ぼくは後輩の作品に出演する

 番組発表会が終わった。ぼくは都内の大学の放送サークルで音声ドラマを作っているのだが、年に数回ある発表会のうちの最新回が終わったのだ。夏休み期間中なので全然お客さんが来ないかもしれないと心配していたけど、想定を超える大盛況で(よっぽどみなさん暇だったのか?)、ぼくの作品もお客さんに満足してもらえたようだからホッとした。

 番組発表会が終わる度に、ぼくはいつも燃え尽き症候群みたいになる。生きる意味を喪失する。だからぼくはいつも発表会が終わると、慌ててモニターシート(お客さんの感想用紙)と次回の発表会のことを考えて、つまりは「次の目標」を設定することで絶望を回避する。……ああ、でもぼくらの代は今年度で引退なんだよな。そのうちぼくは絶望を回避することができなくなる。絶望に陥るしかなくなる。未来のことを考えると憂鬱になる。

 さて、今回の発表会では、ぼくは自分の音声ドラマの脚本・演出を務めるだけじゃなくて、他人の音声ドラマに出演もした。出演である。ぼくの記憶の限り、ぼくが他人の作品に出演したのは今回が初めてだ。うちのサークルではぼくが音声ドラマを作るのは当然のことで、ぼくの作品が発表会で大トリを飾るのも当然のことで、ぼくは自分の作品に専念する大御所的存在だと思われているから、ぼくに出演をオファーしようなんて考える不遜な部員はいないのだ(本当はただ単に嫌われているだけじゃないのか?)。

 今回、ぼくに対してそんな不遜な計画を企てたのは一年男子の関口だ。6月の内部発表会ですでに音声ドラマを発表していて、ぼくとしても見どころのある音声ドラマ作家だと評価している。脚本だけじゃなく演出(BGMと台詞のかけ合わせ方だったり、台詞の間合いだったり)にも力を入れているあたりがぼくに似ているとも思う。もしかしたら4月の新歓発表会と5月の番組発表会で観たぼくの作品に影響を受けて、関口はそういう「演出重視」のスタイルを志したのかもしれない。

 ぼくが関口から出演オファーを受けたのは夏休み前のことだった。部会が終わったあと、関口から「今度の作品に出てもらえますか? 演じてほしい役があるんですが」と言われて、ぼくは率直に言ってうれしかった。ぼくはずっと自分で企画を立てて、自分で企画を進めてきた。自分で自分の需要を作ってきた。しかしこれは違う。関口がぼくに需要を見出してきた。他人から「求められる」ということはとてもうれしいことなのだ。

 それに、これはちょっと変態的な発想だが、音声ドラマ作家の先輩であるぼくが、音声ドラマ作家の後輩の作品に出演するというのは、なかなかエモい構造ではないかとも思った。宮藤官九郎の作品に松尾スズキが出演する的な趣がある(ぼくは『あまちゃん』アンコール放送を見ています)。そんな風なことを思ったのは、うちのサークルでは音声ドラマを専門で作る部員が希少種なせいかもしれない(二年生以上だとぼくと宮田しかいない)。

 ただ、ぼくは発表会では自分の作品も上演しなくちゃいけないので、他人の作品への出演と両立できるかどうかが不安だった。だから、ぼくは関口に「スケジュール的に両立できそうかな?」とその場で問い質した。すると関口は「一回だけ練習に参加してくれれば大丈夫です。後半に少し出るだけの役なんで」と返してきた。「少し出るだけの役」と聞いてがっかりしたが、まあいい。ぼくは宮藤官九郎からのオファーに応えてやろう。

 関口の新作は魔術がどうの迷路の森がどうのという話で、ぼくだったら書くことのない世界観の話だった。ただ、シリアスな物語ではなく、台詞も展開も軽くてコミカルで、ファンタジーもののパロディのようですらあった。眼鏡をかけていてクールな雰囲気の関口の外見からは想像がつかない、いい意味で「ふざけた」内容である。やはり関口には才能を感じる。

 この作品でぼくが充てられたのは、終盤で主人公たちに救いの手を差し伸べる神様役だ。ワンシーンだけしか登場しないキャラクターである。こういう風な「使い捨て」のキャラクターをご都合主義的に登場させるあたり、まだまだ関口はシナリオライターとして未熟だよな。でも、ぼくはそんなことは関口には言わない。夏休み中に一度だけ参加した関口班の練習でも、ぼくは「この脚本は……」「ここの演技は……」みたいな話は一切しなかった。自分の意見があったとしても、あくまでも脚本に従って、関口の要望通りに命じられるがまま演技をしようと心がけた。ぼくはずっと音声ドラマを作ってきたので、「脚本や演出に意見してくる出演者」ってやつほど厄介なものはないことを知っているのだ。もっとも、関口はぼくに何も演技指導をしてこなかったので、ぼくの心がけは無駄足に終わったのだが。

 演技について関口から「良い」とも「悪い」とも言われることなく、ぼくは発表会当日を迎えた。関口の作品は前半の部で上演される。ぼくの出番はワンシーンだけだし、ぼくには自分の作品(後半の部・大トリ)があるので、はっきり言って関口の作品のことは片手間である。ぼくの班と違って、関口班は本番前に関係者が控室の一角に集まって「ではよろしく」みたいな儀式をやったりしない。「そろそろセキさん(関口のあだ名)の番組、準備して」というプロデューサーの声に従って、出演者はゆるゆると舞台袖に集まっていく。はあ、締まりがねえな。でもぼくは一人の出演者にすぎないので意見しない。セキさんがこれでいいと思っているならこれでいいのだ。

 結局ぼくは、やりがいをほとんど得られないまま本番を終えてしまった。嚙んだりトチッたりはしなかったが自分の演技に納得いっていないし(自分はこんなにも演技が下手なのかと驚愕した)、「関口班」というチームで何か達成した気にもならなかった(そもそもチーム感自体がなかった)。舞台袖の暗がりで渉外の後輩でもある阿久澤(一年男子)に冗談を言ったり、これまでほとんど話したことがなかった寺島(一年女子)と喋ったりとかいうのが、この度の関口作品におけるぼくの最大の想い出である。

 ただ、やりがいは得られなかったとはいえ、後味は悪くなかった。それはぼくに充てられた役が「主人公たちに救いの手を差し伸べる神様」という大物じみた役柄だったからでもあるが、それ以上に、関口にならうちのサークルの音声ドラマ部門を任せられると確信したからだ(うちのサークルに「音声ドラマ部門」なんていう名前の独立した部門はないが)。

 もちろん、関口は脚本も演出もまだまだぼくのレベルには達していない。足下ぐらいにしか及んでいない。そういう意味では、まだうちのサークルの発表会の大トリ枠を任せるわけにはいかない。でも、明らかに関口はこれから音声ドラマの脚本家としても演出家としても腕を上げていくはずで、ぼくはそれを期待しているし、すでに安心してもいる。買い被りかもしれない。現実はそうならないかもしれない。でも、ぼくはもう確信してしまった。関口、うちのサークルの未来はお前に託す。お前なら番組発表会でお客さんを満足させる大トリ作品を制作できる。勝手ながらそう思う。

 ……なあんて書きましたけどね、言っときますが、ぼくはまだ引退したわけでも何でもないですから! うちのサークルで作品を発表する機会はまだあるし、それどころか自分で新しくサークルか劇団を立ち上げるかもしれないし。老兵はただ消え去ればいいだけかもしれないが、ぼくはそもそも老兵じゃなくて現々々役兵、野球で言ったら進化中の4番バッターである。関口はぼくのライバルだ。いや、ライバル予備軍だ。ぼくの足下ぐらいにしか及んでいない。まあ、それでも及んでいるだけ大したもんか。この夏、ぼくはそういうやつの作品に出演できて幸せだった。

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