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すれ違いきる前に一時停止


先日コミュニケーションにまつわる興味深いラジオを聴いた。
Spotifyで最近追い始めた、どうせ死ぬ三人というラジオでの会話だ。
タイトルは「コミュニケーションを信じすぎていませんか?」で不穏だ。しかし思い当たる節もある。
https://open.spotify.com/episode/6aF2XKoqN1aTbC5e2r3ktv?si=cvqV4siKQ3GdNLI4Bj_iEA 
話者はコミュニケーションには2つの型があるという個人の見解を伝えていた。
2つの型の間にはグラデーションがあり、学習して歩み寄ることはあれど皆どちらかに当てはまるのだと主張し、2人が耳を傾け理解しようと質問をする。長い話であり後日補足の回が出るほど粘り強く細かに説明してくれたのだが、2回を通して語られるコミュニケーションのすれ違いという誰にでも思い当たる節があるテーマのおかげですんなり受け入れられた。
と言うか、身につまされた。

言葉を使うコミュニケーションでは往々にして言葉に出し切っていない意図がある。
これは極端な例だけどと前置きをして出された実例はこうだ。
『ある幼稚園で催事の日程を園長からPTA会長へ伝えられた。開催日の天気予報は雨。PTA会長は「雨の場合はどうしましょう?」と訊ねる。すると園長は「晴れるといいですね。」と答えた。「天気予報では雨で、雨ならどうしますか?」ともう一度訊ねる。すると園長はさっきよりも感情を込めて「晴れるといいですね!」と返した。』

私は大きな壁にぶつかったように感じた。
「雨の日どうしますか?」に「雨の日用のプランを予め作っておきましょうよ」以外の伝わり方があるのかと。
だけどたしかにそうだ。受け取り方は無限にある。「雨の日用のプランを予め作りましょう」と言っていないのだから。
脳内で煙のようなショックを漂わせながらラジオに意識を傾けると園長の思考回路を憶測していた。園長は「雨の日どうしよう」と聞いて、PTA会長が雨の心配しているんだと受け取り励ましたのだろう。いやもしかしたら開催に後ろ向きに思われていたかもしれない。その場合お互いやる気なのに悲しいすれ違いだと。
私もそう思う。
雨の場合のプランを考えようと投げかけた質問に対して「晴れるといいですね」は回答になってないように思えたが、PTA会長の「雨の場合〜」発言を心配の吐露だとすると励ましの回答なっているのだ。
結局どう決着したのかは語られていないから知らないが、コミュニケーションに型があるのならその違いとすれ違いを表すいい事例だと思った。

その話者はコミュニケーションに言外の意図を含ませる方、つまり「雨の日どうしましょう?」に雨の場合のプランも考えておきましょうと意図を込める方に茶室型と名付け
発された言葉をそのまま受け取り気持ちを察しようとした園長の方を道場型とした。

どちらがいいという話ではなく、型が違うからすれ違うのだという結論で日常にある通じ合えなさを噛み締めラジオはその回を終えた。
脳から絞り出された「わかる〜」が口から漏れた。

前述の例えではPTA会長の言外の意図が分かった私は茶室型なのだと思いつつ薄い薄い薄っすらとした絶望感と共に、いつもと変わらない数日を過ごした。が、どうも自身と茶室にフィット感を持てない。そして気づいた。


私は茶室に半端に歩み寄った道場型の人間だった。


私には同棲して長い彼が居る。
一緒に暮らし始めて間もなく私が料理を作り2人で配膳し、彼が食器を片付ける流れが習慣になった頃のこと。
野菜炒めとスープを作り終え食器に盛り付けながら配膳開始の声かけをする。私が盛り付けてる間に彼はテーブルに必要なものを出す。
必要なものを1つ置き動きを止める彼に、次に必要なものを伝える。
「お茶入れて」「お箸出して」「ドレッシングも」指示を出しながらふと気になったことを質問した。
「なんで毎日同じこと言ってるのに毎日同じこと言わなあかんの?」
と。言外の意図はほぼ無く、強いて言うならどう言えば覚えてくれるのかなくらい。
これを読む茶室型の人は震えただろうが、本当に責める意図などなかった。苛立ちすらしていない。
彼は驚きた顔でこちらを向き、下を向きちょっと泣いた。彼は茶室型だった。自分が無能だと突き付けられたと言った。箸を出すことも覚えない自身を責めた。
可哀想なことをした。

そう読み取る思考回路もさもありなんと思い謝り、責める意図などないし怒ってもいない。でも自発的に準備してくれるとたしかに楽だと伝え、皿から立つ湯気の向こうに彼を見ながら職場のことやアニメの話をし夕食を食べた。翌日彼は指示が無くとも配膳をした。

一事が万事という訳ではないが私は気を抜くとこんな調子である。
ドラマやアニメ、小説や漫画では行間や語られていない部分の想像や考察を趣味にしておりラジオでは話者越しに俯瞰の視点を与えられたから言外を察することができたのだが、俯瞰して状況が見られないリアルタイム進行するコミュニケーションにおいて私はけっこう道場型だ。

道場のやり方ではしばしば茶室のしつらえを破壊してしまう。


それでも、まあ

今年初めて県内で雪が降った夕方。
仕事から帰り部屋を温めてYouTubeを見ていたら下の階から玄関ドアの鍵を挿す音、ドアが開く音、鍵を置く音、靴を足から落とす音、廊下を歩く音、帰宅した彼の自室に荷物を投げる音、また廊下に出て洗面所の戸のスライド音がして数秒。風呂の戸が閉まりシャワーを浴びる音がする。
階下の彼の行動に耳を傾けながら私はエアコンをつけて厚着をしても冷える体で怠けたい気持ちを体現し続けた。
数分するとシャワーが止み静かになる。モーター音がする。風呂上がりの彼がドライヤーをしている。
環境音が変わると気分が少し変わり、怠けたい気持ちはそのままに洗面所へ向かう。
こんな時のために買っておいたメイク落としシートの世話になろうと思ったからだ。
彼はドライヤーをしながら隣で私は化粧落としシートで顔を撫でながら並んで鏡に向かって立つ。
左隣の彼が「今日は寒いよ。」と言うから続く言葉に耳を貸そうと思い目を合わせると、もう一度「今日は寒いよ。」
同じことを2度言うということはドライヤーの音のせいで聞こえてないと思われたのかと考え、目を合わせたまま「うん。」と言う。
シートに肌色を吸わせ捨て、もう1枚引き出す。
すると彼はもう一度「今日は寒いよ。」
「聞こえてないと思ってる?」と聞くと首を横に振り否定された。「今日は寒いんだよ。」
壊れたラジカセのマネか、ホラー的展開かと思案したが彼は真顔で冗談ができるタイプではないしホラー的展開をするには視界のゆるふわ加減が不釣り合いだ。彼のパジャマはモコモコシマエナガだからだ。
(シマエナガとは実在する小鳥で、白いふわふわボディにつぶらな瞳が印象的。よくイラスト化されている。つまりホラーとは真逆の可愛い存在がプリントされているうえ、モコモコなのだ。パステルグリーンに愛らしいシマエナガのイラストが全身に散りばめられた暖かなパジャマ。レディースの4Lの上下セット。しまむらで買った。
最初は笑われ拒否されたけど、温かさを気にいられ今では洗濯して乾いてないと恋しがられるお気に入りパジャマだ。余談である。)
さて、壊れたラジカセでもホラー展開でもないのなら違う可能性を考えねば。
さすがにここまできたら何かすれ違いが起こっているはずだと察する。

彼と私のコミュニケーションの型が違うことを念頭に考えてみる。
つまり彼は今日は寒いから○○だと言いたくて、○○の部分にこの発言の肝があるはずだ。
今日は寒いので夜が深まればさらに気温は下がるだろう。次に「今日は寒いよ」と言われる私は今何をしているか。メイクなんて風呂で落とせばいいものをメイク落としシートで落としている。と言うことはお風呂に入ることを先延ばししている。
つまりこうだ。
「今日は寒くて、夜になるともっと寒くなるし早くお風呂に入った方がいいって言いたいの?」
彼は頷く。
改めてコミュニケーションタイプの違いを思い知り、理解できたのは先述のラジオのおかげだと感謝し、タイプの違いを超えて答えに辿り着いた自分を賞賛しつつ、彼の気遣いに温かみを感じながら
「じゃあそう言いなさいよ。」
彼のモコモコの背中に手のひらをぽんぽん当てた。




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