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“浦幌炭鉱跡地を巡る” に参加

浦幌町立博物館主催の、”浦幌炭鉱跡地を巡る” イベントに参加しました。

閉山して70年が経過した浦幌炭鉱、浦幌町立博物館が7月20日から特別展示を行なっています。今回跡地を巡るというイベントが開催されることを十勝毎日新聞で見つけて、申し込んで行ってきました。

浦幌炭鉱跡地自体は過去に3回ほど単独で訪問していました。栄町アパート、鉄道橋脚、尺浦隧道など主だった跡地は見ていましたが、なにぶん深い山の中での単独訪問ということで熊や滑落のおそれなどもあり、道路上から遠目で見るくらいで、あまりしっかりと見ることはしていませんでした。

今回は8名のパーティーでかつ学芸員さんの先導で見て回れるということで、新しい発見もありました。

まず浦幌町立博物館の展示を拝見しながら、解説を伺います。

特別展示の様子
昔の浦幌炭鉱の地図

浦幌は行政区分上は十勝ですが、地層や植生的には釧路だそうで、釧路の炭田の西の端がこの浦幌炭鉱なのだそうです。確かに十勝には他に炭鉱はなさそうです。

ワゴンに乗って現地に向かいます。
ワゴンで走る道すがらも学芸員さんから、炭鉱から浦幌駅へ向かって敷設しようとしていた未成線の築堤の跡、途中の集落の昔の様子などの解説がありました。今では草木に覆われていますが昔の繁栄を想像しながら進みます。

最初の下車地は栄町アパートです。ここは廃墟マニアには有名な場所です。

外観
中はこんな感じ。一部屋の広さは30平米くらいか

いつくらいかは聞きませんでしたが、指名手配犯がここで隠れて暮らしていて、死体で発見されたと言う話でした。

次は病院跡。唯一の病院ですが、山奥すぎてここで扱えない怪我や病気だと転院ができず、ここで最後を迎える以外なかったと言うことで、元の居住者にはあまりいいイメージのある場所ではなかったそうです。

病院の建物の土台と、暖炉?のあと

病院の向かいには山神社の跡があり、その脇に復興記念碑があります。この記念碑も草木に埋もれてしまっていて言われないとわからないです。戦前の休止から戦後再開した際に碑が建てられたそうですが、閉山まで10年なかったそうです。

復興記念碑

クルマで入れる一番奥には鉄道の橋台跡があります。一帯は少し開けており、この辺りに鉱山事務所があったようです。

解説板
鉄道橋台

ここから奥は徒歩になります。坑口は2箇所、双運坑と太平坑があるそうですが、双運坑はもう見れないそうで、太平坑は見れるものの4キロ先ということで、今回は太平坑にいくルートの途中にある吸排気口後まで行きます。

吸気口
排気口

排気口からは水が湧いており、その水に含まれている硫黄分が白く堆積しています。近くに寄ると硫黄臭もします。温度は高くないですが凍らないそうです。

硫黄分が含まれた沼

吸排気口を後にして、尺浦隧道跡へ向かいます。途中足場が悪く、両側崖となっている平均台みたいなところを恐る恐る進みます。独りで来て滑落でもしたら携帯も繋がらないので命取りです。

隧道の前は完全に崩落しています
尺浦隧道の浦幌側
扁額

尺別までは6キロあるそうです。トンネルは2つあり、一旦トンネルを抜けると橋梁があり、それをわたるとまたトンネル、というルートだったそうです。

シマリスさん。突然の人間の登場で驚いた様子。

シマリスくん

これで跡地見学は終了ですが、途中地層が露出しているところに車を止めて地層を見てみます。私は地層よりもズリ山から流れてきている石炭に興味持ちました。これ持って帰ってサウナストーブに入れたら燃えるかな?

石炭

最後の訪問地は浦幌神社。ここに祀られている「乳神神社」の建物が、もともと浦幌炭鉱地区にあった山神社の建物を移築したものだそうです。当時の建物で残っているのはこれのみとのこと。修繕しているので新しく見えます。

乳神神社。きれいにされています

ということで約3時間の見学ツアー。やはり詳しい人に解説していただけると知識も増えますし個人訪問では気づかないところも気づかせてくれます。満足度の高いツアーでした。



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