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【エロくない詩吟 vol.1】良い詩があれば声に出したくなる。それが詩吟

おはようございます。heyheyです。
今日からコツコツ、ぼくが長年継続している「詩吟」というものについて、できるだけやさしく、わかりやすくnoteで書いていきます。

詩吟は天津木村さんの芸風「エロ詩吟」で一気に有名になりましたが、「エロくない方の詩吟」は相変わらず知られていません。
需要があるか怪しいですが、これを機に知ってもらえると幸いです♪

詩吟って何なのさ?

詩吟(しぎん)は、漢詩や和歌などを独特の節回しで吟ずる(歌う)芸能。吟詠(ぎんえい)、吟道(ぎんどう)とも。

「詩吟」って検索するとwikipediaにはこう書いてあります。
端的に言えば「詩を吟ずるのが詩吟」というだけです。
多くのお偉い先生がいる中、長年だれもwikipediaを編集していないのを見るとそんなに間違っていないのでしょう。

詩、というのは「漢詩」であったり「和歌」であったり、はたまた「俳句」であったりします。
吟ずる、というのは「腹式呼吸を使って力強く声を出す」感じです。

吟詠は、詩吟を格好良く言ったもの。
吟道とは、詩吟を鍛錬していく道のりのことですね。
だいぶフラットに話していますが、詳しく正確に知ったところで大した違いはありません(笑)

良い詩があったら声に出したくなるよね

「なぜ巡り合うのかを私たちは何も知らない」
「知らず知らず歩いてきた」
「電話してちょうだい。みんなまぁるく〇〇ピアノ」
「ソ〇ー損保♪」

良い詩があったら自然とメロディーが頭に浮かんできたり、声に出したくなります。「〇〇ピアノ」が頭に流れるのはちょっと癪ですが。
それが人間というもの。芸術に興味があろうとなかろうと、それが自然なことです。

だから、昔のすごい人が考え抜いて、想いを凝縮した漢詩という「めっちゃ良い詩」があったのなら、それを「高らかに歌いたくなる」のもわかりませんか?

それが詩吟です。
そう理解してもらうのが一番いいなと、ぼくは思っています。

想いが詰まり過ぎてるから「歌う」だけじゃ足りない

中学校の国語の時間で習ったかもしれませんが、漢詩には「五言絶句」とか「七言絶句」、「五言律詩」とか「七言律詩」という形があります。懐かしいですね。

五言絶句なら、漢字5個ずつで起承転結を作るというもの。つまり5×4=20個の漢字からできた詩です。
七言絶句なら7×4=28個。律詩はその2倍の長さです。五言律詩なら5×4×2=40個。七言律詩なら7×4×2=56個。

漢詩というのは、たったこれだけの文字にあらゆる気持ちを凝縮してあるんです

「最後のキスはタバコのflavorがした」(19文字)
「マルマルモリモリみんなたべるよ」(15文字)

漢字とひらがな、カタカナ、英語を同列にするんじゃないよ!という細かいつっこみは置いておいて、五言絶句の漢字20文字というのは書くと本当に短いです。1文字1文字に想いがめっちゃ凝縮されています。

だから、詩を普通に声に出しても「それを表現するには足りないよね」ってなります。そうして生まれたのが「吟じる」「吟ずる」「吟詠」といった歌唱法法です。

「吟じる」という歌唱法法は、めっちゃ語尾を伸ばします。
(記事の最後にぼくの詩吟を貼っておきます)
だいぶ独特です。
短い言葉をできるだけたっぷり表現したかったんでしょうね。

◆良い詩があったら声に出したくなる
◆想いが詰まった漢詩だから「歌う」だけじゃ表現しきれない

そんな感じで「詩吟」が生まれたと考えると、詩吟もそんなに異質なものではないのかなと思います。


今回はここまで。
読んでくださってありがとうございました。
詩吟を知らない方がどんな感想を持つのか想像つかないので、Twitterやnoteなどでコメントを頂けるととっても嬉しいです。


【参考】勝海舟の漢詩(五言絶句)をぼくが吟じた音声配信↓


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