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フォロワー魂、リーダー魂

SNSの使い方って、人それぞれ。
もちろんこのnoteも。

最初は、なんか気が合うな〜って、
思っても、やりとりしてるうちに、
やっぱりなんか違う…?
みたいなことって、よくある。

こういう所でのつながりなんだから、
変に気を使ったりしないで、
思いを正直にぶつけ合って、
イヤになったら、サヨナラ。
でいいんじゃないの?

ただ闇雲に傷つけ合うのは、
どうかと思うけど、
素直に気持ちを伝え合うから、
ちゃんと深い所で共感できる人に、
出会えるんだと思う。

一時的に分かり合えたと思っても、
深い所でやっぱり違うってなったら、
それはそれでしょうがないことだし、
「やっぱり違いました。ゴメンなさい。」
でいいんじゃないのかなぁ?


あと、
直接的なやりとりがなくても、
一方的に共感してるみたいなことも、
結構あるような…

近付けず、遠くから離れて見てる。
逆に近付きたくない、みたいな。

人それぞれ、
心地いい距離感みたいなものも、
あるだろうし。

でも、リアクションみたいな形で、
つながりを求める人にとっては、
反応してくれないのは、
やっぱりイヤなのかなぁ?

反応がなくなったのは、
相手の興味を失わせるようなことを、
書いちゃってるのでは?
だとしたら、それを書いてる、
素の自分を受け入れるしか、
ないような気がするけど…

それでもついて来てくれる人もいる。
そういうつながりが1番大切なんじゃない?

イエスマンみたいな、
フォロワーの反応ありきで、
自分の存在意義を保とうとするのは、
どうなんでしょう?

初めに、「人それぞれ」って
言いながら、そんな人のやり方に、
物申してる自分…

でもなんか、そういう感じ、
ヤだな〜…って思ってしまいました。

気に触ったら、ゴメンなさい。


黙ってついて来て、
隠れながら見守り続ける。
そんな人が、本物のフォロワー
なんじゃないかと思います。

近くで、みこしを担いでもらって、
気持ち良くなってんのは、
カッコ悪いなって、
自分は思います。


「誰かが、あなたに同意している時、
そこに学びはない。
だが、誰かがあなたに反対した時、
相手の立場を注意深く観察し、
耳を傾ければ、そこに、
大きな学びの機会がある。」

誰の言葉だったか忘れたけど、
人間関係や成長について、
大切なことを伝えてくれていると思います。

そもそも、リーダーもフォロワーも、
ある意味で相手に依存している。
心のどこかでその存在に甘えてしまう。

その状態が長く続くと、
共に成長しなくなる。

求められる役割に縛られて、
新たな可能性を模索しなくなっていく。

そういう停滞感を感じたら、危険信号。

その時は勇気を持って、
新たな挑戦の旅に踏み出す必要がある。

あなたが独り立ちすることでしか、
本当の意味での共存共栄は実現しない。

最終的には、リーダーもフォロワーもなく、お互いに尊重し合える対等な関係がベスト。

そういうつながりが広がっていったらいいなと思います。


このnote上で言えば、
ただ一方的にスキやフォローするだけだと、単なるフォロワー。
記事に対して、自分なりに感じたことをコメントすることで、会話が生まれ、学びが深まり、関係性も密になっていくんだと思う。

変に気を使わなくていいから、共感でも反感でも、感じたことをドンドンぶつけてくれたら、嬉しいです。

そのことがきっかけとなって、共に成長できたら本望です。

こんな変人に関わりたくないって人は、
離れて見てるだけのが無難だとは思いますが…汗

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