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僕がなぜ、カウンターにこだわるのか。

2月15日、日中は幾分暖かい火曜。まん延防止等重点措置は延長になるようである。ほぼ休業中の店で、近頃志賀さんは何やってるの?と聞かれたりするが、店には換気と掃除に週の半分は行き、アトリエで昼間の仕事をし、誰に読ませるでもないエッセイや小説を書き溜める時間もある。ほぼ毎日店に立つことがままならないのなら北京五輪や映画を観るのもいいが、これまでの足跡を倣うようにできる限りいつも通りを志す。新たなことにチャレンジするという行為より、ルーティーンを保つことこそに挑戦し続けたい。

確定申告が近づいている。弊社約款には「飲食店の経営」以外に諸々あるが、自我の同一性の大半は加納町の店にあると言ってもいい。できることならそこに居たいが、来訪者に時間を気にさせてしまう不健全な酒場である以上、予約でもない限り胸を張って開けることもできずにいる。つまりは、ありがたいことに支援金、協力金に助けられる飲食業界の端くれであり、それは翻って事業収入である以上は課税対象にもなる。おそらくこの春、慌てふためく飲食店経営者が増える。これまで納税したことのない額、ましてや納税自体をしたことのない輩は、逃れようのない数字に苦悩するだろう。


そんな中、今にしかできないことをやる。昨年9月の緊急事態宣言の休業中にカウンターの塗装をやり替え、10月22日には宣言が明けてやっとの再開。リモートや家飲み、生活リズムの変化により深夜時間帯の苦戦が続いたが、堂々と街に繰り出す来訪者は増えた。通常の営業を奪われた2021年の大半から心身共に取り戻し、自分の居場所が身に染みた。明けて今年の1月27日、まん延防止等重点措置ふたたび。飲食店・遊興施設に時間短縮を要請、21時(酒類提供20時半)までの営業は、酒場には休業を匂わせた。

磨いたカウンターは輝いていたが、何かが違う。光沢の濃淡がカウンター越しにはっきりと見えた。無垢の米松に見られる年輪、木目の濃薄のことではない。少しずつ塗膜の厚みの差が出始めて、グラスを置いた時の音、安心感にムラがある。人によってはどうでもいいことが、気になって仕方がない。

音楽はやらない(できない)が、ギターやウッドベース、弦楽器に近い話なのかもしれない。奏でる音質、聴く者が感動すら覚える音色に素材の仕上げは影響するのだろう。近年、トイレの便器素材にも陶器と有機ガラス系があり、汚れがつきにくい、軽い、作業がしやすい、機能的であるなど一長一短が存在し、重厚で落ち着きを放つ色合いには好みも分かれるはずだ。

今週、完全に店を閉めて、カウンター3度目の補修工事に入った。全体に白木の目が出るまで研磨する大掛かりな工事だ。これが最後のつもりではあるが、考えてみれば、板や紙など貼り合わせて綺麗に仕上げる合板、化粧板とは違い、無垢の一枚板は化粧ではなく「すっぴん」なのである。華美な施しでは誤魔化せず、ありのままの美しさを追い求めている。

今年の8月で創業から27年となるが、次の一念が僕を支えている。そこに在るもの全てと、共に過ぎゆく経年(決して劣化ではない時の重ね方)と上手く付き合い、背負い、足跡を残すことが店を続ける意義である。来訪者それぞれの思い出が場に残り、懐かしむ再訪のその時を待ち焦がれている。

だから、カウンターに染み付いた思い出を、妥協で塗り重ねたりしない。

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