ショートショート「私たちのIF」
「ねぇ、ミコトちゃん。今日は何して遊ぶ? おままごと? じゃあ、僕はお父さん役をやるから、ミコトちゃんはお母さん役ね……いい? じゃあ遊ぼ!」
もうすぐ六歳になる息子の大翔は楽しそうに、ミコトちゃんとおままごとで遊び始めた。
しかし、この場には大翔以外には私しかいない。大翔はずっと虚空にいる見えない「ミコトちゃん」に向けて喋り続けて、遊んでいるのだ。
「『イマジナリーフレンド』じゃね?」
居酒屋にて焼き鳥を食べつつ、私の向かいに座る親友の勇樹は言う。彼と私は約四半世紀の付き合いで、親や好きな子の前では言えないことも素直に話すことが出来た。
私はビールを飲み干し、返す。
「『想像上の友達』ってやつ?」
「そう。子供の内はよくあることらしいから、心配いらないって」
「でも幼稚園の子と遊ばないで、いつも一人で」
「相変わらず心配性だな、翔洋は。成長と共に消えるってネットにもあるぞ。ここはドーンと構えて、見守ってやれよ」
「お前は楽観的でいいな」
「ポジティブって言え」
昔から、こうだ。私とは正反対すぎて腹が立つこともあったが、最終的に勇樹の前向きな性格に何度も救われてきたのだ。
「本当、勇樹みたいになりたいよ。俺は」
「なれるさ。なろうと思えば」
「……無理だよ。現に大翔のイマジナリーフレンドを俺は受け入れられない」
「何でそんなに気にすんだ?」
「だって、他の人に見えない者に向かって話すんだぞ。そのせいで虐められたりしたら」
「要するに見えればいいんだな? なら、試しにここ行ってみろ」
勇樹がスマホに表示して見せてきたのは、とある大学のホームページだった。
「ここは発達心理学の研究をしてて、その一環としてイマジナリーフレンドを実体化させてるんだってさ。何か力になってくれるかもしれない」
私は藁にも縋る気持ちで後日、大翔と共にその大学を訪れた。
事情を話すと心理学部の棟の一室に案内される。しばらくすると、優しそうな顔をした初老の男性が入ってきた。
「こんにちは、弓削さん。私はここで『IF』の研究をしている教授の長谷川と申します」
「『IF』?」
「『Imaginary Friend』の頭文字をとって『IF』。私たちはそう呼んでいるんです」
「ここでは、それを実体化できるとお聞きしたのですが」
「はい。架空の存在ですから、観察して記録を取りやすいようロボットを使って実体を持たせるのです。そのためにIFを持つ子供を募っていて……研究に協力していただけるのであれば無償で行いますよ」
「本当ですか! なら、お願いします」
承諾を得た長谷川は、私たちを研究室に案内した。そこには一体のマネキンのような人型のロボットが台の上に寝かされていた。そして長谷川は研究員と共に、作業に入る。
「大翔君。お友達の『ミコトちゃん』について、おじさんに色々教えてくれないかな?」
長谷川はミコトちゃんの姿形、性別、歳、性格などを大翔から事細かく聞いていく。助手によるとIFの設定を引き出して、ロボットにインプットさせるらしい。
するとロボットの見た目が、徐々に変わり始めた。驚く私に、再び助手が補足する。
「あれは特殊な素材でできていて一定の情報を蓄積させると、その内容に適した形状を変えるんです。大翔君の中でIFの設定が変わっても、それに合わせてまた形状を変えて一緒に成長していきますよ」
「それっていつまで? まさか一生?」
「大翔君がIFから卒業すれば、元の素体に戻るので長くて二、三年でしょう。大人になってもいるってことは、ほぼないんで……ここまで開発が進んだのは最近ですが、この実体化させる計画事態はかなり前からあったんですよ」
「──終わりました」
長谷川の声に、私は大翔のIFを見る。その子は、大翔と同じくらいの歳の女の子だった。
「ミコトちゃん!」
「すごい! 大翔くんに触れる! 何で?」
大翔が嬉しそうに駆け寄ってミコトちゃんの手を取ると、彼女自身も触れられることを喜んでいた。
だが、私の心境は違った。ミコトちゃんの顔は去年亡くなった大翔の母で、私の妻である美波にそっくりだったからだ。
「弓削さん、顔が真っ青ですよ?」
異変に気づいた長谷川は、カウンセリングのように私の話を丁寧に聞いてくれた。
「IFができる要因としては色々とありますが、寂しさを紛らわせたり、コンプレックスや自分に足りないものを補うために生まれることが多いんです」
美波の死後、私は大翔を連れて母のいる実家に帰った。
仕事をしつつの子育ては無理だったからだ。それでも空いた時間があれば構っていたが……寂しかったのだろうか。
「お辛いようでしたらミコトちゃんをこちらで預かって、大翔君が会いにくる形でも可能です。これはIFが人間の形をしていない場合の措置ですが」
「そんなことが?」
「子供の想像力は豊かなので、ゲームに出てくるモンスターみたいなこともあって。どうしますか?」
「……連れて帰ります」
本音は、嫌だ。でもここは父親として、大翔の心を優先すべきだ。
「わかりました。注意点ですが、二人には『ミコトちゃんがIFである』ことを伝えないでください」
「どういうことですか?」
「大翔君ぐらいの歳の子は、現実と想像の境界が曖昧です。彼にとってミコトちゃんは実在する友達で、同じくミコトちゃんも自分が想像上の存在だと自覚していません。そんな彼らにIFであることを告げるのは、存在否定に等しい」
「でも、本当のことを言った方が」
「ダメです。自分がIFだと知った子の中には、自暴自棄になって暴走する子もいるので」
長谷川は諭すように、私に言った。
「心配なのもわかりますが、過干渉過ぎても子供の成長を妨げます。逆に社交的なミコトちゃんと接することで、大翔君のコミュニケーション能力が上がる可能性もありますから」
「……わかりました」
こうして私はミコトちゃんを連れて帰り、彼女を加えた四人の生活が始まった。母は死んだ美波にそっくりな彼女に驚いたものの「孫がもう一人増えたわぁ」と、毎日嬉しそうにミコトちゃんの分のご飯を作っている。
通園している幼稚園の職員にも事情を伝え、ミコトちゃんは「一緒に住んでいる大翔の従姉」という設定になった。
「いってきまーす!」
ミコトちゃんは大翔の手を引いて、幼稚園のバスに乗る。今まで私と離れたくないがために愚図っていた大翔も、嫌がることなく素直に乗った。家でもミコトちゃんは姉のように大翔の世話を焼いている。
幼稚園から帰ってきた二人から話を聞いたところ、ミコトちゃんを介して他の子とも交流できているようだ。
大翔も以前より笑うようになったし、ミコトちゃんだって美波似の子供が生まれていたら、こんな風景もあり得たかもしれない。
──よかったんだ。これで。
そんな平和な日常に異変が起きたのは、数か月後だった。
幼稚園の先生から「他の児童が、ミコトちゃんを怖がっている」と、連絡があったのだ。彼女が近づくだけで泣き出す子もいる始末で、理由を聞いても「怖い」「化け物」と繰り返して話にならないらしい。
「ミコトちゃん、他の子と何かあった? 喧嘩とかした?」
私は今日も大翔と仲良くご飯を食べるミコトちゃんに聞くと、彼女は首を傾げ、きょとんとした表情で答えた。
「喧嘩? ミコトは大翔くんを虐める子をやっつけただけだよ」
「『やっつけた』? まさか叩いたりしたのか!?」
「ちがうよ! お父さん」
隣にいた大翔が口を挟む。
「ミコトちゃんは、僕を助けてくれるヒーローなの! 必殺技もあってね」
大翔が目配せすると、ミコトちゃんの口は耳元まで大きく裂け、中から鞭のような触手を数本伸ばした。そして今日のおかずの唐揚げを口に運んで、咀嚼する。大きく裂けた口は閉じると、普通の口に戻った。
大翔は自慢げに告げる。
「この大きな口で、悪い奴を丸飲みにするんだ。でも皆はね、すぐ謝ってくれたからミコトちゃんは食べなかったの」
次の日、私は仕事を休んで大翔とミコトちゃんを大学へ連れてった。
「大翔君の中で、『自分を不快にさせ、害する相手にはミコトちゃんが攻撃する』という設定が追加されてます」
憔悴した様子の長谷川が、私に見解を述べる。
「何とかならないんですか」
「隔離しようとしましたが、嫌がった大翔君に感化されたミコトちゃんが暴れて……これは刺激しないようにしつつ、大翔君がミコトちゃんから卒業する日を待つしか」
ほぼ匙を投げられたようなものだ。
私は仕方なく大翔とミコトちゃんを連れて帰った。誰かを傷つける可能性がある限り、幼稚園に通うことも出来ない。母に私も常に大翔とミコトちゃんの機嫌を伺い、精神が擦り減っていく日々。
「救世主の登場だ、俺を崇めろ! 翔洋!」
そんなノイローゼ寸前のタイミングで、勇樹は突然訪問した。
「来るなら事前に、来るって言え」
ちょうど母は買い出し中で、家には私と大翔とミコトちゃんの三人がいた。
彼女の危険性については事前に伝え、来るなと言っておいたのに。
「お前の心のSOSを受け取ったからな。超特急で来た」
「はは、何だそれ」
おちゃらけた勇樹の態度に、私は久しぶりに笑えた気がした。
「お父さん。その人、誰?」
ミコトちゃんと共に玄関に来た大翔が、私たちを見上げながら聞く。勇樹はしゃがんで、二人に目線を合わせて自己紹介した。
「大きくなったな、大翔君。俺は勇樹! お父さんの友達さ」
「お父さんの?」
「大翔君にとってのミコトちゃんと同じ。はい、お土産」
「わぁ、お菓子だぁ!」
大翔とミコトちゃんはお土産代わりのお菓子の詰め合わせに、目を輝かせてリビングに戻っていった。二人がお菓子に夢中になったおかげで、私は久しぶりに気を抜くことが出来た。本音を話せる勇樹が来てたのもあるだろう。
しばらく思い出話に花を咲かしていると、私のズボンの裾を大翔が引っ張った。
「どうした? 大翔」
「お父さん、楽しそう……僕と一緒の時よりも」
大翔の不機嫌に感化され、ミコトちゃんの口がゆっくりと裂けていく。それに対し勇樹は焦ることもなく、大翔に優しく言う。
「大丈夫だよ。心配しなくても、お父さんにとっての一番は大翔君だ」
「嫌だ! 僕のお父さんを取らないで! 帰ってよ!」
大翔のわがままに、私の堪忍袋の緒がついに切れた。
「いい加減にしろ! 大翔にはミコトちゃんがいるだろ! わがままを言うんじゃない!」
「だって、ミコトちゃんは、友達で」
「想像上のな。自分にとって一番の味方なんだ。俺よりいいだろ」
私の発言に、勇樹が焦ったように立ち上がる。
「馬鹿っ! それを言っちゃ──」
「何で、そんなこと言うの!? 嫌い! お父さんなんか、大っ嫌い!」
大泣きする大翔を見て、自身の失言に気づいた時にはもう遅く。私はミコトちゃんの触手で拘束され、その大きな口で「バクン!」と食べられた。
「あーあ、だからお前は俺から卒業できないんだ」
目を覚ますと、天井とこちらを覗き込む勇樹の顔が見えた。どうやら、私は仰向けで床に寝かされているようだ。
「あれ、俺は」
「大変だったんだぞ。ミコトちゃんから吐き出させるの」
そうだ、私はミコトちゃんに食べられて──大翔は、ミコトちゃんは? どうなったんだ?
起き上がって辺りを見た私は、悲鳴を上げそうになった。
「お前、その体は!?」
勇樹はミコトちゃんに食いちぎられたのか、右上半身が消失していた。その体の断面から見えたのは、血や臓物などではなくコードなどの機器だった。
「ついにバレたな。俺もミコトちゃんと同じ──『IF』だよ」
「そんな、嘘だ。だってずっと一緒に、大人になったじゃないか」
「それはお前がIFだと気づいて、卒業しないまま大人になったから。それに合わせて、俺の姿や思考も一緒に大人になったんだ」
大翔が泣きながら、私におずおずと縋り謝っている。
「……お父さん、ごめんなさい」
いつも寄り添うようにいたミコトちゃんは、素体であるロボットに戻っていた。
「ミコトちゃんを通して、間違いに気づいたんだな。自分中心で、気に入らないことは攻撃すればいいって間違いに。大翔君はミコトちゃんから卒業したよ……翔洋も俺から、卒業する時だ。IFだって知って自覚した今、大人のお前に俺を想像力で維持させることは出来ない」
「待ってくれ! 俺には勇樹がいないと──」「甘ったれたこと言うな!」
弱音を吐く私に、勇樹がピシャリと叱る。
「前に『俺みたいになりたい』って言ったの覚えてるか? なれるんだよ。俺は翔洋が生んだ存在なんだから……実体化して一〇年経った頃、俺は自分が『翔洋のIF』だって教えられた。いや、気づいてしまったかな? 最初は信じられなかったけど、長谷川教授が言ったんだ」
勇樹は私の目をジッと見つめて、告げる。
「イマジナリーフレンドは、生み出した人にとっての『理想の自分』や『もしもの存在』──『if』でもあるって。それを聞いて俺は最後まで翔洋を導こうと思ったんだ。ダチとして」
そこまで言って自嘲するように勇樹は笑い、私を見た。
「こんな形で終わるとは思わなかったけど……大丈夫だよな? 俺がいなくても、ちゃんとやっていけるよな?」
私は勇樹の手を取り、約束した。
「何、俺みたいに心配性になってるんだ。息子に出来て、親の俺が出来ないわけないだろうが!」
「あはは、その意気だ……翔洋のIFとして過ごせて、俺は幸せだったよ」
そして勇樹は、素体のロボットに戻った。
「──今までありがとう。勇樹」
その後、帰ってきた母や長谷川から聞いた話をまとめると、私は二五年前に被験者の第一号としてIFの実体化の実験を受けていた。
だが本来数年で卒業するどころか、五年、一〇年と経ってもその気配がない。むしろ年数を重ねるごとに勇樹の設定も強固になり、勇樹自身もIFだと告げられても自我を保つ稀有なケースとなったので、長期プロジェクトとして記録と観察を密かに行い続けていたのだ。
そのために勇樹の住居など、私の設定に沿った環境が手厚く整えられていたのは驚きだが。
「ずっと黙っていて、申し訳ない」
全てを話し終えた後、長谷川は私に謝罪した。
「いえ、勇樹を実体化させてくれてありがとうございました」
本心だった。騙された事実に少しモヤモヤしたが、それ以上にかけがえのない思い出を得れたのだから。
そして今、私は大翔と幼稚園の前に立っている。大翔自ら「皆に謝りたい」と言い出したのだ。
ミコトちゃんは勇樹と違い、大翔の全てを肯定してくれるIFだった。でもこれから大翔が向き合って、友達になろうとしているのは、そんな簡単な相手ではない。
今までの私なら「無理だ」と大翔を転園させただろう。でも親友の勇樹なら大翔の意見を尊重するはずだ。勇樹は私で、私は勇樹でもある。
なら、私がすることは──。
「大翔、皆に何て言うか。考えたか?」
「『ミコトちゃんのことで、怖がらせてごめんなさい。よかったら僕とお友達に、一緒に遊んでほしい』って言う」
「よし。怖いかもしれないけど、ちゃんと相手の目を見て言うんだぞ」
大翔はミコトちゃんが握ってくれたように、自分で自分の手を握り歩き出した。
きっと私も大翔も大丈夫だろう。想像上の友達で、もう見えなくなったとしてもIFは私たちの心の中にいるのだから。
(終)
【あとがき】
読んでいただき、ありがとうございました!
「イマジナリーフレンド」っていいですよね。覚えていませんが、幼少期の自分にもいたのでしょうか?
今作は、過去に書いた『心海探査艇ふろいと』と『箱庭の心』に続く、「心理学×SF」シリーズの一つです。まぁ、私が勝手に心の中で作ったシリーズですが(笑)
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