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さようなら東京

 東京の夏は最悪で、一歩たりとも外に出たくなくなる灼熱地獄だったが、冬は雪が積もらない。その点において東京は良かった。東京の暮らしは、人が大勢いるだけで、時代の波に乗れているような錯覚と、孤独ではないという安堵感を抱く。終戦直後、上野のガード下に浮浪児たちがウジのように群がり、極めて不衛生な環境のもとで、日々を暮らしていた事実に思いを馳せる。大都市の暮らしは時代との並走感と安堵感が何物にも代え難く、だから都会を求める若者は今も昔もある一定数は存在する。フロンティアを目指すチャレンジ精神や冒険心が若者の足を東京に向けさせるわけではない。私は、時代と同調するつもりもなければ孤独を恐れてもいなかったから、その意味では、東京という町にはフィットしなかったのかもしれない。私には、東京は暑過ぎた。人が密過ぎた。そして何より、仕事が、つまらなかった。東京を出たいわけではなかったが、東京の仕事環境からは脱出したくてたまらなかった。ザ・中間管理職的な葛藤を抱える馬鹿馬鹿しさに、自ら辟易し、逃げ出したくなった。大人なら我慢するべきだったかもしれないし、そうやって辛抱しながら現実と折り合いをつけて生きている人がたくさんいるだろうことも理解しているものの、やはり、自分にはそんな我慢ができず、会社を辞める覚悟で、管理職からの解放と異動の希望を申し出たのだった。今年、2月のことだった。

 結果、私の願いは受け入れられた。東京の土地と人に未練はあったが、3月末をもって東京暮らしを卒業することなった。それはもう奇跡的に何もかもタイミングが良かった。同居の浪人生が最終的に志望し合格した大学は仙台にあったため、東京で借りた1LDKのマンションの荷物は、同時に札幌行きと仙台行きに仕分けられ、父子が過ごした部屋は、きれいに引き払われることとなった。18歳の息子と父親が二人で暮らすという、極めて稀な幸福を味わった一年を噛み締めた。30年以上も昔、大学を卒業し、部屋を引き払った時と同じような感覚。世話になった土地を離れる寂寥感と、自分の幸運な人生への感謝の気持ちと。

あれから3ヶ月が過ぎた。札幌の自宅、かつては5人で騒がしく暮らしていた家に、今は妻と二人で暮らしている。


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