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Hiroshi67_№10

🇫🇷TEMPURA
AUTOPORTRAITS DE TOKYO

フランスで年4回発行される日本文化を紹介する雑誌“TEMPURA”で連載中のインタビュー記事
“AUTOPORTRAITS DE TOKYO”=”東京に住む人たちのセルフポートレート”を日本語訳したものをnoteに記録しています。

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TEMPURA_№10 / 2022.7

Hiroshi 67
Tofu manufacturer

Text : Mathieu Rocher (Interview : Ayaka Shida)
Photo : Ayaka Shida

この店で豆腐を作り売って、45年になります。
私は東京の上野あたりで生まれ、10歳のときに両親がここに引っ越してきました。
父が店を立ち上げたのですが、私が24歳の時に急死してしまいました。
それで、特に修行もせずに私が店を継ぐことになったんです。

私に残されたのは、父が豆腐を作っていた思い出だけでした。
でも、当時この店で月に50万円、大学の同級生の5倍は稼げていました。
うちの店は近所でも目立っていたし、常連さんも多かった。だから頑張れました。

幸せは人それぞれ。ただ、何が自分を幸せにしてくれるのか、まだ見つかっていません。人生はそれを見つける旅だと思う。だから私は健康に気を配り、100歳まで生きる準備をしています。私は今不幸ではないし、自分自身に「私はアンラッキーだ」と言わないようにしています。

一人で暮らしていて思うのは、今までずっと一人で店をやっていかなければならなかったなあということです。
すべて自分一人にかかっているのだから、何かあってはいけないし、何かあれば店をたたまなければならない。だから、不安を避けるために小さなビルも買った。でも、店は毎日開店させなくてはならなかったから、休みも取らずに働き続けました。
今では、たまには数日休みを取って旅行に行ってもいいのかなと思うこともあります。
でも、このまま自分の人生を自然に展開させるべきだと思う自分もいる。私は今、この疑問の渦中にいます。

引退が近づくと、どんどん現実的になってきます。
特に病院に行く必要がある場合はね。この10年で、私の体はずいぶん変わりました。
時が経つのは早い。私には子供もいないし、後を継ぐ人もいません。

数年前から、豆腐をやめて豆乳屋をやるべきかなと考えるようになりました。
“豆乳は美容にいい”と、最近若い人たちがよく飲んでいるから、流行るかなと思って。
昔の従業員のひとりは、今はお母さんになっているのだけれど、もしこのプロジェクトを立ち上げたら手伝ってくれると言ってくれました。
以前は、誰かが家業を継ぐなんて時代遅れだと思っていました。
でも、最近は少し考えが変わりました。
かつての従業員たちとの温かい絆が、これからは伝承という形になっていく。
それはひとつの形としてあってもいいのかなと思います。



コロナでひますぎて毎日何時間も自転車に乗ってたときに見つけて、
Mathieuが日本に来たときに連れて行った下町のお豆腐屋さんです。

編集長が老舗のお店の方の話が聞きたいと言っていたことと
フランスでお豆腐や湯葉が流行っていること、Mathieuが動物性食品をあまり食べないからお豆腐が好き、この人がいい!と言うので
突撃してその日にインタビューをお願いしました。
朝お願いして、夕方ならいいよと言ってくれました。
本当に急だったのによく受けてくれたと思います…(ありがとうございます。)

取材中に豆乳を飲ませてくれたんですが、たぶん日本で1番濃厚だと思う😈
あまくて、とろとろしててほんとにおいしい!
人生の最後にこの豆乳で勝負したいって言ってたんだけど、そう思うのわかる。
ひとりでお店やってるって、考える時間がたくさんあるんだろうね。
不安になる時間も、夢を見る時間も。

あとはMathieuに、この原稿の締め切りはいつなのって聞いたら、明日!って言うからなんで今言うの?って絶望したこと以外はあんまり覚えてません🙃


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