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花園への道

花園への道

今回から5回に亘って、私が卒業した熊谷工業高等学校の生徒会誌「からっかぜ・第28号」(1996年3月発行)に寄稿した記事を掲載します。
内容のほとんどは、仕事に沿ったアドバイスになっています。
遠い過去の話ですが、昔の話を見聞きするのも学習と思って目を通してください。
中には「なるほど」と思うこともあろうかと思いますので、そこのところは皆さん自身が取捨選択してください。

昔言われていたことが、今に通用するといった事があれば、それは就活にとっての不変の課題という事になります。
もしそれが見つかったならば、その対応をすればよいことになり、一歩前進できたということになります。

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卒業して、はや30年になろうとしています。
学校の近くに住んでいながら、生活エリア内に学校が在りながら、意識のなかでも疎遠になり、訪れることのなかった我が母校、熊谷工高です。

それが、我が子が在籍する、埼工大深谷高校ラグビー部の、父母会活動に関わるようになってから、熊谷工高の名前を聞くことが多くなり、熊谷工高を訪れる機会も多くなりました。

試合の応援のため母校を訪れた折には、私が在籍していた、機械科3年1組のクラス担任をしておられた、荻野先生にお会いすることができました。
機械科3年2組のクラス担任をしておられた福島先生は、深谷第一高校でお目にかかりました。
そんなことが重なって、忘れかけていた母校意識が膨らみ、懐かしさも増幅されてきました。

あるいはそれは、47歳という年齢的なものから生まれる、ある種の感傷がそんな気持ちにさせるのかもしれません。
いすれにしても、ラグビーが取り持つ縁によって、熊谷工高のOBであることの認識を新たにしました。

そんな私の気持ちが、全国大会出場を果たした熊谷工高ラグビー部に、次のような応援メッセージを書かせ、1995年12月7日に、埼玉新聞の紙面を通して、熊谷工高に伝えていただきました。

「花園への道」
花園 それは夢
花園 それはあこがれ
花園 それは青春のシンボル
花園 それは険しい道のり

夢の実現をめざし
あこがれを手にいれようと
シンポルの存在を確かめようと
君たちは険しい道のりを走ってきた

寒風熱射のグランドで
荒川の流れに揉まれながら
秩父連山の重みに耐えながら
汗を流し泥にまみれ
ここまで走り続けてきた

今日の勝利を信じて
明日の勝利を夢見て
楕円のボールに希望を託し
ひたすら練習に励んできた

花園 それは熱き戦いの場
花園 それは感動の場
花園 それは青春の思い出づくりの場
花園 それはいばらの道のり

君たちはいま
そのいばらの道のりを走り抜いた
夢を実現しあこがれを手に入れた
最高の思い出づくりを成し遂げた

折角走って来た道だから
ここまでたどりついたのだから
今日の熱き戦いを乗り切り
明日もまた走り続けようではないか

自身の栄誉のために
ラグビー部の歴史を受け継ぎ
ふたたびの栄光を求めて
さらに挑戦を続けようではないか

花園のスタンドは 君たちの英姿を待っている
花園のグランドは 君たちの汗を待っている
がんばれ 熊谷工高ラグビー部

(次号につづきます)

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