「続ける」こと。そして、そこから生まれる「熱狂」について。
ルヴァンカップ決勝。クラブとして初めて決勝の舞台へと駒を進めた、我らが北海道コンサドーレ札幌の優勝の瞬間を目撃するため埼玉スタジアム2002へ。
コンサドーレもフロンターレもお互い譲らず、延長後半まで点の取り合いが続く劇的な試合展開。PK戦の末、初優勝の称号を手にしたのはフロンターレだったけど、最後まで諦めず戦い続けた選手と最後まで拍手と声援を送り続けたサポーターを本当に誇らしいと思うし、このクラブはまだまだ強くなれるんだということを直接肌で感じることができて、ワクワクが止まらなかった。
この10月は北海道にまつわる2つのことで、「続ける」ことの大切さと、それが生み出す「熱狂」について考えさせられる機会があったので、今日はその話を。
6年ぶりに開催された『水曜どうでしょう祭』への参戦
ご存知の方も多いと思うので詳細は省くが、「水曜どうでしょう」は1996年にHTB(北海道テレビ)で始まったテレビ番組で、その斬新な演出や企画、そして出演者である大泉さんやミスター、藤やんうれしーというD陣による掛け合いが人気を博し、北海道は元より日本全国にファン(藩士)を抱えている伝説のローカルバラエティ番組である。
その「水曜どうでしょう」6年ぶりの新作放送が決定、そして同じく6年ぶりの開催となる「水曜どうでしょう祭」にて、その新作の第1夜と第2夜の先行上映がされることとなった。
18歳まで北海道にいた自分は、当然リアルタイムで「水曜どうでしょう」を見ていた。しかもちょうど人としての感性が形作られる中学〜高校(1996〜2001年)という時期に放送していたわけで、影響を受けない訳がない。
そんなことを知ってか知らずか、前職のプロデューサーから「どうでしょう祭にクライアントが出展するかもなんですが、松重さん企画やりません?どうでしょう好きでしたよね?」という誘いがあったのが7月。当然2つ返事でOKし、企画を考え、その中の一つが通った。人生初の「どうでしょう祭」参戦が決まった瞬間である。
ちなみに、クライアントは「タイーヤマルゼンタイヤマルゼン」のTVCMでおなじみカーポートマルゼン。祭ロゴとonちゃんスタンプが埋め込まれた特製タイヤスタンプを開発し、それをCMよろしく転がすことで世界で一つだけのオリジナルトートバッグが作れるという実にゆるい企画となっている。
なお、ブースのPRタイムというものがあり、その我々のブースはその一発目だったのが、おかげで念願だった藤やん、うれしーと同じステージに立ち、さらには会話をすることができた。これは本当に声を大にして自慢したい。
その場にいる全員から感じた「どうでしょう愛」
一緒にブースを運営するメンバーも全員どうでしょう藩士ということで、ブースのテーマは「自分たちも祭を楽しもう」に。ブースも回しつつ、各自ちゃんとイベントを楽しめるよう交代シフトを組んで、全力で祭を楽しんだ。
来てくれたお客さんも想いは同じだったようで、ゆるい運営にも寛容な態度で接してくれたし、色々な情報を教えてもらったりも。他のブースから来てくれた方もいて、まさに全員で楽しもうというスタンスだった。
そんな中、自分が自由行動をできるタイミングで、メインステージでどうでしょうの名場面をユーザー投票で順位付けする「どうでミー賞」が行われていた。祭に来ている人は基本的に全員穴が空くほどどうでしょうのDVDを見ている人たちなので、どのシーンを見ても「ああ、あの時のあれが来ましたか」という感じになっていたのだけれど、その時に出演者たちが口にしていた言葉が忘れられなくて。
「実際に体験したのは俺らだけのはずなんだけど、みんなが何回も見てくれてるおかげで、まるで共通の思い出みたいになってるんだよな。その場所に一緒にいたみたいな。それをこうやってみんなでまた見て、こんなことあったな〜って、笑えるのって本当にすごいことだと思うんだよ」
大枠ではこんな感じのことを言っていたと思う。でもこれってやっぱり「水曜どうでしょう」という番組を途中休んだりしながらだけど、23年も続けてきたことが全てなんだろうなと。
それに藩士たちがずっとついてきて、放送された内容を何回も見て、もはや自分たちもその場所にいたような気持ちになって、それで新作が出るってなって「こりゃ祭にいくしかない!」ってなって、生まれた「熱狂」がその場にはあったと思ってる。
最終日の夜は全員でメインステージに行って、新作の第1夜と第2夜を見た。今回は「迷走」してると本人たちが語っていたけど、それはまだまだ攻めようとしているということだし、まだまだ「どうでしょう」は完成していないということだ。そう思うと(そんな小難しいことを考えなくてもそう思ったけど)こんなに楽しめるコンテンツはない。普通に声を出して笑ったし、早く続きが見たいと思った。
ちなみに、正直に言うと、この日自分は3回泣いた。1回目は昼。樋口了一さんが「どうでしょう」のために作った「永遠のラストショウ」のMVを観た時。2回目は大泉さんとミスターによるデュエット「手漕ぎボートは海をこえて」を聴いた時。3回目は最後の最後に樋口さんと一緒に会場の全員で「1/6の夢旅人」を唄った時。正直、こんなに泣くほど自分に「どうでしょう愛」があったとは思っていなかった。
でも、その涙を作ったのは明らかに中学生時代から見続けてきた、この「水曜どうでしょう」というコンテンツに対しての蓄積した感情によるものだと思うし、ここまで続いていなかったら、まずこの場にもいなかったし、いたとしても涙を流すことはなかったんだと思う。し、同じ感情を持ったその場にいた人たち、それは出演者、開催側、運営側、参加者すべての人たちが含まれるけれど、みんなの「どうでしょう愛」という名の「熱狂」がこのイベントならびに「水曜どうでしょう」というコンテンツを形づくっていることが分かった。
J1とJ2の降昇格を繰り返し続けて、ついにルヴァンカップ決勝の舞台に立ったコンサドーレ
話は戻ってコンサドーレへ。奇しくもどうでしょうと同じく、1996年に設立したコンサドーレ札幌だけど、正直なかなか上手くいかない時期も長かった。J1に上がっても翌年にはすぐ降格してしまうということが続いたり、経営が危ない時もあった。でも、そんな中でもフロントも選手もサポーターも誰もが諦めずに戦い続けた結果、そんな良いことも悪いことも全ての歴史を自分たちのものにして、今日のような大舞台で、今日のような最高の試合ができるクラブになったんだと思う。
北海道に閉じることなく、日本中にいるコンサドーレファンが集まって、大声で応援して、一つひとつのプレーに一喜一憂して、ゴールが決まったら隣の見知らぬ人とハイタッチするような、そんな「熱狂」を生むクラブに。
「水曜どうでしょう」と「北海道コンサドーレ札幌」が教えてくれたこと
すごく個人的な話をすると、ここ最近めちゃくちゃ焦っていた。独立して半年、仕事はもらえているし、なんとか生きていくことはできそうだと思っている。でも、それが自分のやりたかったことなのか。今までにないアイデアやアプローチで北海道を、日本を、世界を驚かすことをやりたかったんじゃないのか。みんなが嫉妬するようなことをやり遂げたかったんじゃないのか。
独立してからTwitterとnoteを改めて再開した。少しでも話題になるようにと思ってなるべく更新するようにした。こまめに色んな人をフォローしたり、プロフィールを変えたり、色々試した。でも上手くいかない。逆にバズってる人との差を感じるばかり。
何が違うのか、何がいけないのか。作っているもの、やっていること、そして成果も差はそんなに大きくないはずなのに。なぜだ。そもそもこのタイミングで独立したことが間違っていたのか。やはり大手と組んで安定した座組を作るべきなのか。それとも結局は金なのか。色々考えては結論が出ず、ただストレスを感じる日々。本当に今月は不安定な日々が続いた。
けれど、改めて今日ルヴァンカップ決勝でのコンサドーレの試合を見て思ったこと。そして、こないだのどうでしょう祭で気づいていたこと。それはとにかく諦めずに「続ける」ことが、誰しもが想像もし得なかった最高の結果に繋げてくれる可能性があるということだ。
コンサドーレも、どうでしょうも、きっと心が折れそうになることは何度もあったと思う。それでも諦めずに、お金や人やモノと戦い続けた結果、みんなから愛される、そして強いコンサドーレとどうでしょうになったんだと。
今年は色々なところで長く「続ける」ことの事例を見ることができている。例えば、ドラマでいうと、「結婚できない男」や「時効警察」の続編が数年ぶりに出たり。音楽でいうと、小学生の時からずっと好きだったLUNA SEAは途中終幕があったりもしながら、今年で30周年らしい。それぞれ長く続けて、みんなが歳をとったりした中でまた新たに感じるものがあって、より趣深いものになっているんじゃないかなと思う。
だから、たかだか半年くらいで自分を悲観して、焦って小さなところで落ち着いたり、諦めて日和ってる場合じゃないなと、心からそう思ったし、絶対に諦めないという気持ちをもって続けることで、今は想像もできないような結果を出してやるんだと、改めてそう思うことができた。
今は誰からも何とも思われてないかもしれないけどな。ただ、こちとら上に上がっていくことを全く諦めてないし、今はまだない「熱狂」を絶対に生み出してやろうと思ってるんで、そこんとこよろしく。
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