何事も「程度」問題なのだ。

『よく「日本人は勤勉だ」といわれる。私は勤勉というよりも、むしろ休むという行為について、罪悪感を持っているのではないだろうかと思っている。自分が休むと人に迷惑をかけると考えてしまうその心の深層には、休むの対義語が「働く」であって、その働くという言葉には、休むのほか、遊ぶ、怠けるという対義語が存在するとの認識が無意識下にあるのかもしれない。~そもそもカゼもインフルエンザも新型コロナも、原因ウイルスの種類は違えど、ウイルス感染症という意味においては同じだ。ヒトからヒトへ伝播してゆく感染症なのだ。「這ってでも出てこい」という上司がいるならば、管理者として失格だ。職場にウイルスが蔓延すれば従業員は全滅してしまうではないか。いそがしいならばなおのこと、ウイルス感染者には自宅安静、職場には来させないようにするのが危機管理というものだ。~「風邪でも、絶対に休めないあなたへ。」「インフルエンザだったら休めるけど、カゼだと休めないので」「皆勤賞のため」これらの考え方を社会として見直していかない限り、インフルエンザの大流行は毎年毎年繰り返されるだろう。インフルエンザであるか否かにかかわらず、体調不良の場合は、自分自身の安静のためにも、周囲への感染拡大を防ぐ意味でも、何をおいてもまず休む、何よりこの認識を徹底すべきだ。職場や学校は、そのような休むべき人を積極的に休ませるという体制を早急に作っていかなければならないと強く思う。だれでも体調を崩すことはある。困ったときは、お互いさまだ。この国には、つらい症状があるにもかかわらず無理をして出勤したり、足を痛めたスポーツ選手が歯を食いしばって試合に出続けるといった姿を「よく頑張った。偉い、素晴らしい」と美談として語る風潮が、未だに根強く残っている。しかし、このような無理する姿勢を「美しい手本」のように扱うことは、無理せず休むことを選択した人に罪悪感を覚えさせるとともに、「休みたい」と思う人の居場所を奪ってしまうことに繋つながりかねない。社会的に影響力を持つ有名人やスポーツ選手は、体調不良やケガのときは率先して休む。そして、その姿を広く私たちに見せることによって、少しでもこの国の悪しき風潮を変える方向に、ぜひ手を貸していただきたい。』

私は持病の線維筋痛症が悪化すると最近は加齢もあり一週間ほど動けず出社できない時がある。有休休暇は第一四半期中に無くなってしまう事がしばしばだ。あとは欠勤という事で給料が引かれるだけである。今年度は台風等の影響か既に75日も欠勤してしまっている。原因も治療法も確定されていない病を患ったのは10代に心身を鍛えていたという「過信」と20~30代に仕事が好きで「無理」をしていたのがこの様な事態を招いたのかも知れない。「頑張らない」とヒトはすぐに自堕落な生活に転げ落ちていく可能性は否めない。ただし「無理」をすると必ずその代償を払う事になるだろう。その結果無理をしない「程度」に頑張るのがちょうど良いのだと気づいた。何事も「程度」問題なのだ。

具合が悪いとき「気軽に休める社会」に日本は変わるべきだ
病気流行は社会が引き起こしている
https://president.jp/articles/-/33222

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