ぼくは送別会を開く

 ぼくは送別会を開く。先日、ぼくは送別会を開いた。送別の対象は、大学の放送研究会の先輩である七尾さんと森さんだ。二人は先日大学を卒業し、4月から社会人となる。放送研究会では卒業式の日の晩に4年生の追いコンを開いたのだが、七尾さんからは「行かない」、森さんからは「行けるかどうか分からない」と事前に聞かされていたので、それじゃあ……ということで、ぼくは二人のための送別会を独自に開くことにしたのだ。

 なぜ七尾さんと森さんのためにぼくは送別会を開いたのか。答えは簡単。二人とは「七尾班」で一緒だったからである。

 ぼくが1年生だった頃、放送研究会が小さなメディア系企業から発注を受け、週1で青山のスタジオからウェブ番組(映像付きのラジオ番組)を放送することになった。「仕事」というよりは、その社長の「道楽」である。その社長はうちの大学の出身じゃないし、うちの大学は青山周辺にあるわけでもない。それなのにどうして我が放送研究会にオファーがかかったのかは謎だが、まあ、世の中なんてそんな適当なものなのかもしれない。あるいはその社長が適当だっただけかも。

 さて、週に一度のレギュラー放送。1か月は基本的に4週間である。そこで、ウェブ番組は4つの班が週替わりで担当することになった。毎月第1週目は「宮田班」、第2週目は「七尾班」、第3週目は「野島班」、第4週目は「石毛班」といった具合だ。各班によって番組のカラーは完全に異なる。番組のタイトルも、企画・コーナーも、テーマ曲やかける曲も異なる。「××大学放送研究会 presents」という冠が同じだけで、4つの番組はまったくの別番組であった。

 「七尾班」は、プロデューサーの七尾さん、パーソナリティの森さんと堀切、ミキサーの篠丸、そして構成作家のぼくの男子5人組だった。番組開始当初は七尾さんと森さんは2年生、堀切と篠丸とぼくは1年生だった。番組は七尾さんと森さんが放送研究会から引退するまでの1年3か月間続いた(ちなみにその後、ウェブ番組は4班の週替わり制が廃止され、出演者やスタッフを固定しないスタイルに改められた)。

 ぼくにとって「七尾班」は本籍地のようなものだ。ぼくは「七尾班」にいたのがきっかけで音声ドラマを作るようになったし、「七尾班」で学んだ台本作りのノウハウを活かして脚本を書いていたりもする。実際、自分の音声ドラマには必ず堀切に出演してもらい、篠丸にミキサーを務めてもらった。番組が終了してからも、ぼくは七尾さんのことを師匠と慕ってきた。自分のことを「七尾班」の一員と自任してきた。

 そんなぼくが七尾さんと森さんの卒業をお祝いしないわけにはいかない。というわけで、ぼくは二人のための送別会を開いたのだ。当初スケジュール調整が難航し、七尾さんも「お気持ちだけで十分だから!」と言ってきて(言ってくれて)、一時は開催そのものが危ぶまれたのだが、そこはぼくの粘り勝ちである。3月の第4週、卒業式の前という時期ではあったが、新宿の個室居酒屋で「七尾班20年度生ご卒業おめでとうの会」を開催した。

 JR新宿駅前東口広場に集合。ぼくが集合時間5分前に行ったら、森さんと堀切がもうすでに着いていた。堀切とは春休み中にも一度会ったが(ぼくが去年立ち上げたインカレの放送サークルに堀切も所属しているため)、森さんと会うのは今年初だ。いや、もしかしたら去年の春学期に大学構内ですれ違った時以来、約10か月ぶりかもしれない。森さんが相変わらず一昨年から着ているのと同じ灰色のコートを着ているのを見て、ぼくはその「昔と変わらない感じ」にホッとした。

 森さんが「(ぼくの下の名前)は就活とかちゃんとやってんの?」と小馬鹿にした感じで聞いてきたので、ぼくが「やってますよ! この前も説明会に行きました」と反論していると、少し遅れて七尾さんがやってきた。七尾さんとも対面で会うのはこの日が今年初だったが、相変わらずお洒落である。ただまあ、昔の七尾さんとは違う「社会人オーラ」が出ていましたけどね。ぼくが勝手に嗅ぎ取っているだけかもしれないけど。

 篠丸からは少し遅れるとの連絡があったので、4人で先にお店へ行くことにする。予約した個室居酒屋へ4人を案内する道中、七尾さんから「(ぼくの下の名前)、ありがとね。予約してくれて」と言われたので、ぼくは誇らしい気持ちになる。お店に着いて、七尾さんと森さんとぼくは生ビール、堀切はサワー(たしか青りんごサワー)を注文。ぼくが七尾さんに「ナナさん、乾杯の音頭お願いします!」と言ったら、七尾さんから「おれ? 幹事の(ぼくの下の名前)が頼むよ」と返されたので、ぼくが「いやいや……えっ、そうですか? じゃあ僭越ながら……」と乾杯の音頭を取っちゃったけど、あれってもう一回ぐらい断ったほうがよかったんですかね? それとも「じゃあ森さんお願いします」と言うべきだったのか。考えすぎなんだろうけど、ぼくはいまだにちょっと気になってます。

 15分ぐらい飲み食いしていると、遅れて篠丸もやってきた。前に会った時よりだいぶ髪が短くなっている。「すいません、遅れて!」と言いつつ、篠丸も生ビールを注文。七尾さんが「髪、結構切ったね!」と篠丸をイジると(?)、篠丸は「就活なんで」と答えていた。どいつもこいつも就活の話ばかりだな! 就活以外にやることはないのか?(例えばインカレの放送サークルを立ち上げて音声ドラマの新作を作るとか)。 自分も就活に片足を突っ込んでおきながら、ぼくは今さらそんなことを思う。

 篠丸のビールが来たので改めて乾杯。ぼくと堀切以外はみんな久しぶりの再会なので、若干ぎこちない空気が漂う。番組終わりでこの5人でご飯に行くことはあっても、こうやって改まって集まるのは実は初めてだしね。

 近況報告やら就活の話やらをする。七尾さんは4月から音響制作会社、森さんは大手家電量販店チェーンに就職するとのこと。ちなみに、篠丸はNISA(投資)を始めたとのこと。みんなが「篠丸はさすがだなあ」と言う中、ぼくが「でも森永卓郎は『NISAはやらないほうがいい』って言ってたよ」と言うと、森さんが「お前はどうでもいいことばっかり知ってるな!」とツッコんできて、それで場がようやく盛り上がった。ただ、堀切は森永卓郎が誰なのかピンと来ていなかったみたいで、そこはちょっと申し訳ない。

 お酒が進み、「七尾班」でウェブ番組を作っていた当時の思い出話へ。主には、ぼくが書いていた台本がいかにエグかったか(素晴らしかったか)という話である。七尾さんは「うちの番組の9割は(ぼくの下の名前)のセンスでできていたよ。毎回、『よくそんなこと思いつくな』と思っていた」とぼくを称賛してくれた。ぼくは内心同意しつつ、照れくさかったので、「いや、森さんとホリちゃん(堀切)こそヤバかったですよ!」と話を逸らす。実際、森さんと堀切のコンビネーションはヤバかった。いつも本番前の水曜日に二人で集まって、オープニングフリートーク(約15~20分)の練習をしていたんだもの。そんなの、もはや「フリートーク」ではない。二人芝居の稽古である。ラジオ番組でフリートークを作り込むことには賛否両論があるかもしれないが、出たとこ勝負の薄っぺらい会話を流すよりは、密度の高いトークをお届けしたほうがよいだろう。二人の事前練習のおかげで、うちの番組が「学生の退屈なラジオ」化を避けられたのは確かだと思う。

 その他にも色々なことを話した……とは思うのだが、なにぶん、かなり飲んでいたので細かくは憶えていません。ただ、大手家電量販店チェーンに就職する森さんに向かって、ぼくと堀切で「じゃあ今度、家電を買いに行った時に値引きしてください!」とウザ絡みしたのは憶えています。あと、七尾さんに向かって「ナナさんはぼくの師匠ですから! 縁を切ろうと思っても無駄ですから!」と絡んだのも憶えています。七尾さんは微笑みながら「酔ってんの? 」「(ぼくの下の名前)が元気そうでよかった」と酔っ払いの対処をしてくれた。ナナさんは本当に大人である。

 居酒屋を出る少し前、ぼくは、ぼく以外の4人の集合写真を撮った。そうしたら、七尾さんが「(ぼくの下の名前)も入ろうよ」と言って、自分のスマホで5人全員が収まる写真を撮ってくれた(自撮り形式)。ぼくが「その写真あとで送ってください!」と言うと、七尾さんは「いま送るよ」と言って、「七尾班」のLINEグループに写真を投稿してくれた。いまその写真を見ながらこのnoteを書いているが、実にいい写真である。理想のチーム。最強の5人組。篠丸がキメ顔をしているのが笑える。

 結局七尾さんと森さんにもお金を払ってもらって、居酒屋を出る。もう一軒行くことになったが、森さんと堀切とはここで別れることに。別れ際、ぼくは森さんに「来週の放研の追いコン、絶対来てくださいよ!」と声をかける。森さんは「ゼミの集まりもあるからなー。行けたら行くけど……」などと言っていたが、ぼくは「こっちを優先してください。また連絡します」と厳しく突き放した(失礼な後輩)。

 七尾さんが「この近くに知っているバーがある」と言うので(さすが洒落た大人ですね)、七尾さんと篠丸とぼくの3人だけで二次会のお店へ行く。このお店でのことは本格的にぼくの記憶にありません。階段を上ったのは憶えているし、お店の中が暗かったことも憶えているのですが、それ以上のことは記憶から欠落しているのです。もしかしたら「実はぼくはゲイなんです」と口走っていたりして。……それはないにしても、七尾さんに失礼なことを言っていないかどうかは気になる。まあ、翌日にLINEしたら「ちゃんと帰れたようで安心した!笑」と逆に気遣ってくださったんで、たぶん大丈夫だとは思うんですけどね。

 翌週。大学の卒業式の日の晩、放送研究会の追いコンが開かれた。森さんは途中から遅れて来たが、七尾さんはやっぱり来なかった。「七尾班」の集まりで会った時、七尾さんは用事があるから行けないと言っていたが、本当は石毛さんに会いたくなかったんだろうと思う。石毛さんと七尾さんは1年生の時から仲良しで、部長・副部長のコンビで放送研究会を引っ張っていたが、二人が3年生だった時に伊勢崎香莉奈(ぼくの同期)をめぐって仲違いした。一言で言えば、七尾さんと付き合っていた伊勢崎を石毛さんが奪ったのだ。それ以来、石毛さんと七尾さんは「共演NG」となってしまった。引退後も石毛さんが放送研究会に影響力を持ち続ける一方で、七尾さんはほとんどの部員と関係が絶えてしまった(番組発表会にはぼくの音声ドラマを観るために必ず来てくれたけど)。

 さっき「七尾さんは石毛さんに会いたくなかったんだろうと思う」と書いたが、実際には、七尾さんはみんなに気を遣わせたくなかったのだろうと思う。自分が行ったら石毛さんにも他のみんなにも気を遣わせてしまう。だから七尾さんは「放研の追いコンに行かない」という選択をしたのだ。七尾さんはそういうひとだ。自分を犠牲にして周りを立てる。出しゃばらずに周りを支えるのが七尾祥吾という人間なのだ。……とか言って、本当に何か外せない用事が入っていた可能性もありますけどね。実は七尾さんは心臓外科医でその日はオペの予定が入っていたとか。ひとは見た目によりません。

 七尾さんと森さんが卒業しても「七尾班」は解散したわけではない。その証拠に、ウェブ番組が終了し、お二人が引退して一年以上経ったのに、ぼくら「七尾班」の5人は新宿に集まって送別会を開いた(半ばぼくの無理強いではあったが)。「番組終了」とか「引退」とか「卒業」とかいうのは出来事にすぎない。どんな出来事が起きても、中のひとが「繋がり続けたい」と思っているなら関係性は続くはずだ。石毛さんと七尾さんだって、ああいうことがあっても、もし本当に心の底から「繋がり続けたい」と思っていたらいまでも仲良しだったはずだ。

 これからもぼくは定期的に「七尾班」の集まりを企画するつもりである。まあ、七尾さんと森さんが社会人になってしまった以上、集まるのは難しくなると思うけどさ。でも、「七尾班」の結びつきは永久不変だ。ぼくは「七尾班」の4人と繋がり続けたいと思い続けることにする。最後になりましたが、七尾さん・森さん、この度はご卒業おめでとうございました。新たな門出を応援しております。お仕事がしんどい時は「七尾班」のことを思い出してください。ぼくがぐでんぐでんに酔っ払ったこの前の夜のことも。森永卓郎は「NISAはやらないほうがいい」って言ってました!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?