秀吉のブランド戦略

家康、信長とブランド戦略の説明を
してきたので、当然秀吉の話です。
秀吉のブランド戦略はずばりお金でした。

これも意図的だったと私は考えます。

もともと武士の出でなかった秀吉にとって
信長や家康のような生え抜きの家臣団は
いませんでした。だから、もともと忠誠と
いう概念がなかった訳です。

となれば利益に訴えるしかありませんでした。
ちなみに色々な戦で手柄を立てたとしても
それはあくまでも信長の評価になっただけで、
秀吉の評価ではありませんでした。

信長以外に秀吉を評価していた人間はいない、
と考えていいと思います。それは秀吉自身が
良く分かっていました。

だからこそ、分かりやすく自分には金がある
という演出にこだわっていたのだと思います。

当時ようやく武力は石高ではなく財力に比例する
ということが多くの大名に認識されてきていました。

秀吉は、お金があること、そして自分につけば
豊かになることをブランディングの基本にして
いたのだと思います。

逆にいうと報酬を与えられなくなると彼の基盤は
失われてしまいます。だからこそ日本統一がなった
あとも、領土を求めて明へ出兵せざるをえなかった
のだと思います。

秀吉は耄碌して明に出兵したと言われていますが、
彼にとっては切実な問題ではなかったかと私は考えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?