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ぼくは百年の孤独を買う

 ぼくは『百年の孤独』を買う。『百年の孤独』というのは、コロンビア出身のノーベル賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスが1967年に発表した有名な長編小説だ。これまで日本では新潮社の単行本でしか出版されていなかったが、この度、ついに新潮文庫版が発売された。筒井康隆による書き下ろし解説付きである。

 昨年の暮れ、「2024年『百年の孤独』文庫化」というニュースが流れた時には日本の海外文学ファンたちのあいだに衝撃が走った。なぜかは不明だが『百年の孤独』は未来永劫文庫化されることがない小説だというのが界隈の常識だったからである。ぼくは海外文学ガチ勢というわけではないものの、『百年の孤独』文庫版が発売されたその日、本屋さんへ『百年の孤独』文庫版を買いに行った。

 買いに行ったからってそれがどうしたと言われそうですけど、まあ、先日投稿した「ぼくは予告された殺人の記録を読む」の続きということで……。『百年の孤独』に挑む前の肩慣らしとして読み始めた『予告された殺人の記録』を読み終わったので、『百年の孤独』を買いに行く。ついでにその話をnoteに書く。これすなわち物の道理である(?)。

 2024年6月26日(水)。『百年の孤独』文庫版発売日当日。ぼくは『百年の孤独』文庫版を学校帰りに有隣堂グランデュオ蒲田店で購入することに決めていた。理由は二つある。一つ、有隣堂グランデュオ蒲田店はぼくが子どもの頃から通っている愛用の書店だから。二つ、『百年の孤独』文庫版に黒色のブックカバーをかけてもらいたかったから。有隣堂では文庫本のブックカバーを10色の中から選ぶことができるのだ。

10枚1組(税込165円)にて販売もしております

 ぼくは水曜日は3限で終わりだ。3限が終わると一人足早に駅へと向かい、ホームでJR中央線(東京方面)が来るのを待つ。待っている間、スマホを取り出し、有隣堂 在庫検索ページで「百年の孤独」と入力して検索。「グランデュオ蒲田店 在庫あり」との表記を確認する。「在庫わずか」じゃなくて「在庫あり」。ということは、おそらく大量に入荷しているのだろう。もしかしたら店舗の入口のところに50冊ぐらい山積みされているかもな。本屋大賞を受賞した次の日の『成瀬は天下を取りにいく』みたいに。よし。これからぼくは『百年の孤独』を取りにいく。

 JR京浜東北線(大船方面)を経て蒲田駅に到着。中央改札を出てグランデュオ蒲田西館へ突入し、上りのエスカレーターに乗る。5階でエスカレーターを乗り換える時、無印良品のフロアから出てきた40代ぐらいの女性客と目が合った。もしかしたら20代イケメンとの昼下がりの情事を期待させてしまったかもしれないが、申し訳ない、ぼくはいまから6階の有隣堂へ『百年の孤独』を手に入れに行かなきゃならんのです。あと、そもそもぼくはゲイなのです。

 6階到着。左に曲がって有隣堂グランデュオ蒲田店へ。入口のところ……には『百年の孤独』は置いてないみたいだな。『成瀬は天下を取りにいく』は置いてあるけど。店内に入る。レジの前のおすすめ本コーナー……にも『百年の孤独』は置いていないようだ。ふむ。ということは、ふつうに新潮文庫の棚に置いてあるのだな。

 文庫本コーナーへ移動し、新潮文庫の棚へ。棚の前に平積み……はされてないな。棚差しされてるのかな。芥川龍之介、安部公房、有吉佐和子……あ、いや、日本人作家の棚じゃなくて海外作家の棚を見ないと。海外作家の棚を……お、カミュだ。『異邦人』も『ペスト』も『シーシュポスの神話』も在庫がある。きっと売れる度に補充されてるってことなんだろうな。さすがはカミュだなあ。……っていやいや、この際そんなことはどうでもいい。『百年の孤独』だ。ぼくは『百年の孤独』がほしいのだ。ガルシア=マルケス……ガブリエル・ガルシア=マルケス……マルケス……ガル……マル…………うーん、ない! 見当たらない! 

 この時、ぼくの小さな灰色の脳細胞は一つの可能性を想定していた。「売り切れ」である。40分ほど前、駅のホームでスマホで確かめた時はたしかに「グランデュオ蒲田店 在庫あり」になっていた。しかし、在庫検索のページに小さく記されている通り、あの在庫検索ってやつは「弊社システムの在庫データを表示しており、実際の店頭在庫とは異なる場合がございます」。実は午前中に『百年の孤独』は売り切れてしまっていたのかもしれない。なにしろ『百年の孤独』文庫版なのだ。文庫化が決まっただけで大ニュースになるようなタイトルなのだ。はあ、おそるべし『百年の孤独』。1か月ほど前から「ぼくは発売日当日に『百年の孤独』を買う!」と由梨(彼女)や香川(学科の友人)を相手にドヤ顔で宣言していた自分が恥ずかしくなってくる。連中と次に会う時に「『百年の孤独』買ったの?」と聞かれたら、ぼくは「いや、それが売り切れてまして……」と情けなく言い訳しなければならない。由梨からは「事前に予約しておかないからそうなるんだよ」と説教されるだろうし、香川からは「日頃の行いが悪いからそうなるんだよ」とイジられるだろうな……

 ……しかし、待てよ。本当に売り切れたのだとしたら、棚のどこかに隙間ができていないとおかしい。短時間のあいだに融通を利かせて配置換えをこなすほど有隣堂グランデュオ蒲田店は器用な書店ではないはずだ(失敬)。もしかすると、店舗の入口でもなければおすすめ本コーナーでもなければ新潮文庫の棚でもない店内のどこかに、『百年の孤独』文庫版は置いてあるのではないか?

 恥を忍んで店員さんに尋ねようかと思案していたら、右斜め後ろに何やら気配を感じた。振り返ると、そこには「新潮文庫の100冊 2024」という大きなポップが掲げられた一角がある。……ン……? ……新潮……文庫……?

 ぼくがおそるおそるその一角に近付くと、はい、ありました。『百年の孤独』文庫版が6~7冊ほどふつうに平積みされてありました。あまりにもふつうに、『ボッコちゃん』だとか『精霊の守り人』だとか『ミッキーマウスの憂鬱』だとかのロングセラー本に混じってひっそりと陳列されていたので、ぼくは「これが本当に『百年の孤独』文庫版? 本日発売の話題のやつ?」と一瞬疑ってしまったほどだ。

 手に取ってページをめくってみてもたしかに『百年の孤独』文庫版で、もちろん筒井康隆の書き下ろし解説も収録されている。狐につままれたような気持ちでそのままレジへ持って行ってお会計。店員さんに黒色のブックカバーをかけてもらう。税込1,375円なり。672ページもあるのだから致し方ないが、文庫本なのに高額である。もっとも、世の中にはもっと値段が高い文庫本はいくらもあって、例えば少し前に買ったロバート・ノージック著『生のなかの螺旋』(ちくま学芸文庫)なんて2,000円以上しましたからね! 単行本が高いというのは真実だとしても、文庫本が安いというのは迷信である。

 話が見事に横道に逸れたところで、そろそろまとめに入ります(ただの日記にまとめも何もないが)。その日、帰宅したぼくは、コンビニの夜勤のバイトに出る前にちょっとだけ『百年の孤独』を読んでみた。まずは筒井康隆の解説から。一行目に「この解説は本文を読む前に解説を読むといった人を対象とする前宣伝のようなものである」と書いてあって、こちらの魂胆を見透かされていたので苦笑い。解説を読み終わり、いよいよ本文へ。訳者は違うが『予告された殺人の記録』と共通のタッチが感じられて、ああ、ガブリエル・ガルシア=マルケスの小説なんだなと思わされた。

 いま、ぼくは『百年の孤独』を読み進めている途中だが、すでにいくつか感想を抱いたりしている。ただ、それを書き始めるとこの記事が「ぼくは『百年の孤独』を買う」ではなく「ぼくは『百年の孤独』を読む」という記事になってしまうので自粛します。代わりに、『百年の孤独』文庫版をこれから買って読むひとのために、新潮社のサイトで公開されている「池澤夏樹監修『百年の孤独』読み解き支援キット」はだいぶ読書の助けになるよということだけお伝えしておこう。これは本当に役に立つよ!

 だがなあ。いまちょっと調べてみたところ、このnoteを書いている時点で、そもそも『百年の孤独』文庫版はどこの書店でもネット書店でも売り切れているみたい。X(旧Twitter)で検索してみても「品切れで困った」とか「転売品をメルカリで買った」とかいう投稿があったりして、2020年春のマスク枯渇を彷彿とさせる大騒ぎである。

 なんとしても第一刷を入手したいというひともいるらしく、「第一刷を探し求めて書店をあちこち回った」と投稿しているアカウントも見かけた。ちなみに、さっきぼくの『百年の孤独』の奥付を確認したら第一刷でした。何の苦労もせず無自覚に第一刷を手に入れてしまって申し訳ありません……。香川からは「(ぼくのあだ名)が持ってるそれをメルカリに出せば高く売れるんじゃないか?」と悪魔のささやきを吹き込まれたが、あいにくぼくはこれを売りに出す気はない。「第一刷だから」とかじゃなくて「ぼくの本だから」。縁あって巡り合ったこの本をぼくは大切にしたいのだ。……いや、100万円いただけるんなら喜んでお譲りしますけどね。

 ぼくは『百年の孤独』を買う。「もしや売り切れ?」と一瞬焦ったけど、近所の書店で無事に買うことができてよかった。おかげさまでぼくはいま、毎日少しずつ『百年の孤独』を読み進めております。まだ5分の1も読み終わってないけど、これがもう面白くてすっかりハマってしまっております。

 ただ、発売日当日、有隣堂グランデュオ蒲田店がなぜ『百年の孤独』文庫版を目立たない場所にひっそりと陳列していたのかは謎だ。ミーハー客を振るい落とすためにわざとそうしたのか。単純に並べるスペースがそこしかなかったからそうしたのか。……まあ、そんなことはどうでもいいか。ぼくは『百年の孤独』を手に入れたのだ。有隣堂の黒色のブックカバーとともに手に入れたのだ。あとはこのとんでもなく面白い小説を読み進めていけばいいだけだ。ぼくはしばらく通学時間に退屈しなさそうである。

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