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【短編小説】カレーうどんとバンド

 スタジオで出前を頼む際にさんざん悩んだ。カレーうどんにするか親子丼にするかだ。悩んだ挙句、カレーうどんを選んだ。きっとそれが今日という運命を決定づけたのだ。おろしたての白のセーターにその汁は豪快に飛び散った。彼女からの誕プレなのにと嘆きながら拭き取っても、茶色い染みは消えないどころか繊維の一本一本に根深く浸透していくようだった。

 休憩が終わってもテンションだだ下がりのなかで、4枚目のアルバムは俺たちの最高傑作にする、そう息巻いて無理くりにでも気持ちを切り替える。エイトビートの疾走感のある新曲をセッションする。サビに向けてBPMが早まる。ドラムを打つ手にも力がこもる。思わず目線が下がってカレーうどんの染みが視界に映り込んだ。

 あーあ、親子丼にすればよかった。集中力を削ぐそんな思いを頭の片隅によぎらせながらも、バスドラムを鳴らすために右足を踏み込もうとする。違和感がある。セッションが乱れる。同じリズム隊の直人がいち早く気づいて、まだセーターの汚れ気にしてんのかよって駆け寄ってくる。正直に言う。足がさ、動かないんだ。

 病院で検査を受けたら局所性ジストニアと診断された。まあ、やっぱりかと思った。ドラマーに立ちふさがる悪夢的宿命が、あろうことか俺に降りかかってきた。よりによってこんなタイミングで…メンバーは口には出さないけど、そう思っていたはずだ。
「アルバムの発売とともにツアーが始まるよ。そして千秋楽は、待ち望んだ武道館だ」
 興奮するマネージャーからそう告げられて俺たちも浮足たっていた。インディーズ時代から夢に見た舞台、ファンには絶対連れて行くからと約束した舞台。その場所にやっと踏み込めるはずだったのに…俺は、もう、ドラムを叩けない。

 緊急ミーティングとして、バンドメンバーと関係者が集められて今後のスケジュールが話し合われることになった。デビュー当初から犬猿の仲のプロデューサーはやっぱりかみつく。
「やっと金になるかと思ったら、使えねぇ」
 短い導火線の火を消すようにマネージャーが急いで話を取り持つ。
「残りのアルバム曲の製作はサポートドラマーを使いましょう。ライブも代役として回ってもらいましょう」

 まぁ、そうなるわな。なんて他人事のように受け止めてしまったのは、ショック以上に諦めというか納得の気持ちが勝ってしまったからだ。一人勝手に胸をなでおろしかけると、拓也が立ち上がって抗議する。
「俺たちはこのメンバーで一つのバンドだ。代役を立てるぐらいなら新しいアルバムの製作もライブも延期する」
 えぇ、そこまで言ってくれるんだ。感激よりも申し訳なさというか、今度は恐れ多さが勝った。張り合うようにプロデューサーも激高する。
「甘っちょろいこといってんじゃねえ。てめえら、どんだけ赤字出してんだと思ってるんだ」
 売り上げのことを言われたら俺たちはぐうの音もでない。プロデューサーの剣幕に押されて話し合いはそのまま幕引きになった。

 その夜、拓也からバンドのグループラインにメッセージが入った。
『やっぱり今日言ったことを曲げるつもりはない。レーベルを脱退して、インディーズに戻ろう』
 メッセージを受けた直人の提案で、行きつけのラーメン屋に集まることになった。胃が痛かった。いっそ待ち合わせ場所に現れず逃げ出そうかと本気で考えたけど、そんな魂胆も見透かされて拓也がバイクで俺を迎えに来た。

 バイクがスピードに乗った頃合いを見計らって、拓也の背中に一番の懸念を投げかける。
「少ないながらもさ、応援してくれてるファンにはどう説明するのさ」
 風に乗った拓也の声が返ってくる。
「たしかに代役立てて活動することが、正しい選択というか最良の選択だと思うよ」
 バイパスに合流して加速とともに風が強くなる。だったら…。その続きは俺じゃなくて拓也が、でもさ。と引き受ける。
「俺は別にそんなの求めてないからさ。決断なんて間違ってても最悪でもいいじゃん。慎ちゃん、美味そうにカレーうどん食ってたぜ」
 しなるように風が吹き付ける。その風にかき消されることもなく拓也の声は届く。声音からヘルメットの内側で拓也は笑ってるんだと気づいて、なんだか気が抜けた。気が抜けたらお腹が空いて、そうだよなぁ、やっぱり昼に食べたカレーうどんは美味かった。なんてのんきなことを考えた。

【あとがき】
 僕は優柔不断だ。どんなことでもとにかく悩んでしまう。backnumberの曲の歌詞に『優柔不断と口だけの二重苦がきっと決め手だった』って彼女に振られる際のことが描かれているけど、それを聴くたびに「あぁ、僕のことだ」って思う。
 そんな僕だからこそ、決断ということをよく意識して考える。その結論として、僕の考える決断する際に重要なことは、正しさを求めないということだ。選択を間違えちゃってもいいじゃん、なるようになるよ。そう肩の力を抜きながら生きていくのが一番だ…と思う一方、でもなぁ。なんてやっぱり今日も思考を堂々巡りさせながら日々を綴っている。

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