しげのぶ真帆

昭和が終わる頃「浜田真実」名義でシャンソン喫茶「銀巴里」にて歌手デビュー。平成の中頃に…

しげのぶ真帆

昭和が終わる頃「浜田真実」名義でシャンソン喫茶「銀巴里」にて歌手デビュー。平成の中頃に、心と身体を整えるボイトレ教室「マミィズボイススタイル」をオープン。声、朗読、民謡、日本の口承芸能に興味あり。現在は、小説とエッセイの執筆もしています。文筆と朗読の「まほろふ舎」代表。

マガジン

  • 【エッセイ】これは動悸かときめきか

    数年前に還暦突破。そうか、残り時間も潤沢にあるわけではないのだな。のうのうとしてはおられん。一作でも、面白い作品が書きたい。表現したい。そんな思いに駆られている私のエッセイなどどうぞ。

  • 【超短編小説】140文字の小説

    140の文字数で表現できる物語を綴ります。

  • 【短編小説】しげのぶ真帆・短編集

    物語を創作したくて、少しずつ書きためたものをこちらに公開します。 ご感想など、いただけると嬉しいです。

  • 【感想文】いろいろ忘れてしまう前に

    子どもの頃、読書感想文が苦手だった。「つまらなかった」の一行以上書けなくて赤点をもらったこともある。だけどそれではいけない。堂々と私はこう感じたと表現できる私になりたい。

  • 【小説】雨音の向こうに

    7歳の修哉と12歳の姉・はるは、横暴な父と無気力な母と暮らしていた。 雨の中にたたずむ修哉とはる。 そして別れ。 10年後。 理学療法士の啓介は、事故で救急搬送され病院内で自殺未遂を起こした高校生、相沢修哉と出会う。 生きる理由を詰め寄り、荒ぶる修哉に振り回される啓介。 やがて修哉は、啓介に頼みがあると打ち明ける。

最近の記事

【エッセイ】好きを伝える、感想を伝える。それが、ものすごく苦手で

私は○○が好き、と公言する。 この作品は○○だと感じる、と表明する。 これが苦手。ものすごく。 通っている小説教室で、提出作品の感想を述べる時、動悸が激しくなる。誰かが「嫌いだ」と評した作品を「好きだ」と感じる時、自分の感性は大丈夫なのかなと疑う。 軸がぶれる。いや、最初から軸などないのではとうろたえる。 私は恐れているんだな。きっと。 くだらない人間だと思われるのが。 意図を読み取れず、浅くてバカ者だと嘲笑われるのが。 「は? どうしてこれが面白いなんて言えんの! ダ

    • 【映画感想】パーフェクトデイズを観たあとで

      ヴィム・ヴェンダース監督作品の「パーフェクトデイズ」を観た。 観終わった後で、新宿の街を歩いた。 行き交う人たちが、映画を観る前とは少し違って感じられた。 何と表現したら良いんだろう。 ちゃんと生きている人がそこにいる、そんな感じ。 あぁ、この人にもあの人にも、日々の暮らしがあって、歓びや悲しみもあって、好きなことや大切にしていることがあって、などと当たり前のことを、とても素直に感じてしまうのだ。 そして、気づいた。 私は普段、街中ですれ違う人たちを、ちゃんと人間として認

      • 【エッセイ】残り時間はわからないけれど

        通っている小説の教室で「読んでおくべき本」の一覧をもらった。 たくさん読めば自動的に書けるわけではないけれど、読む力がない人に面白い小説は書けないはずだから、まずは読む力を付けなければというわけで、どれどれ…… 日本人の現代作家だけで、125人! その上、海外の作家も合わせると、それはそれはとんでもない数の一覧表だった。 既読の作品もあるにはあるけど、読んでない本が多すぎる。 まずい。 私は、圧倒的に読書量が少ない。 日常会話の中で、誰かに作家の名前を投げかけられても、

        • 【エッセイ】静寂・ホスピスにて

          2023年8月14日、父を見送った。 88年の生涯だった。 葬儀場に飾られた遺影は、勤め上げた海上自衛隊の退官記念で撮影した制服姿の写真。 当時父は55歳。 今の私よりも、はるかに若い。 艶やかで晴々とした表情の遺影の父に向かって、ちょっとだけ文句を言う。 「私より、ずっと年下なんだが」 「俺よりも年下よ」 すっかり白髪頭になった、5歳年下の弟も言う。 「だけど、ま、一番、親父らしい写真なんじゃないの」 父のオムツ替えまで淡々と行っていた弟は、ホッと息を吐いてつぶやいた。 「

        【エッセイ】好きを伝える、感想を伝える。それが、ものすごく苦手で

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          25本
        • 【超短編小説】140文字の小説
          4本
        • 【短編小説】しげのぶ真帆・短編集
          3本
        • 【感想文】いろいろ忘れてしまう前に
          1本
        • 【小説】雨音の向こうに
          10本

        記事

          【エッセイ】潮騒を聴きながら・平成3年~令和4年頃

          ■平成前期を生きる 呪いを解き新しい家を作れば  原因不明の喘息も、身体の痛みも出血も、小笠原の数週間で全て快復することが出来ました。ところが、東京に戻り歌の仕事を再開しようとすると恐怖に襲われます。喘息や痛みの苦しさが思い出されて、再び声が出せなくなるのです。  私は歌うことをあきらめて、企業の派遣社員として働き始めました。  平成六年十二月。  三十三歳で結婚しました。シンセサイザーで音楽を創作する重信将志氏です。年が明けて直ぐに、阪神・淡路大震災が起こり、地下鉄サリン

          【エッセイ】潮騒を聴きながら・平成3年~令和4年頃

          【エッセイ】潮騒を聴きながら•昭和52年~平成2年頃

          ■「この道」を爆走する私   中学三年生の時でした。私には、高校進学のための三者面談に足を運んでくれる大人は誰もいませんでした。 「お母さんは?」 「いません」 「お父さんは?」 「いません」  担任の教師は、とても困っていました。母親は薬物中毒からの精神疾患で入院し、父親は母親の後始末に追われて、娘の進学どころではない状況だなんて、恥ずかしくて教師には言えませんでした。 「何か、困ったことがあるんじゃないんか?」  そう声をかけてくれた教師に、私は「大丈夫です」と何も問題が

          【エッセイ】潮騒を聴きながら•昭和52年~平成2年頃

          【エッセイ】潮騒を聴きながら•昭和36年~52年頃

          ■記憶はモノクロ。昭和三十年代から始まります  今から六十年ほど前。  港町の酒場で、海上自衛隊員の若者と愛媛県のみかん農家の娘が出会いました。二人はたちまち恋に落ち、「若過ぎる」という周囲の反対にもめげずに駆け落ち結婚。ステレオタイプの若気の至りですね。  翌年に誕生したのが、私であります。↓  昭和三十七年、愛媛県八幡浜市の町角です。板塀に張られた映画のポスターは「江戸へ百七十里」。しびれます。主演は市川雷蔵。相手役は嵯峨三智子。ちなみに、同時上映・秋祭り豪華番組「私と

          【エッセイ】潮騒を聴きながら•昭和36年~52年頃

          【エッセイ】銀巴里*昭和の光とおさまりの悪い私のこと ③

          「若い人はね、良い光をたくさん浴びて仕事をしなさい」    銀巴里の楽屋でそう話しかけてくださったのは、七十代のベテラン歌手。 ジェンダーを超越された存在で「納涼お化け大会にようこそ」と言ってステージに立ち、話術の巧みさでお客様を爆笑させ、凄みのある少し悲し気な歌声で魅了していた。  平野レミさんは、おしゃべりが始まると、止まらない。「そろそろ歌わなきゃね」とバンドに向かってカウントを取り始め「ワン、ツー、ワンツースリーフォー」の後で、「ファイブシックスセブンエイト、あら?

          【エッセイ】銀巴里*昭和の光とおさまりの悪い私のこと ③

          【エッセイ】銀巴里*昭和の光とおさまりの悪い私のこと ②

           銀座の街を彷徨う。惨めだった。色とりどりのネオンサインが針のように尖って感じられ、沈み込む心と身体に突き刺さった。思い描いた場所にたどり着けない。いや最早、思い描いた場所がどこだったのかもわからない。明日も早朝と夜のバイトのダブルヘッダー。疲れた…… 握った手を開くと、しわくちゃのメモ用紙が出てきた。とにかく今は、コマを進めるしかない。  翌日、電話をかけた。女性の父親らしき人が応対してくれたので用件を伝えると「お話し伺ってますよ」とのこと。女性だと思い込んでいた人は、女性

          【エッセイ】銀巴里*昭和の光とおさまりの悪い私のこと ②

          【エッセイ】銀巴里*昭和の光とおさまりの悪い私のこと ①

           東京、銀座七丁目花椿通りの雑居ビル前に銀巴里跡という石碑がある。この場所には、かつて「銀巴里(ぎんぱり)」という名のシャンソン喫茶があった。   銀巴里の開店は、終戦から六年後の昭和二十六年(1951年)。  バンドの生演奏と本格的なシャンソンが聴ける、日本初のライブハウスとして名を馳せ、美輪明宏さん、戸川昌子さん、金子由香利さん、平野レミさん、クミコさんら、たくさんの歌手が出演していた。  また客席も華やかで、三島由紀夫さん、川端康成さん、野坂昭如さん、吉行淳之介さん、

          【エッセイ】銀巴里*昭和の光とおさまりの悪い私のこと ①

          【短編小説】屋敷森奇譚

           戦争は終わった。  今、俺は故郷にいる。自分の命を確かめるように、長く静かに息を吐き出す。身体に溜まっていた邪気みたいなものが、重ったるい夜の空気にトロリと溶けて行く。両手を広げて、思いきり息を吸う。硬直した肋骨周辺の筋肉が、緊張から解き放たれて久々に自由を取り戻す。 (いいぞ。俺は生きてる)  湧き立つような喜びが、腹の底から身体の外に溢れ出る。もう一度、息を吸う。湿った土と、むせ返るような緑の匂いが肺の中に流れ込んでくる。 (あぁ、懐かしい匂いだ。ここは、屋敷森

          【短編小説】屋敷森奇譚

          【エッセイ】イルクーツクに眠る人

           ロシア連邦イルクーツク州「第七収容所第一小病院」。  かつて日本人捕虜の強制収容所内に存在した病院だ。  旧ソ連政府より厚生労働省に提供された「抑留中死亡者名簿」には、三四四名の名前と埋葬場所の地図が記されていたという。  遺骨の収容が始まったのが、平成十四年の夏。名簿や日本政府の保管資料を照合した結果、その名簿に祖父の名前が見つかった。 『濱田〇〇 昭和二十年十二月二七日 病死』。  祖父の長男である父の元に連絡が届いたのが、平成二十五年の春。DNA鑑定用の検体が採

          【エッセイ】イルクーツクに眠る人

          【エッセイ】32歳クライシス~小笠原逃亡記③

          「いつまで滞在ですか?」  浜でぼんやり海を眺めていたら、女の子に声をかけられた。原宿のサンドイッチ屋さんに勤めている20代の女性だった。 「えっと…… 別に、決めてません」 「そうですか。この島はそういう人が多いんですよ」  彼女も、一人旅だった。翌日、彼女が滞在しているペンションに移った。こちらは女性の宿泊客も多く、二段ベッドの大部屋でも心安く過ごすことが出来た。知り合う人たちは、ほとんど一人でこの島まで来ているという。いつの間にか友人が増え、夜通しとりとめもないことを語

          【エッセイ】32歳クライシス~小笠原逃亡記③

          【エッセイ】32歳クライシス~小笠原逃亡記②~

           その日、竹芝桟橋は重い雲に覆われていた。  小笠原へは唯一の定期便「小笠原丸」に乗り込むしかない。9月末の乗客は少なく、船底に近い3等客室は閑散としていた。船が沈むと、ここの客が真っ先に死ぬんだなと思うと、想像しただけで暗澹たる気持ちになる。どうしよう。帰ろうか。  広いカーペット敷きのフロアには、人ひとりが眠れる大きさに畳まれた毛布が、お行儀良く列を作って並べられている。ここで雑魚寝をして見知らぬ人と28時間も過ごすのか。なんか、惨めだ。その上、用途の分からない金属製の洗

          【エッセイ】32歳クライシス~小笠原逃亡記②~

          【エッセイ】32歳クライシス~小笠原逃亡記①~

           休むことなく走り続けていた足が、突然止まった。32歳の時だった。 「頑張れば報われる」 「努力は裏切らない」  そう信じて走り続けてきたのに、1ミリも前に進むことができなくなった。 「頑張っても、努力しても、何も報われないじゃない!」  私は、自分の不遇を嘆いた。まぁ、還暦を越えた今の私なら、 「そりゃあんた、努力は裏切るものよ~! 休め、休め」  と気楽にカラカラと笑えるけれど、当時は激しく混乱した。  その混乱は、身体を破壊した。歯磨き中に歯ぐきから大量出血する。歩い

          【エッセイ】32歳クライシス~小笠原逃亡記①~

          【エッセイ】愛しの勝新太郎さま③ ~舞台裏の宝物~

           いよいよ公演が始まるという矢先に、萬屋錦之介さんが病に倒れた。急遽、弟の中村嘉津雄さんが代役に立つことに決定し、「宮本武蔵」と「座頭市」の超豪華二本立ての旅公演が始まることとなった。  甘い考えでお恥ずかしい限りだが、私にとってはまさに修学旅行。しかも勝新太郎さんとの旅だ。楽しくないはずがない。出演といっても、舞台をキャーキャーと言いながら通り過ぎる京都の町娘と、貧しい娘「おさわちゃん」の二役だけ。セリフは「とっつぁま~」の一言。時間と余力は充分にある。勝さんとの時間はお

          【エッセイ】愛しの勝新太郎さま③ ~舞台裏の宝物~