見出し画像

人生アドリブ

辞世の句を残している著名人が沢山いる。すごい。それと同時に、とても恐ろしい。死に際に瀕して、句を詠もうだなんて冷静さを保っていられるのは、私には考えられない。

殿様の前で脇差を握りしめ腹につき立てようとする時に、なにか言い残したことは無いかと聞かれたら、私はなんて答えられるだろうか。行き慣れたファミレスの注文だって熟考を重ねる私のことだ、反射的に「えっ、いつまでに答えればいいですかね」という。その刹那、介錯が私の首をはねとばす。

『えっ、いつまでに答えればいいですかね。』という、自由律俳句だけが残される。

そんな死に際の緊張のシーンでいきなりアドリブを求められても、100%の回答を出せるわけが無い。出せて45%が関の山だ。そんな不本意な辞世の句を「やっぱあいつ、あんまおもんないな」とか言われたら、死にきれなくて地縛霊になること間違いなしだ。そんなキラーパスで腹切らせて楽しいか。

けれど、そもそも人生はアドリブだったのにそれが怖く感じるのは、演劇などという3ヶ月弱で用意したものばかりつかって自己表現してきた弊害かもしれない。人と会う予定の前に、スマホに質疑応答のマニュアルを潜ませるのはそろそろ辞めにしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?