ぼくは木村柾哉で切なくなる

 ぼくは木村柾哉で切なくなる。少し前、INIの公式TikTok(@official__ini)で木村柾哉さんのダンス動画を見た。ヨジンという韓国の女性アイドルの「Kiss Later」という曲の振り付けを踊ってみたという動画である。

 「曲も振り付けもかわいすぎないですか??」という説明文を読んで、いやいやかわいいのは柾哉さんあなたですよ……と心の中でツッコみつつ、ぼくはこの19秒間のダンス動画にハマった。たしかに曲も振り付けもかわいいしな。ぼくはこの動画にハマりすぎてしまって、一時期、この動画を毎日10~15分間ほど繰り返し視聴していたほどである(そのせいでバイトに遅刻しそうになったこともあったぞ!)。

 ぼくがINIのファンであることはすでに周囲にバレているので、ぼくはさっそく周りの連中に「この動画はヤバい」と紹介して回った。香川(学科の友人)からは華麗にスルーされ、阿久澤(サークルの後輩)からは無言で苦笑いされ、藤沢(サークルの後輩)からは「また変なの見たんですか」と塩対応を食らったが、由梨(彼女)だけは動画を見て「かわいい!」と好意的な反応を示してくれた。さすが由梨さん。信頼できる審美眼の持ち主だ。

 TikTokのダンス動画にハマった人間が次にやることといったら、そう、元ネタを漁ることだ。ぼくはYouTubeに飛んでいってヨジンの「Kiss Later」のMVを見た。この曲、実は2018年にリリースされた昔の曲だったんですね。ヨジンが「今月の少女」というガールズグループに在籍していた時に発表したソロ曲らしい。

 ……でも……うん……あれれ……?

 TikTokで木村柾哉さんのダンス動画を見ていた時には「たしかにこの『Kiss Later』って曲はかわいい曲だなあ」と気分が上がっていたぼくだが、楽曲をいざフルで聴いてみたら、なんだかとても切ない気分になってしまった。胸が締めつけられる感じがして、そのうちに涙がこぼれそうになった。

 言っておくが、ぼくは韓国語は分からない。実際、いくつかの歌詞和訳サイトで日本語訳を確かめてみても、「Kiss Later」の歌詞は別に切ない系のやつではなかった。とすると、ぼくは「Kiss Later」のメロディに切なさを感じているということになる。メロディだけで感じているということになる。

 もしかしたらこの楽曲のメロディには人間が切なさを感じるようなサブリミナル効果的な何かが仕掛けられているのもしれない。そう考えたぼくは、周りの連中に今度は「Kiss Later」のMVを見せてみた。連中の反応は「いかにも韓国のミュージックビデオっぽい」(香川)、「明るい曲じゃないですか」(阿久澤)、「一番左のバックダンサーの子かわいいですね」(藤沢)といったもので、まったく参考にならなかった。

 頼みの綱の由梨に至っても、「切なくはならないけどな。(ぼくの下の名前)くん、情緒が乱れてるんじゃない?」と言ってくる始末だった。ぼくが「曲の終わりのギターの演奏が特に切ない」と力説しても、「わたしには分からない」「感性はひとそれぞれだから『正しい』とか『間違っている』とかはない」と諭されて終わりだった。別にそういう答えを求めていたわけではないのだが……

 ぼくの身近で音楽に詳しい人間というとアマチュアバンドでボーカルをやっている早瀬(学部の後輩)だが、忙しいとかで最近全然会ってくれないので、結局、この曲のメロディに隠されている(であろう)切なさ成分については謎のままだ。もしこの曲の音楽的なカラクリをご存じの方がいたらコメント欄で教えてください。

 ……さて、話はまだ続く。この前、TikTokの木村柾哉さんの例のダンス動画を久々に視聴してみたところ、なんと、ぼくはこっちにも切なさを感じるようになってしまったのだ。かつてあれほど「かわいい」と思って鬼リピしていた動画なのに、もはや切なさしか感じない。ちょっと見ただけで涙がこぼれそうになる。ラストのピースのところなんて号泣である。こんなんじゃ10~15分間も繰り返し視聴することなんて二度とできそうにない。

 それどころじゃない。INIの公式Instagramに投稿される木村柾哉さんの写真を見ただけでも、ぼくは自然と涙がこぼれてくるようになってしまった。全然悲しげな写真じゃないのに……

 木村柾哉さんは何も悪くない。悪いのは「Kiss Later」である。「Kiss Later」のメロディに隠されている(であろう)切なさ成分のせいで、ぼくの脳は「『Kiss Later』をフルで聴くと切ない」→「木村柾哉の『Kiss Later』のダンス動画は切ない」→「木村柾哉は切ない」と関連付けしてしまって、ぼくは木村柾哉さんの映像や写真を見ただけで切なさを覚える人間に魔改造されてしまったのだ。音楽の力ってやつは怖ろしい。

 ……いや、分かってますよ。音楽の力のせいにしてるけど、実際にはぼくの感性のせいだって。「Kiss Later」の制作者としてはこの曲に切なさを感じる者が出てくるのは想定外だろうけど、感じちゃったもんはしょうがない。由梨の言葉を借りれば感性に「正解」も「不正解」もないわけで、ぼくは、自分がこのかわいらしい曲を聴いて切なくなってしまう人間であることを個性として受け止めるしかないわけだ。

 世の中には色んな感性があっていい。『ジョーズ』を観て感動の涙を流すひとがいてもいいし、『E.T.』を観て怒り狂うひとがいてもいいし、『ジュラシック・パーク』のティラノサウルスにもふもふ動物的な癒しを感じるひとがいてもいい。『シンドラーのリスト』を観ながら大爆笑するひとは人間性を疑われるとは思いますけどね。でも、ぼくは一人ひとりの感性を尊重したい。そのひとの感性はそのひとだけのもので、他の誰かには代えがきかないものだと思うからだ。

 ……とまあ、上手い具合に自己弁護を果たしたところで、本日のnoteはおしまいです(今日の記事は結構短めに済んだでしょ?)。……いやね、ぼくだって薄々気付いてはいるのです。もしかしたら本当に最近のぼくは情緒不安定なんじゃないかってこと。いくら感性はひとそれぞれだからって、木村柾哉さんの写真を見ただけで切なくなっちゃうのはさすがにおかしいと思うんだよな。

 でもまあ、ぼくは、いまのぼくの感性を尊重することにする。そのひとの感性がそのひとだけのものであるように、いまのぼくの感性はいまのぼくだけのものだからね。数か月後どころか数日後には、ぼくは木村柾哉さんの写真を見ても「Kiss Later」をフルで聴いても切なくはならなくなっているかもしれない。だとしたら、ぼくは、いまのぼくならではの感性を「変わってるねえ」「それはそれで面白いねえ」って言って大事にしてあげたい。ふざけているみたいだけど、それがいまのぼくの感性である。

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