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入門は、あとでする

月曜日。取引金融機関の担当の呼び出しに会う。法人化(有限会社シガトシヤ環境デザイン工房と申します)しているメリットは多少感じる話もあったが、先行き不安はそれなりにある。その後早めに店のある加納町に向かいかけたが、マチの様相も気になって車で色々見て回る。磯上にほど近いカフェでコンセントを借りながらPCを開いていたら、聞き慣れた笑い声がして、それがビーフ神農とウォーリー(を探せ)土井だと判り声を掛け、テラスで近況を交換する。偶然の三人、三者三様、今を乗り切ろうと元気になる。

夜の店。自然と普段は観ないYouTube映像を漁ったり、そう言えばJKゴルファーのナカちゃんが好きだと言ってた青リンゴ夫人(Mrs. GREEN APPLE)やOfficial髭男dism(ヒゲダンスじゃない)ってどういう人が歌ってるのか知らない(タイアップが多いからもう56歳の僕もギリギリ曲は知ってはいたが、それはまるで、バイトまでしてたディスコ世代の僕で言うこの曲知ってるぅ〜、けどどんな人かわかんなぁ〜いってことと同じだ)なので調べてみたりして、空いた時間をどう過ごすかで意外な知識だけは増える。

そして、読みかけの本がある。
それらを開く前に、なぜ読みかけだったかを考えてみる。

小説は最後まで読むことが多い。自分と名前の似ている志賀直哉に関しては、名付け父親に反発していた過去でほぼ読まないでいたが、30過ぎてから一通り読んでみても苦手な文体だった。直哉を受け入れられない敏哉がいた。それでも小説はなんとかなる。問題は「入門書」であった。

デザインに関わる仕事だと言っても、実際のところデザイナーとクリエイターの違いや、デザインそのものの意味、レディメイドとハンドメイドの立ち位置など、ほとんどの人がそういうことを意識して働いていない。デザインが片仮名で認識され、誰もが「加工」できる世の中である。下積みや修行などショートカットな世代には、センスだけで切り抜けられることもある。(ただ、極端に字やスケッチが下手な子が多いことには少々驚く)

生まれた頃からコンビニも携帯電話もPCもある世代と、生まれた時には駄菓子屋と乾物屋しかなかった僕ら(ええ、マクドナルドは僕が7歳の時に初めて日本にできました、王将一号店は中学一年、京都四条大宮にですよ)から自慢できることと言えば「プロセスに重要度を置く」ことくらいである。

広告デザイン事務所に世話になった頃、
最初に渡されたのがデザインソフトの入門書だった。

これが相当厄介だった。家電の取扱説明書は隅々まで読む方である。しかしながら、手探りのその先にカタチの見えないハードではないソフトに関しては、まさにその柔らかい曖昧さに躊躇した。顔にソフトクリーム、カラダにラーマソフトを塗りたくられる感触、つまり無抵抗になすがままである。

例えばあなたが「ラグビー入門」という本を手にした時に覚えようとするのは、複雑だと思われがちなルールであろう。見慣れない片仮名を理解しようと目が留まりページをめくる手も止まる。しかし、ラグビーワールドカップ2019で判った。直接的に目に入る選手の姿、彼らそれぞれを象徴する得意なプレー、そして ”ラグビーのフィールドとは違う”番組でのパーソナル。知識とは過去のものであり、知恵は未来から訪れるものだと知った。

無理やり覚えよう、詰め込もうとした知識は、その対象に「触れる」ことで知恵となり自分の言葉になる。要するにその触れ方や姿勢が重要であり、それは古い映画をもう一度観た時(できれば初回とは幾年月を経た方がいい)に感じる気持ちに似ていて、初めて訪ねた門をくぐる日を思い出しながら再び対峙してみる。デザインソフト入門書はただの蔵書となっていた。しかし多くの人と会い苦い経験もし、入門時とは違う自分でそれに向き合うことにより、すんなりと心に染み入る言葉となってゆく。知恵が生まれる瞬間。

初心者や入門書を馬鹿にする人間には見えない未来。絶対的な自信と、自分に足りない部分を補ってくれる仲間への尊重。知識だけでは勝てない。

今こそ、仕舞っていたままの入門書を紐解こう。

と言いつつ、この文章を書いているすぐ横で読みかけの本は読みかけのまま、僕はYouTube期間限定LDH配信、E-girlsの門扉を開けようとしている。

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