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両国を知らずして東京を語れず【散歩記録#1】

いままで両国(ひいては墨田区、東東京)という街をほとんど知りませんでした。
しかし訪れてみると豊かな歴史と広く深い魅力の詰まった街だと感じました。
東京の街は一通り行ったことがあると思っていましたが、両国(ひいては墨田区、東東京)を知らなかった自分を恥じました。
両国を訪れた記録と墨田区を中心とした東京の東側の魅力について考えていきたいと思います。

すべての人が一度は訪れるべき場所、東京都復興記念館

東京都復興記念館は関東大震災および東京大空襲に関する記録、資料が展示されている場所です。

被災の様子を描いた絵画、焼死した時間で止まった時計、家族間で交わされた手紙・・・。

それらは、どんな言葉や文章よりも当時の様子を生々しく伝えます。

映画やドラマや小説・・・つまり映像や文章といった表現方法も強く伝える手段でありますが、ノンフィクションな事物こそが最も「伝える」為に有効な手段なのかもしれないと思った次第です。

記念館と同じ敷地内に、慰霊堂も併設されています。
お焼香を上げさせて頂きました。

よく戦争の悲惨さを伝える場所として広島の原爆ドームや長崎の平和記念公園などがあげられるかと思います。
こちらの東京都復興記念館もそれらと同じように重要な意味を持つと思います。

戦争や災害の悲惨さを考える上で、一度は訪ねておきたい、そして定期的に訪れるべき場所だと思います。また何回か来ようと思いました。

ちなみに今年2023年は関東大震災から100年目となる節目の年です。
100年前ってそんなに遠くのことじゃない気がします。
災害や戦争をできるだけ自分ゴト化して、見つめていけたらと思います。

相撲博物館 相撲というゆるぎない伝統

両国と言えば両国国技館。その中に相撲博物館があります。
印象的だったのは雷電という史上最強の力士がいたということです。
身長197cm、体重172キロという漫画の世界から飛び出してきたような堂々たる体躯。
というか200年くらい前の時代でこの体格はあまりにも規格外ですよね。
また面白いのが、横綱にはなってないみたいなんです。
理由については諸説あり、確実なことは不明のようです。
そのあたりのミステリアスさが伝説を伝説たらしめますよね。

ところで、相撲って分からない用語がたくさん出てきます。
例えば決まり手。
「押し出し」は分かるけど、「寄り切り」からもう分かりません。涙
全部で82種類あるそうです。
もう少し詳しくなったら、実際に国技館で大相撲をみてみたいです。

相撲博物館を出たら、ちょうど力士の方々が街を歩いているのに遭遇しました。

大きい!そして下駄をカランコロンと鳴らしながら歩く。
鮮やかな色合いの浴衣を見事に着こなしている。
そして鬢付け油で結わえられた髷・・・。
街行く人々の視線が一瞬のうちに集まっている。

「スターじゃん!」と思った。
きっと江戸時代もこんな感じで、大スターとして街を闊歩していたのかなと想像しました。

街を歩いていると相撲部屋もちらほら散見されました。
江戸っぽさを演出している一つの要素だと思います。

隅田川 いつの時代も人々を惹きつけてきた風情の源泉

両国に限ったことではありませんが、隅田川の魅力についても触れさせて頂きます。
東東京エリアの大きな魅力のひとつはなんといっても隅田川ではないでしょうか。
あまりにも風情があります。
川沿いの街が近代化して、高層ビルが増えても、それはそれでマッチしていて素敵です。

歌川広重によって絵に描かれた江戸時代の隅田川も、近未来的な街並みの今日の隅田川も、日本人の心を捉えて離さない風情の源泉であると言えるでしょう。

刀剣博物館 芸術品、美術品としてのカタナ

旧安田庭園に隣接する日本刀の博物館、刀剣博物館に寄りました。

日本刀の解説を読んでいて驚きました。
日本刀の柄には鮫皮が使われているのですが、その鮫皮は日本近海では入手できないので、輸入に頼っていたということです。

日本刀は完全なる日本由来の原料で、日本独自の技術で出来上がっているものだと思っていましたが、日本刀ですら輸入に頼っていたというのはなんとも資源の少ない日本らしいなと。。。

多くの日本刀が展示されていました。
刀は武器としてだけではなく芸術/美術品としての価値があるとのことです。

通っぽさを演じるべく、やけに感心している感じを出しながら、色んな角度から観たり近づいたりはたまた離れたりと一生懸命にそれっぽく振る舞いましたが、ぶっちゃけ私には猫に小判でした。。。

絵画とかもそうなのですが、芸術や美術の鑑賞って、その知識や見識が無いとなかなか愉しめませんよね・・・。

しかし「分からない」からこそ興味が出ました。
「分からない」から「知りたい」と思いました。

いつか、外国の方をアテンドしている時に、日本刀について質問されたらドヤ顔で返答できるような国際人になりたいです。

すみだ北斎美術館 知れば知るほど、もっと知りたくなる葛飾北斎という人。

葛飾北斎の美術館にも足を運びました。

葛飾北斎は「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴」あたりの絵は知っていましたがそれくらいしか知りませんでした。

しかし北斎は知れば知るほど興味深い人でした。

生涯に約90回も引っ越しをしたり、改号を何十回もし、時には「画狂老人卍」という強烈なインパクトの名前にしたり、自身のオリジナル健康法として薬を調合・開発してみたり・・・。
奇才感をふんだんに醸し出していたようです。

教科書で勉強したときって記号的に覚えるだけで、そういう偉人のキャラクターとか私生活とかにフォーカスしませんが、こういう一面を知ると記号ではなく一人の人間としての顔を見せ始めるので、急に親しみやすくなりますよね。

北斎ははじめ、日本ではなくヨーロッパでヒットしたようです。
その経緯がまた面白いのですが、ある時、ブラックモンというフランスの画家が、日本から送られてきた陶器の、緩衝材として使われていた北斎の作品(北斎漫画)を発見し、「これはすごいぞ!」とその価値を見出されたようなんです。緩衝材として使われていた・・・ということはつまり「Amazonで買った商品を包んでいたプチプチみたいなものをよく見たらこれめちゃすごいアートじゃん!と気づいた」的なノリかと思います。

偶然であり必然であったのかもしれません。。

ところで、日本で評価されずヨーロッパで評価されるっていうの、北野武さんの映画みたいだなと思いました。

日本人の感性はヨーロッパの人の感性に刺さるのかもしれませんね。
ジャポニスムは普遍的なものなのかもしれません(?)

面白かったのは、北斎って浮世絵の専門家ではないということです。
たしかに後世の人からみると代表作は浮世絵かもしれません。
しかし長い生涯を通してみると写実的な絵もあれば、北斎漫画のようなコミカルな絵もある、時には妖怪まで描く、というように実に多作で多彩です。
良く天才は多作だといいますが本当にそうなのかもしれませんね。

「北斎=浮世絵」みたいに一面的だけ捉えて興味を失ってはいけないなと思いました。

旧安田庭園 歴史ある日本庭園

旧安田庭園は両国駅から歩いてすぐのところに位置する日本庭園です。
安田財閥の方が所有されていたようです。

日本庭園と呼ばれるものはいくつかあると思いますが、この庭園は個人的には何故かとても落ち着くなぁと感じました。
広すぎないからでしょうか?静かだからでしょうか?
両国という街の中にあるからでしょうか?
何故か分かりませんがとても安らげる場所でした。

心字池と呼ばれる池は上からみると「心」という字に見えるらしいのですが、結局見方が分かりませんでした。。

その他にも、あちこちに歴史アリ。

その他にも、普通に街を歩いているだけで何かしらの歴史ある土地に出会います。
勝海舟の生家だったり、芥川龍之介の文学碑だったり、吉良上野介の屋敷跡だったり・・・。

少し歩くだけで豊かな歴史を持つ街であるとわかります。

まとめ

両国(ひいては墨田区、東東京)は首都を京都から江戸に移して以降、政治経済や文化の中心地として繁栄してきた。その中で、豊かな歴史と文化が醸成されてきた非常に魅力的な土地である。

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