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【酒場にて】「バーテンダーを口説く」という言葉の意味

11月23日。ほぼ在阪球団の大阪、神戸を結ぶパレード、勤労感謝の日。天候にも恵まれ盛大に執り行われたであろう街並みに、時間を外して夕刻何事もなかったかのような加納町に出た。祝日でも店に立つ。この日常が尊い。


よく見るお客さんが、男性二人を連れて来た。その会話でほどなくお仕事の関係の方々だと判る。耳に入る会話はそれぞれの仕事のパワーバランスだけではなく、年齢や嗜好までをも感じ取れる手がかりである。そうしたものに聞き耳を立てるのは職業柄で、接客用語とは別に僕が投げかける第一声、そのトーンが大切であり、店に立つ者の資質が試される瞬間でもある。

「女性を連れて来たくなりますねぇ」

こう聴こえたのは満更でもない。どこか色気を感じさせる店の雰囲気、それは照明かインテリアか、はたまたロケーションか。まぁ悪い気はしない。

「ハイボールを3つください」

特に銘柄の指定がなければ、いつもお出しするスコッチで作る。ソーダ割りとハイボールが違うのはほとんどの酒場では当然のことで、そう指定されれば、店ごとに味わいの違うハイボールを作る姿を見せ目の前に差し出す。

「あっ、僕はクセのある、ボウモアみたいなウイスキーで」

いつものブレンデッドではなく、ピートの香りが効いたシングルモルトを指定した。ここに連れて来られた一番若い男性だった。

最初の一杯くらい、連れて来てもらった方が注文したハイボール3つに合わせなさいよ。そんなことは言わなかったが、会話の内容から教えを乞う立場の若者だったので、主戦場ではないこの店での振る舞いにここから大丈夫かなと心配になりながら、別のスモーキーフレーバーを出すことにした。


意外にも、酒場の過ごし方とマナーはそれなりのものだった。さすが財閥系大手の営業マンである(これも会話から盗み聞き)。時折出る大きめの笑い声には、耳が痛くなると怒られていたので僕の出る幕はない。そんな中、他のお客さんと話していると、カメラのシャッター音が鳴った。サッと見るとおそらくは、彼が見たことのない目の前に置いたウイスキーのボトルを撮っていたのだろう。その時点では、特に何も言わなかった。

「どうやったらここに来れるんですか?」

1時間ほどが経過した頃、そう聞いてくる若者に僕は、まさに接客用語とは別の第一声を低いトーンで切り出した。いつもの僕の常套句だ。

「先ほどお客様は、女性を連れて来たいと話されてたのを聞きました。目の前の人、それが好きな人でも取引先でも、口説き落としたければ、まずはバーテンダーを口説いて欲しいのです。私のことも知っていただければ、通り一辺倒な接客ではなくなり、演出もスムーズでしょう。ただ…」

少し間を置いて、その若者をジッと見ながら続ける。

「見たことがないウイスキーだったのでしょうか。ボトルの写真を撮っていましたね。一言、お断りいただけると良かったのですが、フラッシュも点いていませんし、誰の妨げにもなっていないのでそれ自体に問題はありません。おそらくその画像を元にネットで調べて、また他の店でそれをオーダーする時の情報にされるのでしょう。ただ、知識としてのそれはその域を越えないものです。そんな時に酒場ではこっそり撮るのではなく、なぜこれを出したのか、この酒にはどんなストーリーがあるのかなどバーテンダーに委ねて、知識から知恵に変える方がいい。『生きた情報』は現場でしか得られない。それこそがすなわち、バーテンダーを口説くということなんですよ」


そこから小一時間、大丈夫かと思うくらいひとしきり飲んだ彼は帰り際、「さっきは失礼しました」と頭を下げ最後に店を出た。

「次は、僕を口説いてくださいよ」

その背中に声を掛け見送った。


僕はこうしてまた、生きた経験を身に着けた。

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