意見を言うのは怖いことじゃない
内観研究所林モニカです
内観ゼミの感想を読んだ感想を書いてみました。
「自分の意見を言うのが怖い」と感じてアウトプットが苦手な人に読んでもらえたら、と思います。
「進展のない私達」というタイトルに胸が痛みましたが、正確には「もっと進展していてもいいはずなのに、歩みが遅く感じますね」と、話しました。
本文中では「進展が遅い」と書いてあるので、タイトルにいれる時に「進展がない」とした方が、まとまりがいいかな、と感じたのかもしれないし、脳内で「遅い」が「ない」に変換されたのかもしれない。
どちらでもいいと思います。
人の言葉を聞いて、どう感じるかは自由。
文章も言葉も聞き手のためのものだと思うから。
私自身は「そんなつもりじゃない」って、なるべく言わないようにしてます。
「そう感じたのだなあ」とフラットに受け取るようになりました。
昔は「分からせてやらねば!」と言い争ったり論破していたけれど。
映画の感想ですら言葉にするのを迷う人は「自分の受け取り方が間違ってたらどうしよう」と思って書けないし話せないのかもしれない。
誰かの言葉に対し意見して「そんなつもりじゃないって、言われたらどうしよう」って不安があるのかも。
それって言葉を受け取る側に原因があると思ってる。
自分が恐る恐る言葉にした時は「正確に受け取ってよ!」と思っちゃう。
夫婦だと思い当たる人がいるんじゃないかな?
普段黙ってるけど、言葉にしたんだから
「ちゃんと理解してよ!」と…
コーチング系のセッションは、その思い込みがあると進まない。
話すのも渋々になるし、正解にコーチに伝わらないと不信感が募り「この人に言っても無駄なんだ」とすぐに思ってしまう。
コーチの受け取り方に問題があるわけじゃないかもしれなくて、話す方が「今まで周りの人に分かってもらえなかった」という気持ちを投影してしまってるからかも。
その場合「分かってもらえないでしょうけど」と話してしまう。
そもそもコミュニケーションは対話で理解が深まるもの。
何回かやり取りして、ようやく気持ちって伝わり、理解への一歩が始まるんじゃないかなあ。
会話のキャッチボールって言うよね。
私たちの場合は、えり子さんが参加者さんの内側(in)かは共感をして代弁することでスムーズに対話が始まるんだと思う。
参加者さんが、自分でも言葉にできない気持ちをえり子さんが話すことで整理される。
「分かってもらえてる」と安心感がわく。
すると自分の言葉で話せるようになっていく。
自分のことを理解してくれてるって感じられる人には話しやすいですよね。
そこまで進むと、私から外側(out)からみた意見や質問を投げかけます。
今回の「進展が遅いようですが」も、そうですね。
外側から見た様子を伝えることで、ハッとする。
outからが、止まりやすい。
「自分が外側から見たらどう見えるか」を受け入れるのが難しいみたい。
どこか他人事のように聞き流してしまう。
シゲさんは、止まらない!
記事で書いてらっしゃるように「意図を意識すること」に取り組まれてます。
言葉に投稿に意図を持つ間もなく条件反射的にやってしまってないか、と考えて気付かれたのが
「ありがたいの条件反射」
「普段なにげなく『ありがたい』という言葉で本心を隠してきてないか」ということ。
外側から自分の言動を省みて感じた言葉を文章にしてみる。
ブログをされてない方は、自分だけが読むために書いてる人が多いけど、人に読んでもらい意見をもらうことで磨かれていくと思います。
文章を磨くというよりも、文章を支える自分の意見や価値観を磨くこと。
そうすると特別なテクニックなしに、文章に流れる川が生まれる。
意見を書いて意見をもらうことは議論になりやすい。
議論は日本人が最も苦手とすることだと思う。
それは議論に勝ち負けがつきものという誤解。
だから意見を言わないないようになる。
議論のゴールは論破することではなく、意見に磨きをかけること。
感情的になる必要はないし、感情的になっちゃいけないわけでもない。
歳を重ねるほど、対等な立場で意見を交換しあう機会が少なくなると私も感じてます。
考えを洗練されたものにするために、残り少なくなった内観ゼミでの時間を積極的に使っていただけるといいなと思いました。
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