【小説】カノコユリの香り⑹了

 昼過ぎに人身事故が発生したらしく、夕日の沈みかけた今になっても、ダイヤには多少のずれが生じている。
 普段よりも人の多いホームで電車を待ちながらインターネットを見ると、どうやら若い女性が身を投げたのではないかということだった。
 そのニュースは、確証もなしに、私を激しく後悔させた。あの時、もっと優しくしていたら、あるいは。私なんかではなく、もっと懐の深い誰かが相手をしてやっていれば、もしかしたら、こんなことにはならなかったのではないか。
 私のせいなのではないか。
 耳に届く噂話が、後ろめたさをぐさりぐさりと刺激する。ここにいる誰もが、私と手との逢瀬を知らず、私が彼女を裏切り見捨てたことを知らず、したがって私を責めることもない。それがまた、私の内側に差した影を濃くするようだった。
 私だけが、彼女の孤独に気づいていたというのに。
 私だけが、あからさまな変化に気づいていたというのに。
 ここにいるうちの果たして何人が、彼女の死を悲しんでいるというのだろうか。そんなことを思い、私は少しだけ独りぼっちになり、しかし暫くすると、自身が周りの有象無象に混ざり、溶け合って消えていくように感じた。
 これはきっと、私のせいでもあるのだろう。
 だけど、こんなことになるだなんて思いもしていなかったのだし、それまでの私はきっと、彼女の孤独を癒す一助にはなっていたはずなのだ。
 だから、私一人の力では、結局どうにもならないことだったのだろう。
 定刻通りに到着した電車は、減らされた便に乗るはずの客がいるせいで、珍しく立ち席も賑わいを見せていた。後ろに並んでいた客から少し押されるようにしていつもの吊り革に近づいて行くと、そこには既に若いサラリーマン風の男が手を通しており、近くに立つ同僚らしき男と談笑をしているのだった。
 どうやら彼らも、SNSで得た情報を基に人身事故の話をしているらしい。動きだす列車内で耳を傾けているうちに、私は彼女のことを新しく知ることができた。
 大きな会社のОLだったということ。
 飾り気のない地味な人だったということ。
 職場で孤立していたのだということ。
 そして、右手がまだ見つかっていないということ。
 そういうことか。
 私は鞄の中をまさぐって彼女の入る余裕があることを確認すると、いつ降りるかも分からない二人のサラリーマンに声をかけた。
 見えていない彼らには、彼女と孤独を分け合うことなどできるはずもない。だから――。
 甘い、花の香りがする。

   了


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