見出し画像

【短編小説】学食にて

 学食のテーブルの上には、食べかけのAランチが行き場を失い、紙クズみたいになっている。
「なぁ、コタ。ここの窓、やたらデカいのな」
 俺がそう言うと、コタはスマホから目を離さずに「あぁ」とか「ふん」とか、超どうでもいい風の相づちを打つ。
「なんか、水族館みたくね」
 ヘラっと話しかけてみたけれど、コタの反応はない。俺はたぶん、Aランチの残骸の上にひとりごとをばら撒いているだけだな。
 窓の外は陽射しが穏やかで、暑くも寒くもないらしい。(ちょうど良いわぁ)ってな表情の学生たちが、こじゃれたモニュメントなんかが配置されている芝生の上で、好き勝手に本を読んだりしゃべったり楽器を演奏したりして時間の隙間を埋めている。巨大なガラスを隔てた場所にいる俺は、回遊魚をぼんやり眺めている水族館の客だ。向こうの世界は、きっと恐ろしく遠い。
「なぁ、サト」
 突然コタが話しかけてきた。相変わらずスマホから目は離していない。
「あのさ、恋愛って、どう思う?」
 ビックリした。愛とか恋とかなんて、1ミクロンも興味なさそうなヤツなのに、いきなり何なの? しかも、俺に聞く?
「どうって? どういうこと?」
「いや、サトは、恋愛について考えたことがあるのかなって、急に気になって」
「急に?」
「うん…… ま、いいや」
 おいおいおいおい、終んなよ。質問しておいて勝手に終了とは何ごと?
「どうした? 何か、あったの?」
 コタはスマホをテーブルに置き、ゆっくり顔を上げて窓の外を見ながら言った。
「わからんのよ。人を好きになるとかさ、誰かと恋愛するとかさ、わかんなくね?」
「え?」
「サト、お前さ、人を好きになったこと、ある?」
 あきらかに俺は動揺している。投げ出した箸を持ち直し、何故かAランチの続きを口に運んで微妙にこぼした。
「先生に、恋愛は大事だって言われて。そう言われましても…… だよな。よくわかんなくてさ。その感情が」
「感情? 恋愛って感情なの?」
「え? 違うの?」
 俺もコタも、そのまま黙ってしまった。ガラスの向こう側を見る。ふたりで手をつないで歩いているヤツら。ふたりで芝生に座って笑い合っているヤツら。よく見ると、ふたりでいるヤツらが多い。こいつら、みんな恋愛をしていたのか。それが何なのかをわかった上で? すげぇな。
(人を好きになったこと、ある?)
 ないな。思い浮かぶ人なんてひとりもいない。大丈夫か、俺。
 コタの横顔を見た。何だか夢を見ているような表情で輪郭が光に溶けそうだ。だけど、感情が読み取れない。いつから、そうだったんだろう。ずっと? いや、待て。何で俺は今、コタと一緒にいるんだろう。

「なぁ、サト。インターネットコオロギって知ってる?」
 コタが、また別の話題を振ってきた。
「は? 知らね」
 俺は、少しホッとして箸を置く。
「あのさ、ずっと昔の実験なんだけどさ。どっかの大学の何とかって教授が、コオロギをふたつのガラスの箱に入れて飼育すんの。ひとつの箱は集団で、もうひとつの箱は一匹だけ。この一匹だけ隔離されたコオロギは、集団コオロギの情報が視覚や聴覚からは得られるんだけど、同じ空間にいないから、他のコオロギに触ることは出来ないんだ。でな、ある日、隔離コオロギを集団コオロギの箱に入れるの」
「うん」
「普通さ、コオロギ同士の闘いは、にらみ合って、相手が逃げたら終わりなんだって。時間にすると、二分か三分くらい。でもさ、隔離コオロギは、相手が逃げても執拗に追いかけて、なんと一時間近くも攻撃を続けて惨殺するんだと。凶暴化するの。で、教授はこのコオロギを『インターネットコオロギ』って命名したそうな。怖くね?」
 俺はコタを見た。ノイズが走る。一瞬、コタの輪郭が崩れたように感じたけれど、すぐ元に戻る。コタの視線の先を追う。俺たちと空間を共有しないガラスの向こうの学生たちが、キャンパスの中庭をゆらゆらと回遊している。俺は、情報だけは潤沢に与えられているのに、触れ合うことのできないコオロギのことを思った。俺とコオロギ。それほど差はねえよなと思う。
「それ、何の実験?」
 俺は、コタに尋ねた。
「人間の心。情動を理解するための実験」
「人間の……」
 心? 情動? それが、恋愛にもリンクするのかな。俺は、向こう側にいる俺を想像する。ひとりで。誰とも触れ合えないで。恋愛の仕方すらわからないで。俺は、いきなりナイフを振りかざし、逃げ惑う学生たちを執拗に追いかけ切り付ける。心を失い、凶暴化する俺。
「コタ。俺たちの心って、まだ大丈夫なのかな? 集団飼育のコオロギみたいに、生きるための暗黙のルールは、ちゃんと心で了解してんのかな?」
「そりゃ、そうだろ、たぶん……」
 コタは、自分でこの話を振っておきながら、もうすでに興味を失っているらしい。スマホに、また視線を戻している。
「同じ空間で、誰かと触れ合えている実感なんて、俺、何ひとつないけどな」
 するとコタは、今日初めて俺の顔を真っ直ぐに見た。
「何マジになってんの?」
 コタの眼には、やはり何の感情も映し出されてはいない。ただの黒い空洞。
「コタ。俺たちは、もうインターネットコオロギなのかもしれないよ」
「は? 一緒にすんなよ」
 コタは、面倒臭そうにそう言うと、席を立ち宙に浮いたような足取りで学食を出て行ってしまった。
 ガラスの向こう側を見る。インターネットコオロギは、きっと怖かったんだろうな。自分以外の存在がリアルに生きている感触が。だから、命の気配を、相手の心を、執拗に消そうとしたんだ。恋愛感情なんて俺にはわからないけれど、リアルな生物への恐怖なら、何となくわかる。俺は自分のバックを開き、鈍い光を放って横たわる登山ナイフに手を伸ばした。

「ねぇ、どうするの? それ」
「わっ!」
 急に話しかけられて少し身体が浮いた。隣の席に人がいる。しかも何の遠慮もなく、俺のバックを覗き込んでいる。
「え? 別に」
 俺は慌ててナイフから手を放し、バックを胸に抱える。
「そう」
 不思議な声。男性か女性か判別不能。顔を見ると、鼻筋がシュッと通っていて、とてもキレイな人。でも、やっぱり性別はわからないな。年齢は、俺より少し上っぽい。
「さっきの話なんだけどね、サト」
「うぇ、怖っ! 何で俺の名前、知ってんの? どっかで会ったことありましたっけ?」
「いや。二人の会話、後ろの席まで聞こえてたから」
「あぁ」
 趣味悪いなぁ。盗み聞きかよ。しかも、バカなれなれしいし。
「サトは、恐怖とか不安は感じられるんだよね?」
「……まぁ」
 何だ、この人。ずかずかと。早く教室に戻りたい。
「でも、情動とか、誰かを好きになる恋愛感情はわからないってことだね」
「えぇっと、すみません。授業が始まるんで教室に戻ります。じゃ」
 俺は立ち上がり、一刻も早くこの場から離れたい一心で嘘を吐いた。午後の授業なんてないのに。
「座りなさい」
 犬に向かって言う(おすわり)と同じ口調で命令された。ムカついたけど、意に反して俺の身体は大人しく席に戻ってしまった。犬か、俺は。
「私の名前はユウ。よろしく」
 ユウは俺に向かって手を差し出した。握手? ヤダな。知らない人の手には触れたくない。俺が動かずにいたら、ユウはテーブルの上でスッと両手を組んだ。指の動きが、めっちゃしなやか。ダンサーみたい。握手した方が良かったかな。
「あのね、恐怖や不安は動物が本来持っているもの。生存するためには必要だから」
「必要?」
「恐怖を感じるからこそ、敵から逃げたり、自分を守る行動がとれるでしょ」
「あ、なるほど」
「でも、恋愛は違う」
「必要じゃない?」
「種の保存のためには多少は必要。でも生殖と恋愛は別だね」
 生殖。子どもを産むことか。好きだから、一緒にいたいってなって、セックスして子どもを作るんじゃないのか? ま、好きじゃなくても出来るよな。セックスも子どもも。なんか、難しい話になって来てんぞ。
 俺は、ユウを見た。ユウも俺を見ている。目、鼻、唇。キレイだな。ハーフアップにしているブラウンの髪は、目の色と同じか。この世界に、俺と違う生き物がリアルにいて、同じ空間でこうしてコミュニケーションをしている。何だろう。この懐かしい感じ。
「ねぇ、サト。愛はね、与えるためにも得るためにも、学習が必要なんだよ」
「学習?」
「愛は本能じゃない。生殖のための原理でもない。学ぶものなんだ。相手の痛みを知りたいと思うこと、相手の心に寄り添い配慮すること、相手の生存を守ろうとすること、相手の幸福を願うこと。それはね、誰にでも出来ることじゃない。恋愛感情よりも複雑で繊細で難しい。学習が必要なんだ」
「学習」
「そのためには、自分の孤独すらも受け入れられる勇気や強さが必要だよ。君に、愛を学ぶ覚悟はあるかい?」
 覚悟? ユウの視線は、俺の目の奥にある何かを見つめているようだ。でも変だな。中庭の学生たちは、みんな重い覚悟をした上で一緒にいるようには思えないんだけど。手をつないで歩いたりおしゃべりすることは、もっと軽くてサラサラしたもんじゃないのか?

 突然、中庭の景色が消えた。目の前にあるのは、無機質なコンクリートの壁だけ。え? 何これ? 学食のざわめきも、テーブルの上のAランチも、一瞬にして俺の周囲からなくなってしまった。ここ、どこだ? 
「ご苦労だったね。田代君」
 先生の声が聞こえた。俺とコタが先生と呼んでいる人。先生は白衣を着て、ユウのすぐ側に立っている。田代君と呼ばれたのは、ユウだ。
「先生…… これは?」
 俺は先生に質問したが、どういうわけだか声が出ない。
「お疲れ様です、先生。サトの学習成果は感じられますね」
「そうだね。怒りや不安の認知は早いし、そこから逃れようとする防衛行動も見られる。仕込んでおいたナイフを握った時は少し焦ったけれどな。まぁ上出来だよ」
 何の話だ? テーブルの向かい側の席にはいつの間にかコタがいて、居眠りしているみたいに首を横にかしげて座っている。少しだけ目を開いたままで。
「やはり、同じ空間を共有して育てていないと情動は育ちにくいですね。皮膚感覚や温もり、肉体的な接触や快感知覚などの経験が蓄積されていないと、愛の学習は困難です」
 先生、ユウ、ちょっと待って。コタ、起きろ。どうした。俺、今どういう状況? 怖い。怖いよ。何が起こってるんだ?
「だが、皮膚感覚や温もりの記憶は埋め込むことは可能だからね。快感知覚は継続的な課題だな。まぁその上で、恋愛感情から愛の学習まで進めて行けると、かなり大きな成果が上げられるはずだ。時間はかかるかもしれないけれど、諦めないことだね」
「はい。先生」
 冷静になれ、俺。状況を把握しろ。ダメだ。身体が動かない。声も出せない。先生はコタを軽々と小脇に抱えて、振り向きもせずに部屋を出て行った。コタ、嘘だろ。お前、小さめの吹き流しみたいにベロベロになって運ばれてんぞ。
「我々だって、愛の本質なんてわかってないんだよ。それをサトに学ばせるなんて、酷だと思ってる。だけどそれはね、我々がこの世界で生き続けるための、唯一の希望になるかもしれないんだ。頼むよ、サト」
 待ってよ。なに気安く頼んでんの? 俺は、今の状況がまったくのみ込めていないんだけど。そもそも…… 
「オレハ、ダレ?」
 少し声が出た。ユウは、キレイなブラウンの目で俺を見ている。 
「あなたは人間、肉体だけはね。脳は人工知能が制御している。人間と科学のハイブリット。とても優秀な子。学習も進んでいる」
「……」
「コタは、ヒューマノイド。人型のロボット。我々が作ったんだ。時々バグって、余計な情報をしゃべってしまう。不良品だな」
 何なの。ヤバいじゃん。勝手に何してくれてんの。
「実験後は、記録媒体から今の会話は削除するから安心して。いつものこと。サトが愛を学習できれば、あなたは愛なき人類の救世主になれる。私たちの希望。さ、休みましょう」
 ユウは立ち上がり、何かの機器が並ぶ方へ歩いて行く。やっぱ俺は、インターネットコオロギと同じじゃん。隔離され、観察され情動を弄ばれるだけの実験動物じゃん。
 ユウが機械のスイッチを切ると、俺は終わる。そして、また同じことが繰り返される。ひでぇよな。ダメだ。嫌だ。嫌だよ!
 俺はナイフを握りしめると、ユウの背中に向かって突進した。

(了)

記事は、基本的に無料で公開していますが、もしもサポートしていただけるのなら、こんなに嬉しいことはありません。励みになります。今後とも、よろしくお願い致します。