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今井雅子作 さすらい駅わすれもの室「彼の、彼女の苦いブラウニー」クリスマス・チョコレート入れ

今井雅子先生の人気シリーズ『さすらい駅わすれもの室』。その中の一つ、『彼の苦いブラウニー』が綴る片思いのときめきとほろ苦さに、昔を思い出されている人も少なくないかも。先生のお話はヴァレンタイン・デーの出来事となっていますが、ごくごくのマイナーアレンジメントでクリスマス版にしてみました。

夢見るのは女性だけじゃない!ということで、駅員が女性、忘れ物をした人が男性のバージョンを先に作りましたが、そのあとに、駅員が男性、忘れ物をした人が女性のバージョンも。

原作


今井雅子作 さすらい駅わすれもの室「彼の苦いブラウニー」クリスマス版:チョコレートを忘れた男


さすらい駅の片隅に、ひっそりと佇む、わすれもの室。そこがわたしの仕事場です。 ここでは、ありとあらゆるわすれものが、持ち主が現れるのを待っています。 傘も鞄も百円で買える時代、わすれものを取りに来る人は、減るばかり。 多くの人たちは、どこかに何かをわすれたことさえ、わすれてしまっています。

だから、わたしは思うのです。ここに来る人は幸せだ、と。

駅に舞い戻り、窓口のわたしに説明し、書類に記入する、 そんな手間をかけてまで取り戻したいものがあるのですから。

(男性)「わすれもの、ありませんでしたか」

彼が冷たい風を引き連れて、わすれもの室に入ってきたのは、クリスマス・イヴの夜のことでした。

彼がいつも朝の七時二十四分発の列車に乗って、このさすらい駅から勤め先へ向かうことを、わたしは知っています。

列車を待つ間、ホームのベンチで本を読んでいることも知っています。

わすれもの室のカウンターから、ちょうど見える位置に、そのベンチがあるのです。

本を読む彼の口元は幸せそうに微笑んで、わたしをあたたかな気持ちにさせてくれます。

(男性)「ホームのベンチに置きわすれてしまったんです」

初めて聞く彼の声は、わたしが想像していたよりハスキーで、少し震えているようでした。

(男性)「赤い包装紙に紺色のリボンをかけた小さな箱なんですが……」

その箱は、今朝、わすれもの室のカウンターの上に置かれていました。わたしが席を外して戻ってくるまでのほんの数分の間の出来事でした。壁の時計に目をやると、ちょうど七時二十四分発の列車が駅を出たところでした。

だから、わたしは幸せな勘違いをしてしまったのです。もしかしたら、これは、わたしへのおくりものかもしれない、と。

(駅員)「ああ、あれは、わすれものだったんだ……」

わたしは心の中でつぶやいたつもりでしたが、彼に聞こえてしまったようです。彼が不思議そうにわたしを見ました。

(駅員)「いえ、なんでもありません。届いていますよ。この箱ですね」

わたしは、カウンターの下にしまってあった箱を取り出しました。

(男性)「ああ、これです」

ほっとしたように彼は言いました。

(駅員)「まだ間に合いますね。今日のうちに渡せますよ」

このおくりものを受け取る幸せ者は誰なのだろうと思いめぐらせながら、わたしは言いました。

(男性)「実は……渡す相手が、いなくなってしまったんです」

そう言って、彼は、紺色のリボンと赤い包装紙の間に挟まったカードを引き抜きました。そのカードに何が書かれているかを、わたしは知っています。持ち主の手がかりを求めて、カードを開いたのです。いいえ、正直に言いましょう。わたしは、期待を込めて、カードを開いたのです。

そこには、短いメッセージが綴られていました。

(男性)《名前も知らないあなたへ いつも、さすらい駅であなたに会えるのが楽しみです》(男性のメッセージとして男性が読みます)

(男性)「ホームで列車を待つ間、あの人は隣のベンチで本を読んでいたんです」

彼は、おくりものを受け取るはずだった相手について語りはじめました。ただ、誰かに聞いてもらいたかったのでしょう。それも、あまり親しくない誰かに。

わたしは郵便ポストのように突っ立って、彼の話を静かに聞きました。

(男性)「本を読む横顔が素敵で、わたしも本を読むようになりました。言葉を交わしたことは一度もありませんでしたが、あの人と同じ本を隣のベンチで読んでいると、一緒に本を読んでいるような気持ちでした」

なんということでしょう。本を読む彼の隣のベンチには、彼の恋する人がいたのです。彼の口元が幸せそうに微笑んでいたのは、そういう理由だったのでした。

(男性)「今日の特別な日に、あの人に想いを伝えたいと思いました。それでとっておきのチョコレートを買いました。でも、今朝、あの人は男の人と一緒に駅に現れました。いつも本を持っている左手は、彼の右手につながれていました」

(駅員)「それで、あなたは、渡せなかったおくりものをベンチに置いて行ったんですね」
(男性)「ええ。でも、ちゃんと自分の手で捨てようと思って……」
(駅員)「捨てるなんて、もったいない!」

わたしは、思わず、自分でもびっくりするほどの大きな声を出していました。

(駅員)「あ、いや、その……チョコレートに罪はありませんから」
(男性)「だったら、一緒に食べていただけませんか?」
(駅員)「え? わたしと、ですか」
(男性)「ええ。一人で食べるのは、なんだか悔しいですから」

すぐに食べるのはもったいないと思い、取っておいたのは、幸いだったのか、わざわいだったのか。わすれもの室の小さなテーブルで、わたしと彼は、行き場を失ったチョコレートを分け合うことになりました。

(駅員)「こんなにおいしいチョコレートを食べ損ねたなんて、彼女はもったいないことをしましたね」
(男性)「ええ、ほんとですよね」

彼が少し笑ったように見えました。

本当は、彼が他の誰かのために買い求めたチョコレートは、わたしには、苦すぎました。わたしへのおくりものだと思っていたら、実はわすれものだったチョコレートを、なぜか口にしている不思議を思いながら、わたしはその苦みを味わいました。

(男性)「とても恥ずかしかったんです。お店には女性ばっかり。どれにしますと言われてもよくわからなくって迷っていると、周りの女性の視線が集まって。ニヤニヤされているのを感じました。顔が赤くなりました。でも、店員さんが、宝石のようなチョコが入った箱にリボンをかけているとき、うっとりと見つめていました。これを渡すんだ、と思うと、わくわくしました……。うれしかった。毎朝、駅で会うたび……。今まで、本を読んで、こんなに幸せだったことなんて……」

彼は目は赤くさせ、その瞳はうるんでいました。

彼は静かに泣いているようでした。他に聞こえるのは、ストーブの上でやかんのお湯が沸く音だけでした。

(駅員)《名前も知らないあなたへ いつも、さすらい駅であなたに会えるのが楽しみです》(駅員さんの独り言として読みます)

彼が味わった恋の甘さと苦さは、わたしが味わったものでした。

わたしがいれたコーヒーを飲み終えて、彼は顔を上げました。うるんでいた眼に輝きがさし、口元には微笑みが戻っていました。毎朝、わたしをあたたかな気持ちにさせてくれた、本を読むときの口元です。

(駅員)「実は、わたしも今日、恋を失ったのです」
(男性)「そうだったんですか。偶然ですね」

何も知らない彼が去った後、テーブルには、チョコレートを包んでいた紙が恋の名残のように残されていました。

(駅員)「これでいいのです。わすれものを持ち主にお返しする、この仕事ほど、わたしをときめかせるものはないのですから」

わたしは、心の中でそっとつぶやくと、包み紙と小さな恋を畳みました。

今井雅子作 さすらい駅わすれもの室「彼女の苦いブラウニー」クリスマス版:チョコレートを忘れた女


さすらい駅の片隅に、ひっそりと佇む、わすれもの室。そこがわたしの仕事場です。 ここでは、ありとあらゆるわすれものが、持ち主が現れるのを待っています。 傘も鞄も百円で買える時代、わすれものを取りに来る人は、減るばかり。 多くの人たちは、どこかに何かをわすれたことさえ、わすれてしまっています。

だから、わたしは思うのです。ここに来る人は幸せだ、と。

駅に舞い戻り、窓口のわたしに説明し、書類に記入する、 そんな手間をかけてまで取り戻したいものがあるのですから。

(女性)「わすれもの、ありませんでしたか」

彼女が冷たい風を引き連れて、わすれもの室に入ってきたのは、クリスマス・イヴの夜のことでした。

彼女がいつも朝の七時二十四分発の列車に乗って、このさすらい駅から勤め先へ向かうことを、わたしは知っています。

列車を待つ間、ホームのベンチで本を読んでいることも知っています。

わすれもの室のカウンターから、ちょうど見える位置に、そのベンチがあるのです。

本を読む彼女の口元は幸せそうに微笑んで、わたしをあたたかな気持ちにさせてくれます。

(女性)「ホームのベンチに置きわすれてしまったんです」

初めて聞く彼女の声は、わたしが想像していたより、か細く、少し震えているようでした。

(女性)「赤い包装紙に紺色のリボンをかけた小さな箱なんですが……」

その箱は、今朝、わすれもの室のカウンターの上に置かれていました。わたしが席を外して戻ってくるまでのほんの数分の間の出来事でした。壁の時計に目をやると、ちょうど七時二十四分発の列車が駅を出たところでした。

だから、わたしは幸せな勘違いをしてしまったのです。もしかしたら、これは、わたしへのおくりものかもしれない、と。

(駅員)「ああ、あれは、わすれものだったんだ……」

わたしは心の中でつぶやいたつもりでしたが、彼女に聞こえてしまったようです。彼女が不思議そうにわたしを見ました。

(駅員)「いえ、なんでもありません。届いていますよ。この箱ですね」

わたしは、カウンターの下にしまってあった箱を取り出しました。

(女性)「ああ、これです」

ほっとしたように彼女は言いました。

(駅員)「まだ間に合いますね。今日のうちに渡せますよ」

このおくりものを受け取る幸せ者は誰なのだろうと思いめぐらせながら、わたしは言いました。

(女性)「実は……渡す相手が、いなくなってしまったんです」

そう言って、彼女は、紺色のリボンと赤い包装紙の間に挟まったカードを引き抜きました。そのカードに何が書かれているかを、わたしは知っています。持ち主の手がかりを求めて、カードを開いたのです。いいえ、正直に言いましょう。わたしは、期待を込めて、カードを開いたのです。

そこには、短いメッセージが綴られていました。

(女性)《名前も知らないあなたへ いつも、さすらい駅であなたに会えるのが楽しみです》(女性のメッセージとして女性が読みます)

(女性)「ホームで列車を待つ間、あの人は隣のベンチで本を読んでいたんです」

彼女は、おくりものを受け取るはずだった相手について語りはじめました。ただ、誰かに聞いてもらいたかったのでしょう。それも、あまり親しくない誰かに。

わたしは郵便ポストのように突っ立って、彼女の話を静かに聞きました。

(女性)「本を読む横顔が素敵で、わたしも本を読むようになりました。言葉を交わしたことは一度もありませんでしたが、あの人と同じ本を隣のベンチで読んでいると、一緒に本を読んでいるような気持ちでした」

なんということでしょう。本を読む彼女の隣のベンチには、彼女の恋する人がいたのです。彼女の口元が幸せそうに微笑んでいたのは、そういう理由だったのでした。

(女性)「今日のとくべつな日に、あの人に想いを伝えたいと思いました。それで、とっておきのチョコレートを買い求めたのです。でも、今朝、あの人は女の人と一緒に駅に現れました。いつも本を持っている左手は、彼女の右手につながれていました」

(駅員)「それで、あなたは、渡せなかったおくりものをベンチに置いて行ったんですね」
(女性)「ええ。でも、ちゃんと自分の手で捨てようと思って……」
(駅員)「捨てるなんて、もったいない!」

わたしは、思わず、自分でもびっくりするほどの大きな声を出していました。

(駅員)「あ、いや、その……チョコレートに罪はありませんから」
(女性)「だったら、一緒に食べませんか?」
(駅員)「え? わたしと、ですか」
(女性)「ええ。一人で食べるのは、なんだか悔しいですから」

すぐに食べるのはもったいないと思い、取っておいたのは、幸いだったのか、わざわいだったのか。わすれもの室の小さなテーブルで、わたしと彼女は、行き場を失ったチョコレートを分け合うことになりました。

(駅員)「こんなにおいしいチョコレートを食べ損ねたなんて、彼はもったいないことをしましたね」
(女性)「ええ、ほんとですよね」

彼女が少し笑ったように見えました。

本当は、彼女が他の誰かのために買い求めたチョコレートは、わたしには、苦すぎました。わたしへのおくりものだと思っていたら、実はわすれものだったチョコレートを、なぜか口にしている不思議を思いながら、わたしはその苦みを味わいました。

(女性)「楽しかった。このチョコレートを買いに行ったとき。宝石のような粒が収まったおしゃれな箱に店員さんがリボンをかけているとき、あぁ、これを渡すのだと思って、わくわくしました……。うれしかった。毎朝、駅で会うたび……。今まで、本を読んで、こんなに幸せだったことなんて……」

彼女の目から、ぽたり、ぽたりと滴が落ちました。

彼女は静かに泣いていました。他に聞こえるのは、ストーブの上でやかんのお湯が沸く音だけでした。

(駅員)《名前も知らないあなたへ いつも、さすらい駅であなたに会えるのが楽しみです》(駅員さんが独り言として読みます)

彼女が味わった恋の甘さと苦さは、わたしが味わったものでした。

わたしがいれたコーヒーを飲み終えて、彼女は顔を上げました。涙の跡が残る頬には赤みが差し、口元には微笑みが戻っていました。毎朝、わたしをあたたかな気持ちにさせてくれた、本を読むときの口元です。

(駅員)「実は、わたしも今日、恋を失ったのです」
(女性)「そうだったんですか。偶然ですね」

何も知らない彼女が去った後、テーブルには、チョコレートを包んでいた紙が恋の名残のように残されていました。

(駅員)「これでいいのです。わすれものを持ち主にお返しする、この仕事ほど、わたしをときめかせるものはないのですから」

わたしは、心の中でそっとつぶやくと、包み紙と小さな恋を畳みました。

(終わり)

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