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ショートショート「心の洗濯屋『純心』」

《メーデー! メーデー!》
 
 今の私を何かに例えるなら、濁流に巻きこまれて沈没しそうになっている船だ。
 世の中、沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり。「川の流れのように、人生には良いことも悪いこともある」らしいが、自分には沈む瀬しかないのかもしれない。何故なら最近、とてもショックな出来事が立て続けに起きたのだ。正直、限界である。
 だが、しがないサラリーマンの私が「心身ともに限界だから休みます」なんて言えるはずもなく、今日も会社のデスクでパソコンと向き合っていた。

「穂高君、ちょっといいかな」

 すると課長に呼ばれた。彼は自身のデスクまで来るように、手招いている。

 ──書類でミスった? また怒られるのだろうか?

 心がさらに沈むのを感じながら私は課長のデスクの前に立った。

「……私、何かやらかしました?」
「いや、とても疲れているみたいだから心配になって」
「そんなに顔に出てましたか」
「君を見た誰もがそう答えるだろうね。そんな穂高君に特別な仕事を与えたい」

 課長は「あれ、どこにやったかな」と言いながら、引き出しの中をガサゴソと漁っている。

「あったあった! はい、これ」

 そして彼が私に手渡してきたのは、一枚の紙切れ──旅行券だった。私は券に書かれた行先を読み上げる。

「心の洗濯屋『純芯』?」
「うちの家内がね、福引の抽選で当てたんだが……一名様だし、私より君が使うのが正しいはずだ」
「これと特別な仕事にどんな関係が?」
「疲れていては、いいパフォーマンスはできない。だから、そのチケットで『心の洗濯』に行ってきてもらう……それが特別な仕事だ」

 そう言った後、課長は小さな声で付け足した。

「ここだけの話。休むのも仕事ってことだよ」
「やったーーーーー!」
「君、そんな大きな声出せたのかね!?」

 思わず両手を上げて喜んだ私に、課長は椅子から転げ落ちるほど驚いていた。

 さて有給扱いで得た休みで、私は新幹線とバスを乗り継いで目的地へ向かう。
秘境ともいえる人里離れた場所に、その「心の洗濯屋『純芯』」はあった。見た目は古き良き旅館のようだが……中に入ると、女将だという五〇代ほどの女性が出迎えてくれた。

「ようこそ、いらっしゃいました」
「お世話になります……心の洗濯屋と聞きましたが、温泉宿なんですか?」
「そうですね。ヒノキ風呂に露天風呂、様々なリラクゼーションを用意しております」

 ならば、これは湯治ということだろうか。なら「心の洗濯」というより、「命の洗濯」と言うほうが正しい気がする。だが、そんな思考を読んだのか女将が続いてこう告げた。

「しかしこの純芯の真骨頂は、心のクリーニング屋も併設していることです」
「『心のクリーニング屋』?」

 ひとまず女将に案内された部屋に、私は荷物を置く。
 そして彼女に併設されているという「心のクリーニング屋」へ連れてってもらった。そこは歴史を感じる旅館とはうって変わって、最先端の機器が並ぶ普通のクリーニング屋だ。

「泰治さーん! お客様ですよ」

 女将が声をかけると、奥から熊のような大柄な男が現れた。四〇歳ほどのその男は、私をじろじろと見ると。

「若いくせに疲れた顔をしてんなぁ。体の疲れは温泉で、心の疲れはここで取るとして」

 そして信じられないこと言った。

「だから脱げ」
「……はぁ!?」
「相変わらず説明不足な方ですね。私からお話させていただきましょう」

 そう言って、女将は一枚の真っ白なロングTシャツを取り出して見せた。

「この服は特殊な繊維でできていまして、着た方の心の疲れ──つまり汚れを転写するんです」
「それで、さっき彼は私に脱げと」
「はい、そして心の汚れをクリーニングします。そして静養後に綺麗になった服を着て、あなたの心に戻す……『病は気から』と言うように、どんなに体の疲れをとっても心が疲れたままでは意味がないので」
「なるほど」

 とは言ったものの、そんなことが可能なのか?
 半信半疑だが、私は上半身裸──脱いでいる間、女将には後ろを向いてもらった──になって、そのロングTシャツを着た。すると心を転写したからか、徐々に服が変化した。

「これは……なかなかだな」

 と、私の心を写した服を見て泰治さんが唸る。
 新雪のようだったTシャツには様々なシミが現れ、まるで斑模様だ。彼は手に取って、それを見聞し始めた。

「まずコーヒーのシミだな。普段から飲みすぎてないか?」
「仕事の眠気覚ましに。カフェイン中毒かも」
「で、これは赤ワイン。こっちもどれだけ飲んでんだ?」
「……ほぼ毎日。現実逃避を兼ねてと眠れないので、安いのを寝酒として」
「煙草の焦げ穴も。気持ちはわかるが、これじゃあ体を壊すぞ」
「……すみません」
「ほら、ちゃんと体調管理ができてないから虫食い穴もある。体の調子は心の調子に直結するからな」
「どうして体調管理ができてないと、虫に食われるんです?」
「普通の服だって、ちゃんと管理しないと虫に食べられるのと同じだ。このファンデーションの汚れは?」
「多分、目元の隈を隠すためのコンシーラーですかね。彼女に教えてもらって」
「なるほど……で、次は口紅と。最近、女性関係でトラブルがあってショックでも受けたか?」
「すごい! そこまでわかるんですか!? 実はさっき話した彼女と婚約してたんですが、結婚詐欺師だったんです……金を取られるだけ取られて逃げられました」
「……それは血のシミもできるわけだ」
「いや、私は別に怪我はしてはいませんけど」
「してるんだよ。心が血を流すほど傷ついてる」
「私の心が?」

 乾いて黒くなった大きな血のシミ。私の心はここまで傷ついていただなんて。

「体と違って、心の傷はわかりづらい──こんな状態でよく今まで頑張って来たな。辛かっただろう」

 そんなこと初めて言われた。彼女に騙された件で「可哀想に」とか「ドンマイ」とは周りから言われたが、自分の心に寄り添う言葉はなかった。
 嬉しくて私は目頭が熱くなるのを感じた。

「まず体調管理の見直しだな……安心しろ、その間に俺がお前の心を綺麗にクリーニングしてやる」

 私は自分の心を転写したシミだらけの服を泰治さんに預け、クリーニング屋を後にする。

「では温泉に案内いたしましょう! ここの湯は様々な症状に効くと大好評ですから」

 女将に浴衣を渡され、私は教えてもらった温泉に向かった。

「ふわぁ~」

 大浴場で湯船に浸かった自分は感嘆の声をあげる。お湯に浸かるのは久しぶりだ。いつも面倒くさくて、シャワーだけしか浴びてなかったし。
 そしてお風呂を出た私を出迎えたのは、豪華な料理たちだ。出来立てだから温かく、味はもちろん絶品である。インスタントラーメンやコンビニ弁当ばかり食べていたせいか、口にしたらまた泣きそうになった。誰かの手料理を食べたのは、いつ以来だろう?
 女将や泰治さんの言う通りだ。私は今までどれだけ自分の心身を蔑ろにして、傷つけたんだろう? ……もっと自分を大事にせねば。
 温泉で体はぽかぽか、満腹になった私は泥のように眠った。畳の上に敷かれた布団はふかふかで、お日様の匂いがした。

 ここに来てから数日経った。自分以外にも宿泊客がいたが、来たばかりの人たちは皆一様に酷い顔をしていた。私も当初はあんな疲れた顔をしていたのだろうか? 
 だとしたら、課長が心配するのも無理はない。
 今の自分は体の調子がとてもよかった。ぐっすり眠れているし、栄養バランスのとれた美味しい食事。仕事のストレスもないので、眠気覚ましのコーヒーや煙草を吸う気にもならずに済む。
 運動がてら辺りを散歩したりしたが、私がよく過ごす場所は──。

「お前、またここに来たのか。まだクリーニングは終わってないぞ」

 泰治さんのクリーニング屋だった。リラクゼーションのマッサージなども受けたが、私は彼の作業を見ているのが一番楽しかった。
 職人技と言うべきか、彼の作業には無駄がなく手際がとてもいい。シミ抜きをして白くなっていく服を見るのは、とても気持ちよかった。

「体の調子はどうだ?」
「バッチリです。ここに来る前の自分はまるで沈没しそうな船でしたけど」
「なんだそりゃ」
「『沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり』という言葉がありますが、自分の人生は沈む瀬ばかりで波にのまれて終わるんじゃないかって」
「若者がそんな諦めたようなこと言うんじゃない。『沈む瀬』? 『浮かぶ瀬』だ? そんなの人生が終わった時に初めて、どっちだったかわかるだろうよ」
「そうですか?」
「今は沈む瀬かもしれないが、救いの手を差し伸べてくれる人だっている。ここの券をくれた上司とかいい例じゃないか」

 確かに課長は厳しいところもあるけど、奥さんが福引で当てた旅行券を部下に与えるような優しい人なのだ。感謝の意を込めて、お土産に温泉饅頭を買って帰ろう。

「諦めるな。お前の救難信号をキャッチしてくれる奴は必ずいる」
「……ありがとうございます」

 もしかして沈む瀬に追いやった決め手は、自分自身だったのかもしれない。なんて私は思った。

 滞在最終日。泰治さんは私に服を差し出した。それはクリーニングに出していた私の心。シミだらけだったロングTシャツは、着る前のような真っ白さに戻っている。

「……あれ? これって」

 私は服に船の刺繍が施されていることに気づいた。それに対して、泰治さんが答える。

「あぁ、煙草の焦げ穴が酷かったから刺繍で直したんだ。嫌だったか?」
「いえ、嬉しいです!」
「その船はどんな波でも沈まない……名付けて『穂高丸』だ! これからも頑張れよ」
「はい!」

 私が再びロングTシャツを着ると心を転写した服はスーッと消え、私の中に戻る。心が軽く晴れやかな気分なったせいか、世界が輝いて見えた。

「ありがとうございました!」

 私は女将と泰治さんに見送られながら、心の洗濯屋「純芯」をチェックアウトした。
 今後、また私の心にはシミができるかもしれない。でも自棄になったりせず、頑張ってみよう。足掻けばきっと、浮かぶこともできるはずだから。

 ──さぁ、穂高丸の出航だ!
                        (了)

【あとがき】
 「目指せ! 2024年毎月小説投稿」! 6月編です!
 5月に書いたのは、『103号室の同居人』!

 今月はエブリスタに投稿できなかったので、未公開の過去作を投稿させていただきました!
 読んでいただき、ありがとうございます!

 ここみたいに心の洗濯をしてくれるクリーニング屋があったら、スッキリしそうでいいですよね~
 いつかパソコンと積読している本を持って行って、温泉地の宿で昔の文豪みたいに作品執筆するのが密かな夢です。 


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