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季節を感じて

お立ち寄り頂きありがとうございます。
基本的にどの季節も、変わり目の時期には弱くて寝込む私ですが、今年は少しだけ心持ちが違います。

大きく関係しているのは、俳句を趣味に加えたことだと思います。
ポケット版の歳時記を求め、手元に置いて、時間があればめくってみたりします。そうするとその季節に関する色々な言葉が書いてあって、イメージしやすいもの、記憶にあるもの、まだよく知らないもの、様々あります。
よく知らない季語に関しては「体感・実感してみたい」という気持ちが高まりますし、よくイメージできる季語も「改めてその感覚を味わいたい」という思いが強まります。
新しいものに対する興味のようなものを、これまで何度も繰り返してきた季節に対して抱いているのだと思います。

私は『期間限定』という言葉に弱いのですが(パッケージに『期間限定』と書かれたお菓子は私を捕らえる絶好の罠です)、季語になっている言葉たちが表す現象や動物なども、その時期限定、というものを指していることが多いと思うので、それも惹かれる理由の一つなのかもしれません。中には「何故この季語がこの季節?」というものもありますが、それは私がまだ知識が浅いからなのでしょう。話は少し逸れますが、先日のNHK俳句(最近録画して見始めました)で「風船、石鹸玉、凧が春の季語なのは、風に関係しているから」と言うようなお話を先生がされていたので、とても奥深いなぁ、と思ったことでした。知識を深めれば、そういった発見も沢山あるのだろうな、ということに心が躍ります。

そういったこともあって、今年は移ろいゆく季節に目を光らせてみています。体調を崩して寝込んでいる場合ではありません。……その辺りを自力でコントロールできるものでもないのですが、心構えが違うと体調も少しだけマシになるようです。

堤防から舞い上がるヒバリがさえずっているのを見て「どうやらあれが『揚雲雀』だな」とか、ウグイスの初鳴きを聞いて「すごい、『初音』だ!」と思ったり、水量が豊かになった川を見て「『春の川』はこんな感じなのか、言われてみれば『冬の川』とは違うな」と思ってみたり、自然のことに対して、どこかこれまでとは少し違う視点を持てたような気分になるのです。季節の移ろいを体感しながら、やっと「私」という存在として根を下ろしていけているような気持ちになります。
裏返せば、ここまでそんなことに目を向けず、せっかく自然に恵まれた場所で生きていながら、視野の狭い世界を歩いていたのだな、という気付きにもなるのですが。

2022年12月18日に唐突に始めたこの趣味を、果たしてどれだけ続けていけるのかはわかりません。
ですが、できる限り細く長く、季節を感じながら、季節に託しながら、続けていきたいと思っています。

以上、季節について思うことでした。
お読み頂き、どうもありがとうございました。
(もしも拙句にご興味を抱いて頂けましたら、Twitterにて呟いていますのでお立ち寄り下さいませ。限りなく初心者です)

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