#創作大賞感想|「誰かいる場所」を読んで
学生時代、私は自他ともに認める「陰キャ」だった。
クラスに居場所がなく、休み時間はいつも本を読んで過ごしていた。
そんな私は例に漏れず図書室に入り浸っていた。
こういう時、人は図書室に行く人と保健室に行く人に分かれる。私の場合は図書室だった。理由は、保健室に行くと本当に具合の悪い人が使えなくなるから。あと、授業はちゃんと聞いていたので保健室でなくても良かった。自分は病人ではないという矜持もあったのかもしれない。
今思えばいい子ちゃんな理由だが、たぶんそれが私を図書室に向かわせた理由の一つでもあったと思うし、少なくとも図書室には居場所があった。
本当は図書委員になりたかったけど、当時の親友と呼べる子が別の子とその座を占めていたために図書委員にはなれなかった。ちなみにほかの委員会は学期制だが、図書委員は年で確定している。
図書委員にあこがれていた私は、図書委員会が開催されている時間(図書委員はいないが貸出業務はある)に図書館で留守番をするという作業を任された。
あまりに図書委員に未練を残していた為に、司書の先生に指名されたのだ。先生は孤独な私に居場所を作ってくれた。
また、私が当時よく読んでいた洋物ミステリーの「ディックフランシスの競馬シリーズ」を見て、
「洋書のタイトルイラストと字を書いて欲しい」と言われた。
「えー!」とか言いつつ、喜んで書いていたことを思い出す。
いい先生だった。
思えば教室の中で居場所がないときに、私はトイレの個室で弁当を食べていた。しかも昼休みではなく放課後のトイレだ。
人がいないところで食べるなら別にどこでも良かっただろうに、私はなぜか弁当を食べる場所にトイレを選び、
昼休みはずっと図書室で本を読んで過ごした。
もしかしたらそんな私を見て、先生は何か察してくれていたのかもしれない。
先生は結構長く司書のお仕事をされた後、図書室カフェというお店を開かれた。ご健在だろうか、久しぶりに行ってみたくなった。
ミーミーさんの記事で懐かしい記憶が呼び覚まされた。
先生がまだ誰かのための居場所を作ってくれていると良いなと、願っている。
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