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披露宴の招待状

帰宅すると自室のテーブルの上に、はがき大の僕宛の封筒が二通置いてあった。裏面を見ると、近々結婚式を開く友人二名からそれぞれの、披露宴の招待状だった。

結婚式・披露宴への参加は二度。

大学のサークル内でカップルになった二人が結婚した。サークルの同期だった僕は招待いただき、受付に立った。晴れの日の一端を任されたことに喜びを感じた。結婚する二人とそれを囲む家族や職場の人々の朗らかな雰囲気が印象深かった。

二度目は画面越しに参加した。新郎新婦とその家族たちの様子を、親族以外はリモートで遠く離れた地から眺めていた。職場の休憩中にZoomにつないだら終始笑顔の二人の様子が見られる。幸福は電波に乗って届くのだと感じ、思わず口元がほころんでしまった(のをインカメラで確認した)。正装して着飾ることなく参加でき、気がとても楽だった。

結婚式や披露宴は自分にとっては縁遠いものに感じる。決して近さを感じはしない。式を挙げる姿を想像できないし、創造できないと思う。漠然とだけれど。

それらをしたくないわけではないが、別にしなくてもいいと思う。新郎新婦が座るメインステージ席(高砂って呼ぶらしい)で、緊張から椅子に浅く腰掛け、その中でたくさんの人に祝詞を言ってもらうのもいい。でも、共に生きていくことを決めた人(たち)と、いつもの食卓でそっとサッポロで乾杯するのも憧れる。

自分が「する」立場になるとどうしても身の丈に合っていない気がするが、誘ってもらった結婚式・披露宴にはなるべく参加したい。好きな友人の幸せそうな姿を程よい距離感で見ていると、こちらも幸せになる。

挙式するもしないも、婚姻届けを出すも出さぬも、今ある言葉たちで関係を規定しようとしまいと、共に生きる決断をした人々を尊敬し、拍手しながらその幸せを祝いたい。世界中の人が幸せになればいい。できればあやかりたい。

ご結婚おめでとうございます。
5月の披露宴を楽しみに日々過ごします。

眠くなってきたので、今日はここまで。
おやすみなさい。また明日。

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