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内観研究所 6回目を終えて 内観となぜなぜ分析

前回の内観研究所の後書いた記事を、こちらで取り上げていただきました。進展の「遅い」と進展の「ない」という言葉の意味をゴロの良さ(キャッチー)だけでタイトルをつけてしまったことなぁと反省しつつ、私もまた「そんなつもりじゃなかった」と言いたくなるのをぐっとこらえて、捉えられた言葉を受け止めることにします。
意見を交流しあうことで、私の思っていたことと相手が捉えたことを深めていく。これこそが大人の対話なのだなあと思うのです。私には圧倒的に「聞く意思」が足りない。

ところで、内観研究所はFacebookグループでの交流があります。
その週にトライしたことを自分なりに表現し、ラボの主催の二人が表現したことに対して深めていくような問いかけをしてくださいます。
ふと、改善活動にも似ているなあと思ったりしました。

トヨタのなぜなぜ分析ですね。工場勤務の方だとなじみがあるような。
根本に迫るという意味では近いのかもしれません。

ところで前回の内観研究所に参加した後、私はノートに色々書き出してそのあと「こんなことをしました」と内観研究所で発表したのですが、こんなことをしましたの具体的な内容に関してはあまりにも膨大になるため割愛してしまったのです。
それを「見せられる所だけ見せてる」ように見えると指摘されました。
もちろん書いたこと全て見せる必要は無いけれど、その中で何が引っ掛かってるのか?そして私がコンプレックスとしてることの根元的な解を見つけるには必要なことではないか?と言われて、私の心に溜め込んでいた鎧の厚みに愕然としましたし、決めつけて出してなかったことに、考えの狭さを知りました。

知ることは明らかにすることであり、諦めることでもありそう。

そこにたどり着くためには、過去を一つ一つ解していく必要がありそうです。

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