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冥王星5ハウスを想う

 Twitterなどで「冥王星」の話題が出て、私が思う私の冥王星について、徒然と・・・

 私はネイタル冥王星を5ハウスの天秤座に持っていて、すぐ左隣には土星が、さらに左隣には火星もいらっしゃいます。5ハウスで言えば、この3天体からちょっと離れていてサインは蠍座に変わりますが、木星もいます。

 独学ではありますが、西洋占星術を勉強し始めて、本を買ったばかりの当初は、教科書には正反対の性質を持つかのように書かれる木星と土星が同じハウスにいることに、戸惑いを隠しきれませんでした(いや、今もだな)。
 「5ハウスに木星があると、快楽に弱い」「5ハウスに土星があると、遊ぶことに罪悪感を持つ」とあり、「どっちやねん!?」と叫んだこともあります(今も時々叫ぶ)。
 しかも、そこに最重量級の冥王星がいるので、さあ、大変。どう解釈していいのか、果たして私は5ハウスの表す「遊び」が好きなのか嫌いなのか、全く分かりませんでした。

 思えば、私は無邪気に遊ぶのが苦手な子どもでした。幼少期は人並みに遊んでいましたが、「勉強しなければならない」「家の手伝いをしなければならない」年齢期に入ってきたら、遊ぶことへ強烈な罪悪感を覚えるようになったのです。
 生育環境の影響もゼロではないと思いますが、比較的放任主義で勉強には口出ししてきたことのない母親を思えば、後天的要因というより、これは私の持って生まれた性質だったなぁと今では思います。


 遊ぶこと、楽しむこと、休むこと、自分を甘えさせることへの強烈なまでの罪悪感、時には嫌悪感を覚えることもありますが、これは西洋占星術で言えば、5ハウス土星案件だな、と。
 しかし、じゃあ真面目一徹、娯楽はせず、ひたすら勉学仕事に邁進してきた人生かというと、そういうわけでもない。遊ぶ時には遊ぶ。だって木星5ハウスですもの。
 ただ、遊ぶ時には必ず言い訳が必要。「誘われたから」「今後の役に立つから」などなど、自分の「罪悪感」を無くしてくれる理由がなければ、なかなか人前で堂々と「遊ぶ」ことができません。遊んでなきゃやってられないのに、それには常に罪悪感が付きまとう。この感覚は一体なんなのだろうとずっと思っていましたが、これが私の5ハウス木星土星共存状態なのだと、今では感じています(正解かは分かりません。あくまでも自己解釈)。

 でも、理由もなく「楽しい」ことをしたい時だって、人間あります。いや、むしろそれが人間として本来の欲求ではないかと思えます。私の場合、その欲求は「ゲーム」に表れます。昔っから好きなんです、ゲーム。特に、育成ゲームやRPGなど、ストーリー性のあるもの。
 「ゲームしたければ、やればいいじゃん」とある程度人生開き直れた今でこそ思えますが、(算命学の)私の車騎牽牛玉堂的に、ゲームは”NGライン”を超えていました。でも、やりたいものはやりたい。だから、私は隠れてやるようになったのです。(別に誰からとがめられたわけでもないのに)親から先生から友人から社会から、そして、土星から、隠れて、ひっそりと・・・(本当に親からとがめられたわけじゃない。高校生までは親の元で堂々とやってた。おかしくなったのは一人暮らし始めた大学生から)

 土星という枠が外れてしまった私は結果、大学生でネトゲ廃人生活を約2年しました(´▽`)。現実生活で人間関係がうまくいっていなかったのもあって、ネット上での友人関係の方が楽しくなってしまったんですねー。後から振り返れば、算命学で言えば年天中殺の期間でしたし、西洋占星術でみればネイタル月にトランジット冥王星がスクエアヒットしてました。AHAHA。

 それでも、かろうじて土星が、牽牛が、「最低限、卒業して大学院に進学しろぉぉぉぉぉぉ」と必死に手を伸ばしてくれたので、完全な廃人ではなく、最低限大学行って研究して卒論書いて、勉強して大学院の入試に受かり、表面上はちょっと引きこもりなだけの普通のキャンパスライフ送ってました。でも、それまで自炊していたのに、料理は一切しなくなり、夕飯はコンビニ弁当を買って帰り、ゲームしながら食べてそのまま朝3時までプレイ。寝落ちしてベッドに潜り込み、朝9時過ぎまで寝て、ずりずりと起き出してパンをかじって大学に行く生活をしていて、すっかり正気を失っていました(笑)

 ゲームをしている最中はそれなりに楽しかったですが、今思えば、本当に楽しかったのはプレイし始めてから1~2時間が限度で、あとは「苦しかった」ように思います。でも、止められない。もう身も心も疲れてゲーム止めたいのに、止められない。中毒状態。
 ちなみに、ブログを書くのはその頃から好きで、プレイ日記も書いてました。ゲーム内チームメイトからも「面白い」と好評で、ゲームをログアウトしたら即書き始め、気が付いたら朝スズメが鳴いてたことも少なくなかったのです。狂ってた。

 止めたいのに、止められない。寝ても覚めても考えることはゲームのことばかり。現実世界を歩いているはずなのに、足の感覚が全くなく(だからよく転んだ)、いつもふわふわ浮いている感じがしました(さすがに肉体は空中浮遊してません)。

 ネトゲを止めた理由は「元理系女子のスピリチュアル産後鬱奮闘記 2-4人間に戻れたかな?大学院時代」に書きましたが、それまで何年もやりたかったのにやれないでいた研究を、やれるチャンスが転がり込んできたこと。「このチャンスを逃せば、一生後悔する」という想いで、きっぱり止めました。ネトゲが嫌になったわけじゃなく、ネトゲよりやりたいことが見つかったからなんです。
 その止めっぷりも極端で、本当にきっぱり止めました。ゲーム内にリアルと変わらないぐらい仲良くなった友達がいたので、数か月に一回くらい、その友達に会うためだけにログインすることはありましたが、ゲームをプレイするまでには至らず。

 そして、このネトゲ廃人してた2年間は、長らく私の中で「黒歴史」で、罪悪感・嫌悪感の沼にずぶずぶと浸け込まれ、「恥」のレッテルを張られ、親にも誰にも言うことなく、数年放置されていました。旦那にカミングアウトしたのも、ほんの3~4年前(´▽`)


 さて、随分長い前置きをしてしまいましたが、この「ゲームをやる時には全てを投げうって、とことんやる。罪悪感あっても、苦しくても、やる」モードと、「ゲームを止める時にはきっぱり止める。見るのも嫌。話題にするのもおぞましい」モードのこの極端さ。土星と木星だけではなんとなく説明がつきにくい感じがして、ふと「あぁ、これが冥王星なのかな」とふとこの度感じたわけです。

 5ハウス冥王星の威力が発揮されるのは、こうして文章を書く「自己表現」をしてる時もですけどね(´▽`)。私、こうして長文を書く時には、わき目も降らずに一心不乱に書きます。そのため、家族の誰かがそばにいると、気が散って一切書けなくなる。書く時には、もう、完全に自分の世界に入り込んでとことんやらなければならない。だから、子どもがずっと家にいる夏休み中は、いっそブログもnoteも立ち上げなかった(笑)。あ、軽く書けるFBやTwitterやインスタはやってますけどね(´▽`)。あれは、なんとなく私の中で冥王星圏外(笑)。むしろ、双子水星金星領域。

 こうして一心不乱に5ハウスにのめり込む衝動、私は「書くなどの自己表現」に使いたいし、本来はそれによって喜びを感じるために、冥王星を5ハウスに設定して生まれてきたんじゃないかと思っています。

 んが、ゲームだってやりたいじゃない(笑)。ようやく、そういう(私の中では)人生を推し進めるのに1ミリも役に立たなさそうだけど、「楽しい!」と感じることをすることに、私は自分で自分に許可できるようになりました。これは子どものおかげです。また5ハウス案件(笑)。

 旦那は割と単純なエンタメも好きな人で、真面目に働く一方で、テレビ大好き、スポーツ見るの大好き、ちょっと前の私からすると、「時間の無駄じゃ!?」と感じることを家ではよくやってます。
 そんな旦那がド〇クエが好きでですね、復刻版の1・2・3を気まぐれで子どもの前でやったら、見事に子どもまではまってしまったのです。でも、まだ子どもだけではできないので、大抵は親がプレイして、子どもは横からそれを見ているスタイルになります。

「子どもが言うから」という格好の言い訳を得て一番喜んでいるのは、この私だッw

 そう、一番はまったのは私な気がします(笑)。時々、子どもはもう飽きて「お母さん、他の遊びしよー」と言ってるのに、「ちょっと待って。もうちょっと進めたらきりがいいのよ」とか言って、子どもそっちのけになってしまうことも。

 でも、私も大人になりました。「それではいかん」と、「子どもが飽きたら止める」「自分が楽しくなくなったら止める」ようにしてます(そして、大抵はそのタイミングは一緒)。昔のように、「苦しいのにやり続ける」ことはしないですむようになりました。

 こうしてコントロールできるようになったのは、土星の範囲内でやっているからかもしれないですが、まあ、人生の経験値だろうな、と(笑)。振り子みたいなものなんですよ。「やる」「やらない」と最初はふり幅が大きく振れていましたが、段々ふり幅が小さくなって、振り子は真ん中に落ち着いていくのです。苦しくない、純粋に楽しんでいられる地点を目指して。

 ただ、冥王星は生きてる人間が使いこなせる星ではないので、こうして文章書いて自己表現したり、子どもと向き合ったり、ただただ笑えるだけのバラエティ番組を家族で見たりして、うまいことエネルギーが分散できてる状態なんでしょうね。使いこなせているわけではないけれど、振り回されて人生めちゃくちゃにならないラインでなんとか踏みとどまってる感じ。

 目下の目標は「楽しむ」ことに感じる罪悪感を小さくすること。「無くす」とは言いません。罪悪感が悪いわけじゃない。罪悪感がなければ、私は大学時代のあの時、真のネトゲ廃人になって、今ここにはいなかったでしょうし。まあ、純粋に「生きる喜び」を感じていたいですね。そのためには、土星ともっと向き合わなくてはならないのでしょーねー。
 冥王星と銘打って書き始めたのに、最後は土星の話で締めくくられるというオチでした(´▽`)。おそまつッ!

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