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あたらしい合宿_【月報】2024年8月

8月初旬の引っ越しは地獄の所業だ。

汗だくになりながら作業をする。住んでいた家から服やら本やら家電やらを軽自動車に詰め込む。横浜から川崎へ第三京浜をかっ飛ばす。今月から住む部屋はエレベーター無しの4階にある。階段をエッサほいさ荷物と共に上がる。荷物を下ろしたらまた横浜へ戻る。また荷物を積める。その繰り返し。

ひとり段ボールだらけの部屋で住み始めると、これから住む街の姿が少しずつわかった。

朝8時ごろ、せせこましい通りを人々が駅の方に歩いて向かっていく。田園都市線沿いだからだろうか、なんだかビジネスパーソンの皆さん(特にウーマン)が洗練されている。いい服やリュックを身につけていそう。

夜の散歩をしてみれば、一緒に暮らしているカップルやモデルみたいな人、大学生や留学生らしき若者も家路についている。一歩路地に入れば住宅地が立ち並び子供が遊ぶような下町感もある。近所の大学病院へ搬送する救急車のサイレン、河川敷で飲んだらしい若者たちの騒ぎ声たち、日中はまだしも日付が変わる頃まで響き渡る。

そんな2週間を過ごし、いよいよ彼女が部屋にやってきた。部屋の更新の都合で入居が遅れていたのだ。相手の家に出向いて荷物を車に積んでは部屋にエッサほいさ運ぶ。炎天下。夏ど真ん中。2キロほど痩せた。

断っておくと、ぼくは妻を「妻」と呼べない。第三者へ妻の話をするとき何と呼んだらいいかわからない。唇がT・S・U・M・Aの動きに慣れていない。アクティブフォニックス(わかる?)みたいにT・T・TSUMA!と練習してみるが違和感しかない。

当分は「恋人」と引き続き呼んでみたが、結婚したのに恋人呼びは変だなとモヤモヤする。婚姻届を出してから、第三者には「彼女」と呼称している。

よく訊かれる質問に「新婚生活どう?」「新婚生活幸せ?」がある。なんと返答しようか考える。いや、幸せなんだろうけどさ。あの類の質問群って「幸せなんでしょう!?」を押し付けられてる気がして、逆張りしたくなる。だから「調整中って感じですね」と伝える。

一緒に暮らし始めて、料理は相手が、皿洗いはぼくがやっている。ゴミ捨てはなるべくぼくがやる。洗濯は一緒にやる。掃除機は僕がよくかける。もろもろ調整中である。

ぼくとしては白米を炊いて味噌汁を作ってくれるだけで有難い。その上、一度として同じご飯が食卓に並んだことがない。これは彼女の無意識下の特技だ。冷蔵庫にあるもので独創的な美味しい料理がテーブルに並ぶ。本当に驚く。

食べ続けたら肌艶が良くなった。引っ越しで減った体重も元に戻った。この事実だけで婚姻届出してよかった。思わず口にしてしまったら「あたしは飯炊きババァってことー!?」と叱られる。

ひと月前に選んだ指輪が届いた。指にはめてみる。手をグーパーグーパーする。指輪をしたことがなかったので、普段使っていない神経がずっとキュっとされている感覚がする。

試しに着けながら仕事をしていたらデスクやPCにカツカツ当たる。むむむ。引っ越し先で新たに通うプールの掲示板には「プールご利用の際にはアクセサリー類は外してください」と書いてある。むむむむ。

指輪を都度外せば、すなわち都度失くす機会が創出される。恐ろしい。なるべくプールに行く日は外していいかなぁと彼女に相談してしまう。外すことより、それを相談してしまうことに申し訳なさを感じてしまう。夫としての自覚が足りない。

夜、和室にマットレスをそれぞれ敷いて寝転がる。一つ屋根の下で誰かと暮らすのは久方ぶりだった。

18歳まで両親と3人で暮らし、そこから父の単身赴任のため母と2人、社会人になってからは1人暮らしだった。それ以来まともに誰かと家で過ごしたことがなかった。

カーテンの隙間から街灯が差し込む暗がりの中で、そうか隣で目を瞑っている人と家族になったんだなと腹の上に両手を乗せつつ思うも、まだ頭で理解しているだけだった。

共に住み始めて2週間ほど過ぎた時、夕食後に皿洗いしていると彼女が「合宿みたいだね」と楽しげに言ってくる。確かにこの空気は学生時代の合宿と同じだ。部活やサークル、ゼミで経験してきた雰囲気だった。

学校でしか顔を合わせない友人たちと寝食共にするから、普段見られない様子や表情に接することができる。お互い気持ちよく過ごせるように生活環境やペースのすり合わせをする。

その言葉で腑に落ちた。それ以来「新婚生活は合宿みたいです!」と答えている。

ある晩、暑さのせいか寝付けず目が覚める。何時か知りたいが時計を見る気力はない。天井の木目を見つめながら耳をすます。サイレンや騒ぎ声は聞こえない。夜が深いのだろう。

ふと砂浜に打ち付けるさざなみが聞こえる。心地よく耳をすべっていく。もちろん海はない。そう遠くない高速道路を走る車が過ぎゆく音だろう。

学生時代、合宿で明け方の砂浜へ行ったことを思い出す。どこの砂浜で、誰と行って、どんな景色だったかは覚えていない。それはもう現実にあったことに思えないのだけれど、「明け方の砂浜へ行った」という事実だけ覚えている。ずいぶん遠くまで来てしまったのだな。

さざなみはまだ聞こえる。隣から寝息が聞こえる。合宿は始まったばかりだ。


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