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旅の記録を残してみる #9 ~貰ったミラ、極寒の車中泊~

気づけば大学生になっていた。いわゆる進学校にて、コロナ禍で猛勉強。「九州大学に行く連中より高い成績を出して、見下しながら違うところを受ける」という、人間不信絶頂期ゆえの理由だった。確かに1日16時間勉強し、血尿が出るほど。

東京学芸大に行きたかったが、当時付き合っていた彼女に泣かれ、地元の教育大にした。最低な理由だ。なお、入試の前日に別れた。そして、意気揚々と地元の教育大に進学。

しかし、折が合うはずもなく。バイト先でも浮き続ける。自分の理解者はいない、とずっと思い続けていた。常に孤独感に苛まれていた。

そして、ある日、例のラピスと話す。
「久々に旅行かねえか?」

軽自動車との出会い

愛すべきボロ、ダイハツ・ミライース

当然免許はMTで取り、時々実家の日産・ティアナを運転していた。ずっと車を買おうと考え、カーセンサーで50万円くらいで検索を掛ける日々。
そんな中、祖父母共に免許返納。ほとんど使っていなかった車を貰えることになった。

なんと車種はダイハツのミライース。ピンクな上、ナンバーは「11-22」。私に似つかわしくない車にも程がある。この車をもらった数週間後に祖父は死んだ。名義変更の際、ナンバープレートを変更する必要があったが、失意の祖母のために、もう一度「11-22」でナンバーを取得。結果、この車はみんなに覚えられてしまった。

18きっぷに代わる旅

当然、高速道路は使わない。なんと1月2日に、ラピスと広島に下道で行くことになった。目的地は厳島神社。宿も取らない。車中泊だ。

そうして、18歳の冬、令和4年1月2日、4:30。福岡県春日市を出発した。なお、ラピスは免許を持っていない。私のソロ運転だ。本当にしんどい。

のんびりと運転し、7時頃に山口県に突入する。ナビに表れる「直進96.8km」の文字。国道2号線は、退屈で退屈で仕方ない、地獄みたいな道だ。

かなり走った気がしたが、道の駅ソレーネ周南にて休憩。時刻は既に9:30。

ほぼ初運転でごめんよミラ
裏の川は綺麗だった

30分ほど、ここでのんびりしていた。足車として作られたミラに酷い仕打ちである。貰った時の走行距離はまだ15,000km程度だった。それから2年9ヶ月経った今、走行距離は50,000kmを超えている。

しばらく進み、岩国市に到着。寄ったコンビニの近くにあった、西岩国駅の様子を見てみた。

レトロだ
こんな表示を見たのは初めてだ
本当に古いが、味がある

さて、この駅にいたのは11時頃。宮島へ向かうが、とんでもない渋滞に巻き込まれる。

そして、宮島のフェリー付近を通過するも、まったく駐車場が空いていない。本当に酷い渋滞だった。

そのまま、宮島を過ぎてしまう。ラピスとこんな話をした。
「なあ、もう電車で行かねーか?どこか車停めて」

というわけで、フジなるスーパー(?)に行くことに。

旅感ゼロ。食うものは基本こうなる

飯を食うことに。マックへ行った。この時点で13時過ぎだ。4時半に家を出ているので、8時間以上経っている。

適当なところに車を停めて、近かった阿品駅に向かう。広電なるもので宮島口駅へと向かった。

広電

俺らは、電車からは逃れられない運命なのだ。
宮島は、とても綺麗だった。

フェリー乗り場
フェリーからの眺め
鹿

当時、有名な例の鳥居は工事中だった。サクッと旅行を終え、戻ることにした。

帰りはJR

乗り心地がいい…と思いながら、阿品まで戻る。
車に乗り込み、今日の宿泊地まで向かう。目指すは周防大島の小さな無料駐車場。

お守りと共に

いざ、周防大島へ

周防大島に着いたのは、恐ろしくも18:30。気づけばかなりの時間、旅をしていることになる。

道中の景色は、目を見張るような綺麗さだ

まずは風呂に入ろうと、島の細道を走りながら、謎の施設に向かう。

風呂

かなり気持ちのいい風呂だった。若者はほとんどおらず、年寄りの溜まり場となっていた。ここで宿泊もできたのかもしれない、しかし私たちのモットーは貧乏旅だ。再び車を走らせ、島の入り口の駐車場へ入る。暗すぎて何も見えない。

あることに気づく。この島には、コンビニがほとんどない。そこで、もう一度島を出て、コンビニでカップラーメンとおでん、ノンアルのビールを買い、島へ戻る。

晩飯

何をしようにも、車はあまりに狭い。私は寝袋など持っておらず、羽毛布団だけを持ってきた。こんなふざけた車中泊があっていいのだろうか。

車中泊の様子

小さな軽自動車で飯を食ったら、エンジンを切る。1月2日の寒さは尋常ではない。零下の気温の中、硬い軽自動車のシートで凍えて眠った。

帰路へ

起床する。まったく眠れた気がしない。外の景色は、思いの外綺麗だった。

島と向こうをつなぐ橋が見える
壮大な景色だ

まともに眠れていないので、当然眠い。血行も悪くなった。
そして、絶望的に寒い。車は結露まみれで、それが凍りかけていた。無理やりドアを開け、外に出る。海が見える。

島に別れを告げ、朝飯を食いにコンビニへ。肉まんとコーヒーが朝飯だ。

せっかくなので、岩国の錦帯橋と岩国城くらいには行くかと、車を走らせる。9時半頃に錦帯橋へ着いた。

錦帯橋の上より
上からみた図

特に印象もない。
錦帯橋の下の砂利を川に投げ、水切りをして遊んでいた。ラピスは木登りや水切りが引くほど上手い。当たり前のように10回くらい石を跳ねさせる。周囲の人が「すごーい!」と声をあげる。気づけば11時半になっていた。

そして再び、2号線を突っ走ることに。帰りは、中国地方にしかないという「長崎ちゃんめん」に行くことにした。ここには人生で何回行ったのだろう。

さて、そこからの記憶はほとんどない。確か、宗像市辺りの吉野家で20時半頃飯を食った記憶がある。

このような長距離の旅をラピスとしたのは、これが最後だ。
車を手にし、たくさん走ることになる。

私の心は、なぜか当時も深く傷ついたまま。高校時代から、楽しいことはあまりなかった。ずっと居場所を探していたのだろう。居場所を見つけるのは、まだまだ先のようだ。

まだやっていないことがある。
そう思っていた。

~続く~

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