縷々

故永しほる(ゆえなが・しほる)。詩作者。Twitter:@OOE_Naka

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    気になった詩や詩集の自分なりの楽しみ方を紹介します。詩を読みたいと思っている人の一つのきっかけに。

  • 『ココア共和国』感想

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私家版詩集『壁、窓、鏡』について

本詩集が第57回北海道新聞文学賞詩部門の本賞を受賞しました。詳細は以下から。 2023年7月9日に私家版で二冊目の詩集を刊行します。 内容について基本情報は以下のとおりです。 タイトル:壁、窓、鏡 著者:故永しほる 価格:1,000円(税込) サイズ:B6 本文:94ページ 印刷所:イニュニック 2021年に日本詩人クラブの「新しい詩の声」で最優秀賞を受賞した「咬合」をはじめ、『ユリイカ』の「今月の作品」に掲載された「うつし身」や朝日新聞夕刊の「あるきだす言葉たち」に

    • 【募集終了】詩集『占球儀』(せんきゅうぎ)に参加してくださる方を募集します

      はじめに詩作者の故永しほる(ゆえなが・しほる)と申します。 このたび、詩集『占球儀』(せんきゅうぎ)に参加してくださる書き手を募集します。 私については以下をお読みください。 『占球儀』は、ルーレット式おみくじ器に59人の書き手による一行詩を収録した「詩集」です。 一篇一篇の詩がおみくじの一枚にあたり、読者は、自分の星座が記された投入口に100円を入れ、レバーを押すことで、一篇の詩を手に入れます。同時におみくじ器上部のルーレットが回転して示された数字と、おみくじの数

      • 誤読#7 『現代詩手帖』「新人作品」欄 柳本々々

        詩の投稿欄と現代詩手帖賞これまでは書籍化された詩を扱ってきました。それは本文へのアクセスしやすさを意識してのことです(初回はインターネット上に公開された作品でした)。その後、絶版本を扱うなど、徐々にその縛りは緩んでいくわけですが、タイトルにもある通り、今回はついに書籍化されていない詩を扱います。書き手は柳本々々です。 この企画の意図や目的などをまとめた#0は以下のリンクから。 今回扱う柳本の詩は『現代詩手帖』という雑誌の投稿欄に掲載されていました。彼はそこでの活躍が評価

        • 20240419

          (広義の)散文を書く企画がひと段落したので、中断していた〈日付〉を再開する。 基本的に制作をするのは夜なのだけれど、最近、気が向いたら朝に作業をするようになった。前日に早寝をして早朝に起き、歯磨きだけ済ませてまだ少しぼんやりした頭で机に座る。 何度か朝作業をして、朝には朝の良さがあることがわかってきた。結論から言うと、朝と夜では得意な作業が異なる。 朝には散文のドラフトを書いたりと、勢いが必要な作業が適している。詩作についても、すでに内容が固まりつつある作品をさらに展開

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          20240228

          風邪をひいてしばらく寝込んでいた。高熱に悩まされるというよりも熱がなかなか下がらないのが大変だった。あとは鼻詰まりと鼻水が酷かった。自分の詩集のイベントが終わって、自覚こそなかったものの張り詰めていたものが緩んだところをやられたのだと思う。ものを書くことはおろか、読書もできなかったし、想像を巡らせることも難しかった。ずっとYouTubeのラジオ動画を聴いていて、内容はほとんど記憶に残っていないのだけれど、無音を埋めるためには必要だった。久しぶりに空っぽの頭で、生きることだけを

          20240217

          前回僕はこう書いたのだけれど、よくよく考えてみるとあまり正確ではなかった。 詳しい文脈は読んでもらうとして、ある言葉の質感、というこの発想は「収穫したもの」というよりも「実っている状態」と表現した方が相応しいような気がする。「収穫」してしまうと、その果実はあり方が変化してしまう。つまり、「収穫」とはそのまま言語化・具体化のことなのではないか。そう思ったわけだ。 では、「実っている状態」はどのようなあり方なのか。このとき、発想は「もの」ではない。あくまでも「状態」であり、あ

          20240213

          二日くらい前にある発想があった。さらに出勤中に読んでいた小説に感覚を磨かれたような感じがあって、今日は一日中半分くらい夢心地だった。良い意味で、うつつを抜かしていた。 その発想というのは具体的な詩句でもなく、ましてやテーマやモチーフでもなかった。強いていうなら、言葉の質感のようなものだろうか。完成前の陶器の、その手触りだけを思いついたのだった。読んでいた小説もそうで、ストーリーがどうとかというよりも、言葉の連なりにが砥石のような働きを持っていた。そういう本が他にも数冊あって

          20240208

          スマホケースに満足したことがない。次こそは長く、なんならこのスマホを使っている間はずっとこれでいいと思えるくらいのものを買おうと意気込んで、店や通販サイトを巡り、やっと出会えた気に入ったものを購入する。たとえば、好きなイラストレーターがデザインしたスマホケースを買ったりする。しかし実際にスマホにつけると、数日も保たずに不満を抱いてしまう。 飽きるのとは違う。そのデザイン自体はまだ気に入っている。つまり、それをスマホにつけることがしっくりきていないのだ。先のイラストレーターの

          20240123

          年末年始も詩を書いたり、色々な依頼を進めたりと、平常運転のつもりだったのだが、仕事始めあたりから違和感を抱き始めて、数日前までもやもやしていた。 四月あたりが締切の原稿を進めたり、こつこつ積み重ねるタイプの原稿をメインでやっていて、スケジュール的にもかなり余裕があり、それぞれの進捗も悪くない。締切が近くなってから苦しまないように、書けるものから動き始めているのだけれど、流れ作業的にこなしているわけでもなく、完成度的にも良いものが書けている感覚はあった。 だからこそもやもや

          20231230

          年末なのと、これがちょうど十回目なので、まとめ的にこの〈日付〉という試みを続けてきた所感を書いていくことにする。 そもそも〈日付〉は、僕が散文と和解するための試みであり、同時に日記を書くこと、そしてそれを読み返すということへの興味が起点としてある。これまで日記を書き続けることができなかったため、だいたい一、二週間に一度のペースで投稿することをなんとなく定め、継続のハードルを下げた形だ。今後も柔軟に(気まぐれに)期間が空いたり、あるいは、プロジェクト自体が取りやめになる可能性

          20231223

          昨日、仕事中にメモをとっていて、茨城県に「茨」という字が含まれていることに改めて気づいて、一人で静かに驚いていた。何度も見たことがあるし、少なくない回数書いたり、キーボードで入力したことがあるのに、意識したのはこれがはじめてだった。 たとえば「茨木のり子」の場合はそうではなくて、「茨」の印象はほとんどそのままの形で人名の中に存在している。「茨城」はそうではなくて、「茨」という文字の印象は完全に埋もれてしまっていて、全体を構成する一つの要素に過ぎなくなっている。「茨城」の印象

          20231211

          昨日、大勢で海に近い温泉に泊まって、サンダルと水着、あと一つ大切な何か(覚えていない)を持ってくるのを忘れて、てんやわんやしたという夢を見た。 その夢から覚めて、僕は「実際にあった出来事を夢に見ることってあるんだなー」と思ったのだけれど、実はそう思ったのも夢の中の話だった。目を覚ました僕は寝起きとは思えないくらい心拍数が早くて、もしかしたら悪夢だったのかもしれない。 落ちついてから、多重構造の夢を見ることが本当にあることに妙に感慨深くなったのだけれど、すぐに「もしかしたら

          誤読#6『とある日 詩と出会うためのアンソロジー』、『そだつのをやめる』青柳菜摘、『ひかりのそう』山腰亮介

          今回も、最近読んだ詩集の中から気になったものを取り上げていきます。これまでよりもテンポよく書くというか、軽やかに書けたら良いなと思っています。 この企画の意図や目的などをまとめた#0は以下のリンクから。 『とある日 詩と出会うためのアンソロジー』最初は、「詩と出会うための」と副題がつけられた詩のアンソロジーです。 責任編集は川上雨季。メンバーはインカレポエトリというサークルのメンバーから構成されています。インカレポエトリとは、複数の大学で詩の授業を受講している学生たち(

          誤読#6『とある日 詩と出会うためのアンソロジー』、『そだつのをやめる』青柳菜摘、『ひかりのそう』山腰亮介

          20231126

          インフルエンザワクチンの接種に行った。なかなか予約がとれず、訪れた病院は小児科院だった。事前にその情報は手に入れていたのだけれど、そこは予想以上に小児科だった。 待合室はファンシーな雰囲気で、誰が設計したらそんなに不自然に口が大きくなるのだろうと哀れに思うほどのドラえもんの壁掛け時計が妙に印象的だった。絵柄もふた時代くらい古い。テレビではトムとジェリーが流れていた。こういうときのトムジェリには一種の普遍性がある気がするが、どうだろう。僕以外に誰も観ていないという点も含めて。

          20231117

          とある詩のネプリを印刷したのだけれど、相も変わらずぼーっとしていたので、取り忘れたまま別の買い物を済ませてコンビニを出てしまって、気づいてから慌てて戻ったのけれどプリンターのところにネプリはなく、店員さんに確認してもわからないとのこと。 諦めてもう一度印刷しながら、最初に印刷したネプリは、たまたま見つけてその詩に魅入られた人にもらわれたのだと思うことにした。達者でな、と心の中で呟いて、(おそらく)さっきと同じ内容で生まれたであろう二人目を僕は大切に育てることにした。 とい

          20231112

          雪が降っているのを見た。今年初めてだった。昨日も降ったらしいけれど、僕は知らない。乾いた雪の粒が、アスファルトに着地して、小さくバウンドしたり、ぽろっと二つに割れたりするのを、下を向いて歩きながら眺めていた。 「初雪はとけるためだけに降って」という詩句を書いたことがある。ここには雪の存在以上に、それを感覚した語り手の存在が強くある。 夏か冬かで言えば冬が好き。雪も嫌いじゃない。この二重否定的な言及の仕方に雪国の人間の感性がある気がする。 雪国の人間は雪のロマンチックさに