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「白痴」(監督・黒澤明)【映画感想文】
原作者ドストエフスキーはこの作品の執筆にあたって眞に善良な人間を描きたいのだ、と云っている。そして、その主人公に白痴の青年を選んだ。皮肉な話だが、この世の中で眞に善良であることは、白痴に等しい。この物語は、一つの単純で清浄な魂が、世の不信、懐疑の中で無残に亡びて行く痛ましい記録である。
「皮肉なことだが、この世の中で眞に善良であるのとは、白痴に等しい。」
本当にその通りだなと・・・。
正直者は馬鹿を見る・・・。
善良であろうとすると、損をして、笑われてしまう――。
人間は認知能力の高さゆえに、目に見えないものに囚われ、翻弄され、時には命を棄てたりもする。
未来、不安、過去、汚辱、意味、価値、善悪、損得、世間体、外聞、見栄、恥、嫉妬、責任、義務、信頼――
どれも目には見えないが、人間にとってはパンよりも重要な意味を持つことがある。
どこにあるかというと、頭の中にある。
白痴の亀田には、そういう観念を理解できない。
観念を理解できない亀田は劣等的人間として扱われる。
だが、亀田は誰よりも真っ当で、純真で、善良である。
香山が綾子に手紙を渡したい時に、亀田に代わりに渡してもらおうとする。すると亀田は「何故ご自分で渡さないのです?」と言う。
そもそも直接口頭で言えばいいのに、香山は言いづらいから手紙に書いているし、更にその手紙を亀田に媒介してもらおうとしている訳だが、亀田にはそのことが理解できない。
たったそれだけのシーンだが、象徴的で印象深かった。
観念が理解できない亀田の考え方はとてもシンプルだ。
私達も、シンプルに動けたらどれだけことが楽だろうか。
職場でも、友人間でも、家庭でも、言いたいことを言う。
やりたいことをやりたいようにやる。
世間体、外聞、義理、メンツ、義務、摩擦・・・。
そういうことを一切無視して、シンプルに振る舞えたらどれだけ楽だろうかと思う。
だが実際には「あちら立てればこちらが立たぬ」で、思い巡らし気苦労が絶えない。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通とおせば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
* * * * * *
じゃあ亀田のように生きればそれでいいかと言えばそうとも言い切れない。
観念が理解できない亀田は、お金のやり繰りはできないだろう。
お金だってバーチャルなものだ。
それに、未来に計画を立てて、逆算して現在を設計していくこともできないだろう。
未来もバーチャルなものだ。
だから、亀田のように観念を忘れて生きようとすると、現実的な問題がたくさん出てくる。
社会生活を送るには、どうしたってそういう観念的なものを理解できなければいけない。
人間は観念と切っても切り離せない関係にあると思う。
じゃあ、観念を認知できる能力を持ちながらも、
亀田のように善良に生きていくにはどうしたら良いのか。
修練を積んでいくしかないのだろうが、
そういうことを考えてしまうことがまた、実に人間的だなとも思う・・・。
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