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炊飯は直火に勝るものなし

5年ほど前から自宅のごはんは土鍋炊き。理由は簡単。妻が気まぐれで購入した土鍋を使って、いつも食べていた道産米ゆめぴりかを炊いてみたら衝撃的に美味かった。炊飯ジャーで炊いていた同じ米よりはるかに。知り合いからその評判を聞いていたHARIOの「フタがガラスのご飯釜」というエキセントリックな現代土鍋。火にかけて沸騰して、湯気が蓋の頂点から勢いよく吹き上がりそのまま我慢して1分立ったら火を止める。フタのガラス越しに見える鍋の中は溌剌とした澱粉の泡で満たされている。火を止めて10分ほどで食べ頃となる。炊きあがりの米は直立していた。一粒一粒が美しい。隣あう米粒はベタベタといちゃつくことなく矜持を持って独立している。違う。どうしてこんなにも違うのだろう。

たこ焼き器のことを思い出した。家にあったホットプレートのたこ焼き器は、大昔一回使ってそれ以来、自宅の食糧庫の一番奥で眠ったままだった。おそらく10年以上家でたこ焼きを作ることはなかったが、数年前、いただきもので「炎たこ」というカセットポンベを使って直火で焼くたこ焼き器を入手した。それからというもの、家族が集まった時など何かにつけてたこ焼きを焼く機会が増えた。「火力」の差が料理の味を如実に変える。そう実感したのだった。

直火の威力はすごいのだ、と改めて認識すると、「なぜキャンプ飯は美味いのか」とか「電子レンジで温めるより、グリルを使う方が美味い」とか、だいたいの疑問は解決してしまう。方程式としては「電気<ガス火<炭火」で良いだろう。そういえば、グルメ漫画「美味しんぼ」でも「直火の威力」という物語があった。気弱だが腕の良い中華料理人の作るチャーハンの味がいま一つで、その理由を主人公の山岡士郎が見事に当てるのだ。「もうあんたは使用人じゃない、一国一城の主人なんだ! 」と叱咤激励する山岡士郎。「弱気でいると直火を御すことはできない、亭主として強気に生きて炎を支配するべし」と喝破するのだ。よく考えれば、今であればジェンダー問題に抵触しまくる問題発言も、1980年代のおおらかジャパンでは完全スルー。

ともかく直火は大事。いくら炊飯器の性能が上がっても、電気が熱源である限り、直火で炊く土鍋には絶対に敵わない、と断言する。すでに高性能炊飯器の商品名が負けを認めているではないか。「炎舞炊き」「泡火炊き」こぞって追求するのは
直火への肉薄。


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