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【エッセイ】残り時間はわからないけれど

通っている小説の教室で「読んでおくべき本」の一覧をもらった。
たくさん読めば自動的に書けるわけではないけれど、読む力がない人に面白い小説は書けないはずだから、まずは読む力を付けなければというわけで、どれどれ……

日本人の現代作家だけで、125人!
その上、海外の作家も合わせると、それはそれはとんでもない数の一覧表だった。

既読の作品もあるにはあるけど、読んでない本が多すぎる。
まずい。
私は、圧倒的に読書量が少ない。

日常会話の中で、誰かに作家の名前を投げかけられても、作品名が連動して出てこないことが多い。
あの、ほら、その人、あれだし、ねぇ。
と口ごもる。
カタカナの作品名だと余計出てこない。
たまたま読んでいた作品だとしても、感想を聞かれると頭の中でボウッと音が鳴ったりする。

これは、年齢のせいなのか怠慢のせいなのかわからないけれど、私の脳は、作品を書く人のシステムになっていないんだと思う。

そういえば、声もそうだ。
発声は「耳」が大事。
私たちは耳で聞き取れている音のみ、声として発声することが出来るのだから、インプット(耳・聞く)が豊かだとアウトプット(声・音質)は連動して豊かになる。
インプットとアウトプットは一致する。
文章もそうでしょ。
例外じゃない。

私が、世界をどう受け取っているか。
それが声にせよ文章にせよ、自分の表現には全て表れる。

読まねば!
ってことで、大変遅まきながら今年に入って読むスイッチを入れてみた。
読書は好きなので、読めるはず。
だけれど、遅い。
泣きたくなるほど、読むのが遅い。
そして書くのは、もっともっと遅い。
とんでもなく時間がかかる。
読むのも書くのも、根気と体力が必要なのだと思い知らされる。

今年の秋で63歳になる私は、残り時間が潤沢にあるわけじゃない。
読めなくなる、書けなくなるまで、あとどれくらい残り時間があるのだろう。
焦る。
若いうちからしっかり読んでおけば良かったと歯ぎしりしても、もう遅い。

こうなったら量じゃなく質を高めよう。
上質を目指そう。
丁寧に読み、しっかり受け止め、コツコツと心を込めて書き続ける。
これしかないな。
そう思い立ったのだけれど、机の上には、読もうと思って買っただけの本が日毎に積み重なって行く。

あとはもう、長生きするしかない。















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