だけど、楽な仕事ばかりではなかったんですよ。すごくつらい仕事もあったんです。つらい仕事って、具体的に何かっていうと、言えるところと言えないところがあるんですけど。

受注したはいいけれど、それまで誰も手がつけられなくて。やる人が誰もいなくて、最終的にボクがやることになって、泣きながらプログラムを書くみたいな。1カ月ぐらい会社に泊まり込んで、1週間分の荷物を鞄に入れて、寝袋を持っていって……みたいな働き方をしたことがあったりとか。「お風呂どうしたんだ?」って言ったら、会社のとなりのビルにホテルがあって、朝だけお風呂入りに行く……みたいな。まあ、そういったことがあったりとか。

他にも、どこまで言っていいのか分かりませんけど。あるプロジェクトで火を吹いて。仕方がないので火消しに入って、なんとか終わる……みたいな。そういった時もありましたね。あの時はしんどかったけれど。

そういうしんどさもありながらも、プログラミングの仕事っていうこと自体にはすごくハマったし、面白かった。だから「生涯エンジニアでいたい」って思いましたよね。

楽しかった「技術の追求」

あと、新しい技術を追求していくっていうおもしろさもすごく感じていて。新しい言語が出てきたら、それを勉強して使っていくっていう。

当時、いっしょに仕事をしていた社会の方なんですけど、すごく技術力が高い方で。「今度のシステム、これで作ろう」って言ってね。その人がプロトタイプみたいな試作品を作って、それに習って、ボクも勉強しながら組んでいくっていう。

だけど、新しい言語だから、なかなか理解できないことがたくさんありながらも、技術書を読みながら。そういった本って。ボクは自費で買うのって全然いとわないので、自分で本を買って、読んで、調べていきながら、徐々に習得していくっていう感じ。いままでなかなか理解できなかったことが、ふと、わかる瞬間っていうんですか?

「ああ、こういうことか!」創発の楽しさ

ちょっと話しずれちゃうんですけど、お湯わかすときって最初は液体で、100℃になった瞬間、液体が急に気体になるっていう。100℃を境に変化が起きるじゃないですか? このような、ある形が、まったく異なる形に変化することを「創発」って呼んだりするんです。

創発っていう字は、創る、創造するの「創」に、発掘、発見の「発」ですかね? いままでまったく起きえなかったものを、悩みながら、悩みながらだけど、それでも、ずっとこうやり続けて、火を沸かし続けていくと、ある瞬間100度っていう、ある何かが起こった時に「ああ、こういうことか! つまり!」と言って発見する……みたいなことが、プログラマー時代に何度かありましたけど、そういうのが楽しくて楽しくて。

なので、いいのか悪いのかわかんないけど、別に残業とか全然苦じゃなかったし、仕事するのが、新しいことを身につけていくのがすごく楽しかったですよね。

あとは、自信を持って仕事をしていると、ある時「竹内さんは、うちの会社のブレインですよね」なんて言われた時はすごい嬉しかったですよね。そういうこともあって「生涯エンジニアでいたい」と当時は思っていましたよね。

だけど、年齢を重ねてくると、これをお聴きのあなたがどういった年齢か分かりませんけど、大体30代を超えて、35歳前後になってくると、「お前も数字の管理しろ」とか、「プロジェクトのスケジュールの管理しろ」とか、「お金の面倒を見ろ」とか、「メンバー育てろ」とか、「みんなができるように標準化しろ」とか、いろいろ言われ始めて。

「あら、このままだと、ちょっとやばいかも」みたいに思い出したのが31、32ぐらいの頃ですかね? そんな形で、「これからどうしようかな」って悩み始める感じになりました。

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