これでは先の大戦当時とそれほどメンタリティでは変わっていないのだ。

『それらの多くが、読解力を後退させた犯人は、「スマホの影響」や「読書不足」といった説であり、それがあたかも真実のようにおもわれているフシがあるが、果たしてそれは本当か。データそのものから導き出される真の要因と私が考えるものを説明していこう。~つまり、皮肉なことに、「読解力はゆとり教育で上がり、脱ゆとり教育で下がった」ともとれる結果なのである。要は、教育行政だけで学力が上下したりはしないというのが実態であろう。マスコミも含めて、かつてPISA調査の結果で「ゆとり教育、是か非か」を大いに騒いだことには知らん顔なので一言ふれておく。~デジタル時代に対応した学力を伸ばすためとして、小中学校の児童生徒1人あたり1台のパソコン配備を目指している文部科学省は、今回の調査で、デジタルデータの探索をする課題が多くなったことから、「日本の生徒は機器の操作に慣れていないことが影響した可能性がある」とマスコミの取材に対してコメントしている。今回、調査対象となった児童生徒が脱ゆとり教育の世代である点を考えると教育行政の失敗と反省してもよさそうであるが、そういう点に関しては、おくびにも出さない。一方、新聞の社説や有識者など活字文化の意義を強調したい論者は、読書を肯定的にとらえる生徒ほど読解力の点数が高いという結果から、スマホの普及などで読書量が落ちているため、読解力の点数が低下したという議論が見られる。しかし、全国各地の学校では「朝の読書運動」に取り組んでおり、毎日新聞が毎年行っている学校読書調査でも、小中学生の書籍に関する1カ月平均読書量はこの10年間以上増加傾向にある。そもそも読書量が落ちているわけではないので、読解力低下の説明にはならない。~筆者が不思議に思うのは、メディアなどの論評が今回の結果の要因が、日本の高校生の学力が低下したことによるものではなく、むしろ、OECDによる学力の評価方法が変わっただけかもしれないと少しも疑わないことである。どの国で読解力の点数が上がり、どの国で下がったかを調べて、日本の急落の原因を探ろうという視点を持つ者もいない。~「そもそも読解力テストは(国ごとの)文化バイアスが大きく出る。18年の成績低下は、単に(課題の)問題文が日本の生徒になじみのない内容だったからかもしれないのだ。3年後には成績急上昇ということもありうる。要は3年スパンで上がった下がったと一喜一憂しないことだ。少なくとも『授業時間をもっと増やせ』などという暴論が暴走しないよう気をつけよう」~PISA調査の読解力が、日本は急落、英米は上昇という結果を知ったとき、私が思い出したのは、「軍隊」「警察」「行政」などどんな組織・制度を各国民は信頼しているかという点に関する「世界価値観調査」の調査結果である。~日本の特徴は、一見して分かる通り、「新聞・雑誌」や「テレビ」といったマスコミへの信頼度が60~70%台と他国と比較して非常に高い点にある。主要国の中では、米国、英国、イタリア、オーストラリアではマスコミへの信頼度がせいぜい10~20%台であるのと比較すると雲泥の差である。日本ほどではないが、やはりマスコミへの信頼度が高いのは韓国ぐらいである。~日本では、大手紙やNHKなどが提供するニュースに一定以上の信頼を置く者は多いように思う。しかし、欧米、特に英米ではマスコミの言うことをそのまま信じる者は少ない。トランプ米大統領が、自分に都合の悪い報道を「フェイクニュース」と非難してはばからないのに対して、日本人は不届きな発言との印象を抱きがちであるが、そういう大統領を支持している国民は、そもそもニュースをあまり信頼していないという背景を理解すれば、それほど不思議なことではない。欧米諸国に対して、日本人など儒教の伝統を有する国民は、「文」に対する従来の尊重精神から、あるいは真実の追求というより社会改善を優先する儒学者的なマスコミの気風に共鳴しているためか、マスコミの言うことを真に受ける傾向が強い。このため、社会のマイナス面の指摘に偏りがちな日本のマスコミの報道が、自分たちの社会に対する否定的な見方を必要以上に増幅するという副産物を生んでいるのも確かであろう。~OECDの担当者であるアンドレアス・シュライヒャー教育・スキル局長も、今回の出題傾向と日本の結果について、こう説明したという。「フェイクニュースの多いデジタルの世界では複数の出どころの情報を比較し、事実なのかどうか区別をつけないといけない。事実かどうか精査されていた紙のメディアを読むのとは異なり、デジタルテキストに慣れていないことが多い日本の15歳にとって容易ではないだろう」(朝日新聞、2019年12月3日)フェイクニュースだけではない。現代社会はウェブやSNSなど真偽のはっきりしない情報にあふれている。その中で、真偽を判別したり、判別できないことに関しては判断を停止したりといった能力が現実的に大切になってくる。3年に1度PISA調査をしているOECD担当者は、そうした特に欧米でいち早く顕著となっている状況を踏まえて読解力の出題傾向を変更したのだと考えられる。日本は、幸か不幸か、著述家や編集者によって真偽の判断や情報の質の評価がなされた上で世に出される活字文化が発達しており、おおむね信頼できる情報が多いため、活字文化につらなる報道に対しても信頼を寄せている国民が多い。日本人は高校生も含めて、文章情報の意味内容を理解する能力は高いのであるが、フェイクニュースや真偽のはっきりしないテキスト情報をどう扱ったらよいかについては不慣れなのである。これが今回の読解力の点数の急落の真の理由であろう。新聞の社説は、活字文化にもっと親しむことが読解力向上にとって重要だといっているが、これほど皮肉な主張はない。新聞の社説だからといって真に受けないようにしなければ現代社会を生き抜くための読解力は向上しないからだ。』

マスコミやマスメディアはある種の「権威」があり今のヒノモトのヒトビトは未だに「権威」には従順なのである。これでは先の大戦当時とそれほどメンタリティでは変わっていないのだ。

https://president.jp/articles/-/32089

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