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10-4 本当の私はどこにいるんですか?

 西洋占星術で、素の娘や自分(と旦那と息子)の性格を知り、「誰も悪くない」「折り合いが必要なんだ」と知れた。しかし、それらは全て、「頭で」理解していた。西洋占星術は学問のようなものであり(その昔は天文学と一緒だったし)、占いに付きまとう神秘的イメージの「霊感」というものは必要ない。勉強すれば、誰でも読めるようになる。だから、理屈が分かれば、ある程度のところまで読めてしまう。頭でしか理解できていなくても。腹まで落とさないと、「ある程度」以上は読めないけれど。

 それに、西洋占星術は、あくまでも個人的イメージではあるが、優しい占術である(あくまでも個人的イメージ)。そのままの自分を「そのままでいいよ」と肯定してくれる感じで、現に、鑑定で言われたことはどれも、「薄々感じていたけれど、無意識に否定してしまっていた部分」というものを、「それでいいんですよ」と言ってもらった気分だった。

 そのことに夢中になって、私は西洋占星術の本を何冊か買い、独学で勉強していった。とある占い師さんに、「あなた、占いの勉強したほうがいいですよ」と言われて、「私、才能あるのかも!?」と図に乗ってしまったのも大きいけれど(恐らく、本当は「そんなに興味があるなら、自分で勉強してみたら?」というノリだったと思われる)。

 しかし、乳幼児を抱えての独学だったからというのが大きい要因だとは思うが、あるところまでいくと、何だか行き詰まりのようなものを感じるようになってしまった。


 結局、占いという「見えない世界」のツールを使い、理系として生きてきた今までとは違うやり方で世界や自分を探っているつもりだったが、頭という「左脳」だけを使っていた時点で、今までとそう変わりはなかったのだ。

 左脳だけでは、世界や自分を平たくしか見られなかった。娘や自分の性格、相性の問題など、所詮表面上の問題でしかなかった。世界には奥行きがある。奥の方まで見るには、「右脳」という直感・感覚も使わねばならなかったのだ。

 左脳だけを使うことが悪いことなわけではない。それがその人本来の生き方ならいいと思う。しかし、私は本来、右脳も使う人間だった。感覚という右脳で物事を捉えインプットし、左脳を使ってこうして理屈っぽくアウトプットするのが私流なのだ。


 左脳だけの理解でも、随分と私の産後鬱は上向いた。毎日、いや、毎時間怒鳴っていたのに、怒鳴らなくてもすむ日が出てきた。何もなく、幸せに暮らせる日もあった。少なくとも、「離婚して、ここから消え去りたい」という想いは、完全になくなっていた。一番どん底にいた時のことを思うと、奇跡にも近かった。

 でも、息苦しさは残っていた。娘が2歳を過ぎて、現在息子も通っているこども園に預けることができ、息子が生まれ、娘の時の産後鬱は落ち着いた。一旦、「終わった」と言ってもいいところまでいった。しかし、どこかに爆弾をまだ抱えているような気がした。

 その爆弾は、私の人生において、クリアしなければならない課題だったのだろう。一旦見なかったことにしたのに、娘が「宿題、残ってるよ」と言わんばかりに持ち出してくれた。


 娘が年少の夏、彼女は登園拒否を起こした。


 未満児として2歳で預けた一年間は、ゴールデンウィーク明けの一週間、ちょっとぐずったくらいで、特に問題なく、楽しそうに通園していた。年少に上がって、一気にクラスの人数も増え、環境が変わり、「どうかな?」とも思ったが、やはり特に泣くこともせずに登園した。仲良しの友達もできていたので、私は安心して、家の中でまだ赤ちゃんの息子と二人過ごしていたが、ある梅雨の日、娘が突然、「こども園、行きたくない」と言い出したのだ。

 娘がこども園に行ってくれれば、私は心穏やかでいられた。しかし、それは「こども園に行ってくれれば」という条件付きだった。さすがにこども園を休まれると、私はイライラしてしまい、産後鬱絶好調の時のような「怒りんぼ母さん」に戻ってしまう。私は慌てて、「こども園に行ってくれないと、お母さん困るなー」と言ったが、娘はその小さな体を小さく震わせ、涙をぽろぽろと流し、小さな声で、「い…いい…いきたくないぃぃぃぃ」と言い始めたのだ。いつも大声で自分の我儘を突き通そうとする娘が、絞り出すようなか細い声で、懇願している…

 いくら私が鬼母でも、これは行かせられん。

 そう思った。だから、休ませた。きっと、疲れたのだろう。なんだかんだで気を遣う優しい子だ。きっと1日2日休んだら、また元気になってこども園に行くだろうと、頭で計算していた。

 しかし、娘の登園拒否は、1日2日ではとても足りなかった。一週間経っても、まだ涙を流して行きたがらなかった。

 一週間も家の中にいられると、私も限界を迎えた。産後鬱が再発した感じだった。また私の精神は荒れ放題になり、怒鳴り散らす毎日となった。でも、どんなに私が怒っても、娘はこども園に行きたがらなかった。「あんたが園に行かないから、お母さんはこうなっちゃったんだよ!」と娘を理不尽に責めても、娘は行かなかった。

 私は途方に暮れた。どうすればいいのか分からなかった。自分を優先して、娘を無理やりこども園に連れて行くべきか、今は娘を守る時なのか…でも、そうすると、私は家で娘を怒鳴ってしまう。


 当時、私は動物占いで有名な、個性心理学をカルチャースクールで習っていた。そこの先生に個人的に相談に行った。すると、先生から「娘さんはしっかり者のタイプなので、気が済んだら、きちんと園や学校に通うようになりますよ。ただ、慎重なたちなので、年少に上がって、疲れているのだと思います。今は休ませてあげれば、また行くようになるでしょう」と言われた。

 西洋占星術で見ても、答えは似たようなものだった。どれで娘を見ても、「しっかりした子で、集団生活は問題なく送れるはず。ただ、疲れやすいので、疲れたら休ませてあげましょう」という結果になった。

 そうか、娘には問題はないのだ。

 娘には問題がない。娘は、今は休ませてあげるべき時で、休むだけ休んだら、また集団生活に戻っていけるのだ。

 それは分かった。

 …では、なぜ私は、娘を「休ませてあげられない」のか。

 もしかしたら、問題があるのは、登園拒否を起こした娘ではなく、「休ませてあげられない」私に問題があるのではないか。

 …私に、何の問題があるのだ?

 ここから、私の産後鬱第二ラウンドが始まった。いや、もはや「産後」鬱ではなかったかもしれない。「鬱を治す」と見せかけて、私は自分探しの旅をしていたのだ。そして、それは「見えない世界」を巡る旅でもあった。


 この後、私は霊能力のある人に、母親が近くで見てくれていることを教えられ、「見えない世界」をより近くに、リアルに感じることとなる。さらに、算命学という、西洋占星術とはちょっと違った占いで、(かなりえぐい感じに)本当の自分の姿をあぶり出された。そして、タイワというもので自分の潜在意識の声が聞こえるようになり、いよいよ本格的に、「右脳」も動員しての自分探しの旅が始まるのだった。やがて私は、他人の潜在意識の声も聞けるようになり(スイッチのオン・オフはしているので、盗み聞きはしていません)、旦那曰く正真正銘の「怪しい人」になっちゃって、こういう本も書くようになったのだが、これが「本当の私」だった。


 私は娘を産むまで、本当は人生迷子になっていたのだ。本当の自分を生きていなかった。けれども、迷子になっていることすら、感覚が麻痺して気づいていなかった。それを娘は「今のままじゃいけないよ。間違ってるよ」と教えに来てくれたのだ。おかげで、産後鬱に陥ってから6年経った今、私は息を吹き返し、本当の自分を生き、毎日を楽しく暮らせるようになった。

 本当に、娘には感謝しかない。

 ずっと近くで支えてくれた旦那にも。怒りをコントロールできなくて、「私は駄目な人間だ」と自分で自分を責める私に言ってくれた、「人間だもの。怒ってもいいんだよ」というあの一言。あれで私はどれだけ救われたことか。

 息子よ、ああ、可愛い息子よ。あなたのせいでお母さんは疲れているというのに、あなたの「でへへ」という笑顔で、かーちゃんは気合抜けして笑えてきてしまうよ。生まれてくれて、ありがとう。

 「産後鬱第二ラウンド」については、また別の本で(機会があれば)詳しく書きたいと思う。

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