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2-3 屈折系理系女子?大学時代後編

 私が進学した農学部の学科では、三年生から各研究室に配属されたのだが(今はシステムが違うかも)、私は農学部の中でも、野生動物の生態が研究できる数少ない研究室を志望した。大半の学生が農学部らしく農業など植物の勉強をしたがっているのに、あえての動物。動物がやりたいなら畜産学科に行けという話なのに、「野生動物がいいのだ」と行かなかった。私、屈折している。

 この、動物の生態を扱う研究室が非常な曲者だった。いや、研究室が曲者というより、研究室に曲者が揃っていたのだ。どれくらい曲者かというと、自らのことを「社会不適合者」と笑って呼び、「大学なんて、社会の落ちこぼれの吹き溜まりだ」と皮肉と誇りの両方を込めて語り、「どうやって自殺すると一番美しく死ねるか」など気の病みそうな話を大学三年生相手にコーヒー一杯で一時間以上語り続けるような人たちがうようよしているのだ(大学全体がそうなわけではないのでご安心ください。あの時のあのメンバーのあの空気が、そんな会話をさせていた)。

 ある意味、屈折していて、世間一般の「普通」にはどうしても馴染めなかった私に、ふさわしい場所だったのだろう。一緒に配属された同期五人中、私だけが比較的すんなりと研究室に馴染んでしまった。

 時々、「くせのある人とも上手に付き合うよね。コミュニケーション能力高いね」と言われるが、私はいまだに、あの研究室で知り合った人たちより「くせのある人」と出会ったことがない。慣れっこなのである。ただ、そこにすんなり馴染んでしまった私は「コミュニケーション能力が高い」わけでは決してなく、むしろ「コミュニケーション能力が異常な方向へ向いている」だけなのかもしれない。

 それが証拠に、私は「普通」の人たちと馴染むことができず、徐々にその「曲者が集う研究室」にしか、主な居場所がなくなっていったのだ。まともな(?)先輩には、「早く別の研究室にこね作って机もらって、ここから逃げたほうがいい」と言われたけれど、私はどっぷりとその研究室に身を沈めていった。コミュニケーション能力が本当に高ければ、研究室以外にもいくらでも居場所ができて、それほど屈折することもなかっただろう。けれども、私にはそれができなかった。

 そして、私は大学四年生になり、卒業論文(通称、卒論)の研究に取り組まなければならなくなった。この本のメインテーマは「産後鬱」なので、あまり私の卒論の愚痴を書くわけにもいかないので、細かい事情は大幅にカットするが、ざっくり言うと、研究は全く上手くいかなかった。私は野生の哺乳動物を、野外で観察するなどして研究したかった。それを高校生の頃から夢見ていた。しかし、それは様々な大人の事情により、叶わなかった。周りの先輩に「よくそれだけ根回ししたね」と言われるほど頑張って人脈を広げたけれど、駄目だった。卒論生の研究テーマは、教官次第なのだ。それでも、「哺乳動物を研究するという点だけは譲れない」と私は歯を食いしばり、何とか哺乳動物のDNAを扱う研究テーマをもらった。でも、サンプルが古く、上手くDNAの抽出ができなくて…まあ、そんな難しい専門用語を使わずに一言で説明すると、失敗だった。

 しかし、その一方で、自分のやりたかったことはあっさり横に置いてしまい、教官に与えられたテーマを素直に研究し始めた同期は、実験を次々と成功させ、早々に卒論研究を終わらせていた。もちろん彼らの努力も大いにあったと思うが、不器用な私には、羨ましいほど要領よく見えた。

 「努力しても、全く報われないことがある」―ガッツと笑顔だけでそれまでの人生を乗り切ってきた私にとって、ほぼ初めての挫折だった。


 今思えば、産後鬱に比べてなんて事はない若気の至りだったのだが、大学生の私の屈折率は最高潮に達した。私は現実逃避に走った。とても一人で現実を直視していられなかった。

 もし、私が「見えない世界」との繋がりを持ったままだったら、占いで時期読みでもして、「今はこうなっても仕方ない時期だから、じたばたするのではなく、大人しく周りの言うことに従おう」と考えられたのだろうが(実際、後から振り返ると、西洋占星術的にも難しい時期だった)、当時の私にとってそれは「オカルト」であり、「触れてはいけない」世界だったので、占いで解決しようなどと露にも思わなかった。

 その代わり、私が走った現実逃避は「ゲーム」だった。元々ゲーム、特にRPGが好きだった私は、MMORPGにはまってしまったのだ。MMORPGが分からない方はグーグル先生に聞いていただきたいが、一言で説明するならば「ネトゲ(ネットゲーム)廃人」になったのだ。暇があれば自宅に引きこもってパソコンでゲームをし、暇でなくても、手では実験しつつ、頭の中は常にゲームのことで一杯だった。

 ゲームはオカルトではない。なのに、思う存分、私の好きな魔法使いなどファンタジーな世界にどっぷり浸かれるのだ。しかも、単なるテレビゲームと違い、ネトゲはその向こうに生きた人間がいる。結構、血の通ったコミュニケーションが取れる。中にはもちろん、非常識な人がいて、嫌な思いをすることもあるのだが、私は運よく、波長の合う人と出会うことができ、現実世界で日常的に安心して付き合える友人に飢えていた私は、一気に「リアル(=現実世界)よりネトゲ」になってしまった。しかも、ゲームは努力(=モンスターを倒す)すればするほど、「レベルアップ」という形で報われたのだ。「ファンタジーな世界」「気の合う友人がいる」「努力すれば報われる」―リアルでは人間関係も研究も上手くいっていなかった私が、はまらないわけがなかった。

 ちなみに、私は長らく、このネトゲ廃人していたことを「黒歴史」だと思い、人には言わないでいた。しかし、産後鬱をきっかけに西洋占星術の占いの鑑定を受けた際、この時が「星回り的にも、人生の中で比較的ブラックだった時期」だと指摘され、「ネトゲという逃げ場があって良かったですね。難しい時期だったので、そういう逃げ場に退避して、時をやり過ごせられたのは正解だったと思いますよ」と言われて、ずっとネトゲに罪悪感を抱えていた私は、初めて「あれで良かったんだ」と肯定することができて、目から鱗がぽろぽろ落ちた。ゲームは逃げ場でもある。死ぬよりいいじゃないか。私はそれ以来、ゲームに対しても、過去の自分に対しても、前向きになれた。

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