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きっかけ

 会社が定めている「定年後の雇用継続の条件」が変更となった。今までは、役職定年を迎えた60歳以上の社員の収入は50%以下に激減するらしく、それが今回の改訂で80%程度で済むような制度に変更となった。あと5年ちょっとで、そのタイミングを迎える私にとって、このニュースは朗報に違いない。人手不足の日本は人材流出を防ぐ意味でも、このようなベテラン会社員に優しい制度変更を試みる企業が今後増えていくことだろう。

確かに、決まった収入がさほど減ることなく安定的に確保されるのは自分や家族にとってはよいことだし、新規雇用には多大なコストがかかるから、人材減を抑制できるという点で雇用延長施策は企業側にとってもよいことだろう。だが、なにかモヤモヤする。win-winと呼ぶにふさわしい制度変更のはずなのに、今一つ自分の中でしっくりきてない。

大企業の庇護の下で、私はぬるい生活を送っていた。妻の収入もあったおかげで、食べることに苦労したことは一度もない。欲しいものはいつも買うことができており、何かをガマンしたことはほぼない。まあ、家族が全員、少量しかアルコールを摂取できない体質であることと、それに出不精であること。これが奏功して、結果的に「大金を必要としない」家庭だったとも言える。三人の息子を大学に通わせることもできた。一人は中退し、一人は大学院卒業のため、差し引きでちょうど二人分で、もう一人はまだ一年生なので、どうなるかはまだわからない。だが正直、二人の息子がそれぞれ自立したことで、私の気持ちはかなりラクになっていた。

そこにきて今回の「雇用延長に関する制度変更」の話。これを聞いた時の私のモヤモヤの正体は、同世代以上の権力者層に対する私の嫌悪感だった。その制度変更は社会構造の変化にかこつけた「年寄りのエゴ」むき出しの利己的な判断としか思えなかった。現首相を筆頭に「今だけ、金だけ、自分だけ」を貫く往生際の悪い利己主義者たちへの私の嫌悪は沸点に達しようとしていた。少子高齢化社会は紛れもない事実ではあるので、このような議論も出てくるのは理解できる。頭ではわかっていても、体の反応として拒絶していた。
「潔くないぞ、年寄りたち!!」
自分が理想主義的な正義感を振りかざしている「わからずや」だと自覚した上で、そう感じているからしょうがない。

「自分は60歳前に潔く会社を去ろう」

そう決めた。そして、そろそろ準備を始めよう、と思った。

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