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ぼんやりする時間

お立ち寄り頂きありがとうございます。
さて、生きていくのには様々な時間を過ごしていくものですが、その中で、私はぼんやりとする時間が苦手です。今回はそんなお話を綴ってみたいと思います。

私はあまり体力がありません。人と比べてかなり疲れやすいです。以前はそうでもなかったように思うのですが、何だか段々体力が落ちているように思います。
なので、休息の時間は欠かせないはずです。はずなのです。そのはずなのに、ゆっくりする時間、というものを、うまく活用することができません。

貧乏性だからなのか、常に「何かしていないと!」という焦りを抱きがちです。動けるうちに、あれもこれも済ませておかなくちゃ。そんな思いに囚われているのかもしれません。これが終わったら次の分もやっておいて、ああ、それから途中で置いてあるあれも終わらせないと、あ、あれもあれもやり掛けだったな、と、思考だけは忙しいのです。体力はないのに。

それだけ詰め込むから余計に、疲れてしまう悪循環なのだろうな、と、そろそろ勘付いてきてはいるのですが、それでも「休む」というのが苦手です。
頭を空っぽにして、ただただゆっくりコーヒーの香りに包まれる時間、とか、のんびり座って、流れてゆく雲をぼんやり眺める時間、とか、何となくイメージはできるのですが、実際にそういう時間を過ごすことに抵抗があると言いますか……。どうにも居心地が悪いのです。

結果として、休息の時間が足りなくて、それは問答無用で体力を奪います。ある日突然、電池が切れたように動けなくなったりするのです。

思えば幼い頃から、周囲から「頑張りすぎ」と言われる子供でした。手を抜くことを覚えられなかったのです。完璧主義の弊害なのでしょう。
もっときちんと、のんびりすることを意識していたら、あるいは違った未来があったのかもしれません。

疲れ果てて体は横になっていても、頭の中の思考を止めることができません。いい加減頭を休めてあげたらいいのに、ああでもない、こうでもない、と、とりとめのない思考を巡らせてしまいます。そんな考えだけを巡らせても仕方がないのに、延々と何かを考え続けてしまいます。

頭を空っぽにする時間、というのを、未だに理解できずにいます。極度の心配性なので、まだ起きてもいない、起こるかどうかもわからないことについて、常に最悪の想定を続けてしまうのが、私の病的な思考です。
……取り敢えず、そこには気付いているのですから、楽な方へ向きを変えてあげられると良いのですが。長年の思考の癖は、中々思うようには変わらないようです。もう少し、楽をすることを覚えたいものです。

考え事もほどほどに。そろそろ力の抜き方も身に着けたいです。
頭の中で答えを追求することも楽しいけれど、世の中にはきっと、休むことでしか見えない何かもあって、そこに気付けたらもっと周りの彩りが豊かになって、世界も違って見えるようなことがある気がします。

何も考えないことで、初めて見えてくる何か。
そのまだ見ぬ何かに、いつか触れられることを楽しみに、少しずつ「ぼんやり」に近付きたいです。

お読み頂き、どうもありがとうございました。

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