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4-3 ディープな世界へいらっしゃーい

 私が次に受けようとしていたのはI協会(仮称)のアロマセラピストコースで、1年がかりで筆記も実技(アロマトリートメント)も学び、症例も取り、試験に合格できたら即開業できるほどの、本格的な資格試験コースだった。費用も相当な額がかかる。家族の理解と協力なしには通いきれず、私の中では「これで仕事をしていくんだ」という覚悟が必要だった。

 しかし、当時、アロマが楽しくて仕方がなく、しかも、別の就職試験に落ちて、「アロマが私を呼んでいる」と思い込んでしまっていたので、本気の覚悟をするのも簡単だった。天職だとさえ思っていた。まだ子供もおらず、独身時代からの貯金もあった。旦那も、基本「好きなことをしたらいい」と言ってくれる人なので、話は即まとまって、私はその数か月後、アロマセラピストの卵として、スクールで勉強をすることになった。一年前までは、「アロマは好きだけど、ホームケアに使える程度でいい。アロマトリートメントを受けるのは好きだけど、人にやることには興味ない」と思っていたのに。

 私は夢中で勉強した。精油の化学だけでなく、トリートメントのための解剖生理学の勉強もあった。私は骨や筋肉の名前を嬉々として覚えた。重い荷物を持ち上げては、「上腕二頭筋が喜んでる」と言って、旦那をドン引きさせた。


 ところが、I協会の資格試験で勉強することは、いわゆる「科学的」ではないことも含まれていた。特に、実技で、理屈では説明のできない「非科学的」なことによく出会った。

 様々な「非科学的」なことがあったが、その最たるものは、人の「気」だった。まあ、非科学的と言っても、漢方など東洋医学が身近にある日本人は、「気の巡りが悪い」などよく言うので、割と抵抗感なく受け入れられるのではないだろうか。私もそうだった。


 実技でヘッドトリートメントの手順を勉強していると、見本を見せている先生が、モデルの人の髪の毛を優しく引っ張り、そのまま手で何かを捨てるしぐさをした。実際には何も捨てていない。捨てる「しぐさ」だけ。「何をしている動作なのかな?」と思っていたら、先生が超にこやかに「これは人の悪い気を捨てるためにする動作です」と、超当たり前のように解説してくれた。

 私は一瞬あっけにとられた。

 前述もしたが、私はアロマの化学が知りたくて、最初このスクールの扉を叩いた。先生は理想的な人で、アロマの知識も経験も深く、アロマを理論的、科学的に教えてくれた。私はすっかり先生たちのことを信頼していた。その先生が、今、「人の悪い気を捨てました」と言ったのだ。

 見えません。見えてませんけれど、いいんですか?

 I協会の資格コースには、大きく分けて2タイプの人が集まってくる。アロマが純粋に好きで「理屈抜きでいいです」というタイプの人と、整体や看護、介護などの仕事をしていて「その仕事にプラスしたいので、理屈を教えてください」というタイプの人だ。私は例外で、「アロマが純粋に好きですが、理屈を教えてください」という珍獣だったが。

 私が通っていた日程にはたまたま後者のタイプの人が多く、看護師さんもちらほらいたので、理論派の人が多かった。なので、その人たちも、先生のその動作に「おっしゃられていることの8割方が理解できません」という顔をしていた。

 ただ、先生が冷静な方だったので、もちろんこういう「見えない世界」の話が万人に通じるものだとは思っておらず、「まあ、人の悪い気を捨てるって言っても、なんとなくなんですけどね」と笑って後付けした。「でも、人の『気』って髪の毛に溜まると言われているんです。だから、その『気』を髪の毛から取って、どこかにぽいっと捨てるイメージでやると、なんとなくなんですけど、クライアントさんもすっきりするし、自分も人の『気』を受けないですみますよ」とも解説された。

 そう言われてみれば、怒った女の人って、よく髪の毛が逆立ってるように表現されるし、髪の毛に人の『気』が出るっていうのもわからんでもない。わからんでもないけど、「よくわかる」わけでもない。私は「あの信頼してる先生が言うなら」と、言われた通り髪の毛を軽く引っ張って、そのまま『何か』を床に捨ててみた。…やっぱり、よくわからなかった。


 けれども、そんな私でも、『人の気』をだんだん感じるようになってきた。そういう環境に身を置いていると、そういうセンサーが敏感になるのだろう。

 センサーは、特に『人の悪い気』に敏感に反応した。単純な体の疲れだけでなく、精神的にも病んでいるような、いわゆる「負のオーラ」を背負っているような人をトリートメントすると、もれなく私もどーんと疲れてしまうようになったのだ。「人の気をもらった」状態だった。クライアントが背負っている見えない荷物が重ければ重いほど、私は施術後、疲れて動けなくなった。施術の動作は誰に対しても同じはずなのに、こうも人によって疲労度が変わるなんて、やはりその人の持った『気』が原因としか思えなかった。

 しかも、先生に「もし、人の気をもらってしまったら、手を洗いましょう。単純なことですが、気を洗い流すのに一番簡単で、かつ確実なことです」と言われ、慌てて手を洗うと、確かにすっきりした。手を洗っただけなのに。

 自宅でも練習で人を招いて施術することがあったが、重い気を持った人が帰ると、何となく部屋全体がよどんでいるように感じられた。そんな時には、窓を全開にした。精油の香りだけではない、「何か」も出て行ったようだった。先生は「昔ながらの『塩』も浄化に役立つんですよ」と言っていた。「盛り塩も、意味のあることなんだろうなぁ」と、私はぼんやり思えるようになってきていた。

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