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【短編小説】 周回軌道上の恋人

 地球の周回軌道上を時速28,000㎞のスピードで飛来するデブリを小型の宇宙船で回収する。それがスペースコロニーに生まれ育った僕に与えられた仕事だ。
 第五次宇宙開拓期と呼ばれる時代に旧世界各国が無規制を言い訳の盾に打ち上げた衛星の化石たち、資源開発特区の月から流れ出る産業廃棄物、コロニーから排出される生活ごみ。そんな有象無象のデブリたちは地球の高度数千キロ上の高速軌道に乗り周遊している。一部のガラクタたちは巨大なデブリベルトの軌道をそれて引力の作用で大気圏へと落下して燃焼する。その様はまるで流星のようにも見えて、いくらこの仕事の経験を積んでいても、地球の表層を背景に爆ぜる青白い炎の美しさにはいつだって息が詰まる。
 3人一組のクルーを組んで一人が機体の操縦を、一人が回収用アームの制御を、もう一人が作業中のデブリへの衝突事故を防ぐためのソナー操作を行う。数百年前は宇宙飛行士の仕事は最も就くことが難しく、夢や尊厳を象徴する仕事だったという。だけどいまでは、特にスペースデブリ回収業は、きつい、汚い、危険と、なり手のいない3Kの代表格の仕事に成り下がっている。
 24時間体制の2交代制、休憩時間は待機時間で調整、給与は世界連邦労働基準規則に則り支給。視覚、脊髄神経系の遺伝子操作を受けているものには手当てを加算。そんな労働契約書は体内に埋め込まれたマイクロチップからアクセスする今月のシフトと先月の給与明細とともに脳に直接配信されている。今日は早番だからもう数時間で仕事が終わる。マイクロチップに言語信号を書き込み、彼女にメッセージを送信する。
――M-L3コロニーにオープンしたモールに行こうよ。21時には待ち合わせできる。
――いいよー!なにか欲しいものあるの?
――新しい小説と中古のレコード。
――もうすぐ誕生日だしどっちも買ってあげるよ。
――ラッキー。N-B2コロニーのターミナルにいて。バイクで迎えにいく。
 コロニー間の移動は定期運航のシャトルロケットに乗るほか、重力自動制御システムを搭載した星間バイクで個人移動もできる。当然宇宙空間に大気は存在しないし、宇宙線の影響も受けてしまうからフルフェイスのヘルメットも簡易酸素ボンベ付きの防護服も必要なのだけど、その手間をかけても暗黒の宇宙空間に、そこに届く星々の光のなかを、一人きりでも二人きりでもポツンと漂う時間は贅沢だと思う。  
後部席に乗って寄りかかってくる彼女の重みの温もりを防護服越しに感じながら、マイクロチップを介した言語情報のやり取りで移動中もずっと会話を続けている。
――今のチーフの操縦が下手くそでさ、命がいくらあっても足りないよ、とか。
――地球第3分轄区域の作家たちが共同編集で文芸誌を出すらしい、とか。
――M-L3コロニーのホットドッグスタンド、ピクルスかけ放題なんだって、とか。
 日常に溜まった愚痴も、地球に住む知識階級たちが生み出す芸術の話も、コロニー内の話題のショップの話も、声も表情も必要なく僕らは言葉を交わす。17歳の誕生日が近づいていること。ずっと一緒にいれたらいいね、なんて、ちょっと伝えるには恥ずかしいことだって。  
 スペースコロニーに生まれた労働階級の僕らはどれだけの防護策をとっていても宇宙線に被ばくし続けていて二十歳前後の寿命のなかでしか生きることができない。そんな事実に時折胸を痛めはしても、連邦政府に対する怒りや反抗心が湧かないのは、そういう感情を司る遺伝子を操作されて生まれてきているからだと都市伝説ではささやかれている。
――M-L3コロニーのモールの展望台からは正面に地球が見えるんだって。
――この時間だったら地球の夜景の光がきれいに見えるんじゃない。
――着いたらまずはそこに行こう。
 ヘルメットも防護服も脱いで、手をつなごうよ。地球の明かりなんかそっちのけでさ、お互いの目を見て話をしよう。声もたくさん聞きたい。宇宙の開拓とともに人類の生活圏も階層的差別も大きく広がった。そんな新たな社会構造の需要として僕らは脳内信号で言葉も情報を交わすことができるようになったけれど、だからといって喜怒哀楽だとか、そばにいてほしい、誰かに触れたいだとか、感情はちゃんと感情のままで廃れることなく生き残っている。そんなものを大切にして「好きだよ」っていう一言だけは自分の声で、彼女の目を見て直接伝えたいなって思うから、代わりにいまは仕事中に見たデブリの燃える様の美しさを、知識階級の小説家気取りで描写して彼女に伝えてみる。


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