見出し画像

自気力のみ?(自分さえ良ければ他がどうなろうと知らん顔で、自分に火の粉が降りかかてきて初めてギャーギャーいうくらいの気持ちしか無い)

『国家は誰のものか。それが民衆のものであれば、政体はデモクラシー(民主政)である。君主のものであれば、政体はモナーキー(君主政)である。しかし、民衆のものといっても、選挙が終われば民衆は、政府に権利を委譲する。だから正確には、それはデモクラシーではない。もしデモクラシーが本当にあるとすれば、中央権力のない社会、直接民主政の社会しかない。19世紀のフランスの思想家であるプルードン流にいえば、権力が集中しない状態すなわちアナーキーな状態こそ民主政かもしれない。だから民衆は、真にデモクラシーを実現するには、つねに政府に抵抗する権利を持つべきなのだ。~歴史的に見て、個人の自由は中央政府から与えられたものなどではない。そこから人々がつかみ取ってきたものである。だから安易に従属することは、権利の放棄を意味する。フランスの16世紀の思想家、エティエンヌ・ド・ラ・ポエシは『自発的隷従論』の中で、「国民が隷従に合意しないかぎり、その者(圧制者)は自ら崩壊するのだ」(西谷修監修、山上浩嗣訳、ちくま学芸文庫、2013年)と述べている。要するに、権力者の独裁と戦うには隷従を拒否し、自由になることを日々心掛けねばならないのだ。~では、日本ではどうか。けなげにも、人々は権力に隷従するかのようにおとなしい。それこそ、日本人の美徳だという意見もある。しかし、私はそれを無気力と呼びたい。安倍晋三政権下で起こったさまざまな疑惑が何も究明されないまま、新型コロナウイルスとともに封印されてしまうとすれば、このおとなしさは結局、抵抗権を失った隷従といえないのか。』

戦後大量生産された「サービスされることに慣れ切ったダメなオトナ」達は無気力というよりは自気力のみ?(自分さえ良ければ他がどうなろうと知らん顔で、自分に火の粉が降りかかてきて初めてギャーギャーいうくらいの気持ちしか無い)になっているのでしょう。ダメだこりゃ。

コロナ禍の日本で無気力が蔓延したのはなぜか
忘れてしまった政府に「抵抗する」権利
https://toyokeizai.net/articles/-/398167

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?