見出し画像

#2 自分にできることは何?

3人の子どもは立派な大人に育ってくれた。妻も正社員を続けている。再来年で住宅ローンも完済予定。多額の貯蓄も資産もあるわけではないが、贅沢な暮らしを望まなければ、経済的に困窮するようなことはないだろう。西郷隆盛は「子孫に美田を残さず」と言った。下手に財産を残すことは子孫の自立を妨げることになり、良いことではないといった主意らしいが、これを座右の銘として子どもたちには刷り込み済みなので、我が家は財産は残さないし、子どもは皆私の遺産を相続することなど全く期待していない。「借金だけは残さないでくれ」と言われているから、そこだけ気をつけようと思っている。そもそも私は必要以上の金に興味がない。物欲がさほどない。そんな私が定年前に会社を辞めて、何かしようと考えている。

なぜか?  二つ理由がある。

一つ目は、「人生で一度でも本気出してみたい」から。高校生のようなことを言うが、54年生きてきて、何か一つのことに本気で取り組んだことがない。中途半端な達成感の連続ばかりで、上手くいかなかった時は、心の中で「まだ本気出していないだけ」と言い訳を作り、のらりくらりと生きてきた。一度この世に生まれたからには、死ぬまでに一度でも「やり切った」と思えることを作っておきたい。例え、失敗してそれが大きな傷となったとしても、人生最期の時に「後半の人生も攻めてて面白かった」と笑って死ねたらいいと思う。もはや、この歳になって、モチベーションとなるのは、冥土の土産話となるおもしろエピソード作りしかない。

二つ目は、「人の役に立って、この世に自分が生きた証を残したい」から。人はすべからく利己的な生き物で、自分も例に漏れず、突き詰めれば利己的な存在。自分の場合はそれが所有欲や自己顕示欲ではなく「現世へのマーキング」なのだ。自分の子どもを作り育てるというのはその代表例だと思うが、子どもを持たなくても、マーキングの方法は他にもある。自分が「偉人」となって歴史に名前を刻むやり方もあれば、何かの発見や発明、あるいは絵画、音楽などの作品が後世に残っていくことで生きた証となる場合もある。私は自分のことを「つくる人」だと思っているので、その自分の作ったモノが、後世に残ってくれたら良いのだ。問題は、器用貧乏の私、何を作ればいい? と自問自答するが、明快な回答が出ない。何でもできるは何もできないに等しい。さて自分はこれから、何を作り、何を残していくのか、じっくり考えることにしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?