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さて私も死ぬときには「じゃ、またな!」と言えるかが勝負だな。

『芸人なんて、なんでもいいと思う反面、それだけで俺の人間性を決めつけられるのは、やっぱり勘弁して欲しいと思いますし、その情報が嘘なのか本当なのか、少しも疑問を抱かない社会というのは危険だと思います。とにかく人間なんて、本当にいい加減で社会は未熟です。昔、お笑い芸人に対する評価は、「テレビに出たことある」が絶対でした。テレビには出ていなくても、面白い芸人はいっぱいいました。人間はおかしな生き物で、コンビニの包装紙と高島屋の包装紙、中身はまったく同じ品物でも、やはり選ぶのは高島屋です。時代が進化しても、結局、人間は本質ではなく、見た目や外見で物事を判断してしまいがちです。中身や実用性や耐久性なんかよりも、結局ブランドがいちばん重要という、ますますそんな時代になってジャンジャン人間の自由を奪っていますが、人間はそういう枠に入り込みたい生き物です。厄介なのは「人間は集団の中にいないと不安で仕方がない生き物」だということです。だから、スマホは危険だなんて悪口を言っておきながら、みんなスマホを持っているし、アマゾンとかも便利だから使い続ける。つまり、こうした人間の特性に気がついたごく一部の人間が勝ち組となり、彼ら一部の人間が作ったルールの中で、俺たちは生かされているのです。庶民に許されているのは、せいぜい酒飲んで悪口言うくらいしかないのです。~それでは、「オマエは何をやり残したんだ」「最後に何をしたいんだ」と言われたら、私の夢はただひとつ、独裁者になることです。独裁者になって、ITやなんかで儲けてる奴らから税金をたくさんとって、研究費が足りない学者連中に研究施設をいっぱいつくってあげたいと思います。それでは、「オマエは何をやり残したんだ」「最後に何をしたいんだ」と言われたら、私の夢はただひとつ、独裁者になることです。独裁者になって、ITやなんかで儲けてる奴らから税金をたくさんとって、研究費が足りない学者連中に研究施設をいっぱいつくってあげたいと思います。「痛い、痛い」ぐらいは言うと思いますが。芸人としての反発は、この人生の最後の最後の大舞台で、生きることよりも誰かを笑わせることが優先できるかだと思っています。「こいつ、『さっさと殺せ、バカヤロウ』なんて、またウソ言ってるよ。本当は生きたいくせに……あ、死んじゃった」とか言われて、むこうへ逝きたいなと思います。』

「俺、死ぬんじゃないか?」という体験をするとやはり死生観が変わってくる。忘れて懲りないヤツもいるがそういうヒトはどこまでいっても変わらないだろう。さて私も死ぬときには「じゃ、またな!」と言えるかが勝負だな。

ビートたけしが「人生最後の夢は、独裁者になること」と断言する「深いワケ」
本当にやりたいのはお笑いではなかった
gendai.ismedia.jp/articles/-/78209

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